CMO#180 CMO #180 titlle CMO #180 -- 25 Oct. 1996 --
- From #180 we cite two articles -

* OAA MARS SECTION
-- Mars Observation Reports of 1996/97 (#002)--
* 10 Years Ago (10)
-- CMO #018(10 October 1986) and #019(25 Octber 1986) - (Japanese)


OAA MARS SECTION
1996/97 Mars Observation Reports , #002 ( 16 Sept. 1996 - 15 Oct. 1996 ) (English)
1996/97 火星観測報告 #002 ( 16 Sept. 1996 〜 15 Oct. 1996 )  (Japanese)
10 Years Ago (10) --- CMO #018(10 October 1986) and #019(25 October 1986) --- (Japanese)

遠ざかりつつある火星は「いて座」から「やぎ座」へと移り、日没後まもなく南中するようになり、観測時間が短くなっていった。視直径は九月15日には15秒角あったが、十月15日には12秒角まで小さくなってしまった。
Lsは九月15日には245゚になり、1956年のNoachisで発生した大黄雲の時期と同じ季節になっていた。折から当該地域が、極東から観測可能だったので注意が向けられたが、擾乱はおこらなかった。Lsは十月15日には263゚達して1971年のNoachis黄雲の時期(260゚) とも重なっていたが、Hellas西北部の明部が目立った以外には大きな変化は捉えられていない。

 <OAA Mars Section>には、この期間に最接近前後の報告が遅れて数多く寄せられている。石橋力氏、池村俊彦氏、岩崎賀都彰氏、白尾元理氏等、写真観測者からのものが多いが、フランスのNEEL Regis氏からのスケッチも宮崎勲氏経由で届いている。写真報告に対する南氏からの寸評は#018,019両号に掲載されている。松本直弥氏はこの接近に精力的に写真観測をされていたが、#019からこの期間の「撮影日録」が掲載され始めた。
   台北では、台風の上陸で9月中旬は欠測の日が多かったが、9月末からは天候が回復して連日の観測が可能だったことが記されている。欠測の期間は上記のNoachis辺りに注意を払う時期であったが、日本からの観測で上手く補完された。極冠も偏心が進みωによって姿の変わるのが、各観測者によって捉えられている。
十月になって観測報告は減ったが岩崎徹氏は台湾の欠測を補うように観測している。この時期にも依然としてHellas西北部の明るさが確認されている。また、南氏は「促進波」等という言葉は使われないが、「南極に近い地方は fade out しており、東西暗帯が北へ移っていることは明らかである。」と表現され、南半球中低緯度の暗色模様の濃化を指摘している。
トピックスとしては、台北で十月9日に火星による9等星の掩蔽の観測に成功したことが記録されている。

佐伯語録は(3,4)と#018に掲載されて、観測者の質について私見を述べられている。

(Mk) 村上昌己


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