10 Years Ago (56)
10 Years Ago (56) (Japanese)
-CMO #086 (25 April 1990)-

火星は1990年四月中は「やぎ座」から「みずがめ座」へと順行を続けて、並んで先行していた金星は、外合に向け太陽に近付いて行き、次第に離れていった。火星の出は四月中旬には午前二時(JST)台と早くなったが、日の出時の高度はまだ25度ほどに留まっていた。四月中は視直径は五秒角台で経過していたが、足羽山では三月末より南氏・中島氏の協同観測が始まった。いよいよ観測シーズンの開幕である。

 したがって、『火星通信』#086には「OAA MARS SECTION」のコーナーが始まり、此の観測期の報告速報が載せられている。初回は15 Apr 1990までの観測の紹介である。観測者は長谷川久也、南政次、中島孝、Gérard TEICHERTの四名だった。南氏は一月、二月も単発の観測があるが、視相・視直径などが適わず実のある観測にならなかった由。三月からは大津で継続観測に入っていた。中島氏も、福井に移動した南氏と共に、三月末より観測を開始したわけである。
 三月中旬からは、視直径は小さいながら南極冠・暗色模様が共に峻別できるようになってきたようである。季節は1 Aprで195゚Ls、31 Aprで212゚Lsとなり、南半球の春分過ぎの観測だった。

 #086には続いて外国からの観測報告の紹介が二本掲載されている。初めは西ドイツの"Arbeitkreis Planetenbeobachter"(惑星観測者の研究集団)の機関誌である "MfP(Mitteilungen für Planetenbeobachter)"(惑星観測者のための報告誌)からの1989年の火星観測報告第三部の紹介である。1988 Oct〜Decの観測が纏められていて、CMOの記事からの参照も多く、原文の一部がコピーで掲載されている。
 次には、ALPO Mars Sectionの1988年の観測レポート"The International Mars Patrol in 1988"の紹介がある。ほとんど全節の内容を簡単に取り上げているが、それぞれに批判的である。文末には「南中老人対話」として福井のお二人の寸評がある。末尾に曰く「真性英語だからでしょう。--ウン、摩擦は必定、和製英語でこれからチャンバラ喧嘩するの大変やなァ。」

(Mk) 村上昌己