(火星課だより) 松本達二郎氏の中村鏡と火星

 南 政  M. MINAMI

『天界』2010年九月号掲載


村要氏(1904~1932)という方は、OAAの火星観測の先驅であり、また国際的にも名の通った方であったが、早世したためその火星観測の業績が纏まってわれわれに届いているとは言えない。しかし、鏡面研磨技術の先驅としては名を留めているし、火星観測でも1924年の大接近の時はいまでは悪名高きW. H. ピッカリング氏とも接触し「あなたの6枚セットのスケッチをReport of Marsに掲載します」といったような返信を貰っている。中村氏の火星観測は1920年の10cm屈折に始まり、翌年には花山天文台に入り、1922年には有名な18cmザルトリウス屈折で観測しているし、25cmのブラッシャー鏡も使っている。何と言っても彼の黄金期は1924年、1926年であったろう。1928年にはクック屈折鏡も使えた筈である。

 扨てここで紹介する25cm F/3.8短焦点鏡は1930年に京大の柴田淑次氏の求めに応じて作られたものらしく、架台は西村製作所製で、よく知られた伊達鏡の架台とよく似ている。ここにカットとして入れる当時の望遠鏡の写真は松本達二郎氏所有の中村要『反射望遠鏡』(山本一清氏編著、1942年初版、1944年に三版)の頁から複写して頂いたもので、画像は(紙質の所為で)好くないが、冩眞反射鏡の文字は見える。この望遠鏡は、多分彗星や小惑星用に制作されたのではないと松本氏はお考えだが、その成果はご覧になったことはないそうである。

 

この「中村鏡」を松本氏が落手されたのは1949年頃で半ば偶然だった様だ。当時軍用や工場の放出品が巷に溢れ、殆どが(天文観測用には)ガラクタだったようだが、中に裏面にNKM195と記載された反射鏡があったので直ぐ入手された由である。記号はむかし木辺成麿氏(1912~1990)が『天界』に書かれていたことがヒントになったようだ。ただ外見は煤けて、アルミ面も汚れ、疵も多くあったらしい。尤も使うあてがある譯ではなく、1970年まで放って置かれた様で、この頃清掃がてらアルミナイズし直されたらしいが、疵等はそのままであった。その後2001年頃から部品等も集め、アルミ製の鏡筒等も作り、ペンタックスのMS-5架台に載せた完成品が、写真の様な形になった訳である。

 

松本達二郎氏は既に1946年頃から鏡面研磨や火星などに興味を持ち、いまでは伝説的な伊達英太郎氏(1912~1953)や前田静雄氏(1914~ 1952)とも接触を持たれている。伊達氏のご自宅に月二回ぐらいのペースで訪問されていた様だし(但し面会時間は主治医の制限で短い)、前田氏とは京都駅の南側のお宅を数度訪れ、研磨の技術の他、火星のパステル・スケッチ等を学んだ様で、松本氏はこうした幸運に恵まれた最後の世代であろう(『火星通信』#320--2006625日号参照)

 

 扨て、松本氏は長く四半世紀もOAA大阪支部の例会を主宰したという経歴を持つ得難い人物であるほか、火星観測も1950年の接近から始められ、現在に至っている。松本氏は伊達・前田両氏だけでなく、佐伯恒夫氏(1916~1996)からも薫陶を受け、佐伯氏は長寿であったから、当然長いお付き合いであった。

 

 松本氏は望遠鏡も多種製作・所有され、最近ではCCD撮像にも挑戦され、200814日には28cmシュミカセで橙色フィルターを使い中央経度ω=322°Wの火星像を撮り、これはCMOウェブのGalleryに載っている(『火星通信』#343--2008225日号のLtE--読者からのお便り欄--に転載)

 

 扨て、今回の2009/2010年接近(2010127GMT最接近、最大視直径は14.1秒角)には一念発起、上に紹介した中村鏡によってCCDでカラー像に挑戦し(ToUcam IIRegistaxの組み合わせ)、以下に挙げるように優れた像を得られている。実は鏡は短焦点であったから火星にはどうかなぁと思われた様だが、5倍バーローレンズ使用で予想以上の結果が齎され、しかもこの「中村鏡」の製作年代が1930年で、松本氏の生年と一致することもあって感慨も一入であったようである。

 

右の最初の像は衝直前の今年124日のもので、季節は042°Ls(Lsは火星から見た太陽の黄経)、中央経度はω=275°Wで、シュルティス・マイヨルの東北には微細なノドゥス・アルキュオニウスが綺麗に見えている。二枚目は228日のもので、視直径δ12.2"に萎んでいるが、なかなかの力作である。ここでιは位相角で、衝から離れると大きくなり、22°といえば朝方1時間半ほどは見えていない。いまからマレ・アキダリウムが出てくるところである。ヘッラスは未ださほど明るくないが、λ=100°Ls頃になると極冠のように明るく見える。

 

松本氏はこの他、311日にはω=216°W417日にはω=254°Wの像を提出されているが、何れも良像である(最後の像はδ=8.1")

 

来期も更なるご活躍を期待したい。

 

 


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