巻頭エッセイ

 

40分毎観測のすすめ

村上 昌己・森田 行雄

CMO/ISMO #387 (25 July 2011)

 


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星課には40分毎観測という不文(?)がある。筆者の一人(村上、Mkとする)が個人的に1988の大接近でかなりの成果を上げたと自認したので、19907月に火星課に入会したのだが、そのときからこの不文律はあったもの(南課長のとき、Mn氏とする)、入会時に中島孝幹事(Nj氏とする)、のちにMn氏ご両人からいただいたお返事にも、すでに40分毎連続観測のことが記されてあった。その時にはMkは理屈が判らず中途半端な、おかしなルールという感覚しかなかった。火星課としても説明が面倒であったらしく、結果優先で何よりも40分間ごと観測を実行できない観測者など信用して貰えなかったらしい。微細観測の佐伯恒夫前々課長なども1時間毎の観測であったから、古い観測者などには浸透もしていなかったろうし、理解も不可能であったろうことは間違いない。

 なぜ、40分毎なのか、それは火星の自転が地球のそれより約40分長いことによる。簡単な計算で分かるが、毎日40分毎に丁寧に観測していれば、ほぼ10°W違った火星面が連続して得られるのである。

 このことにはもう一つルールがあり、実は翌日も「同じ」時刻に観測を実行しなければならないということである。自転周期が約40分長いのは偶然だが、その為に、翌日同じ時刻に観測すれば、10°W違った(若返った)火星面が見られる。そうすれば、これを積み重ねれば、おなω(央子午線)の火星像が得られるのである。この理屈を理解するにはよほどの頭脳か実践が必要である。私達がMn氏等から詳しい説明を受けなかったのは、このことによるかもしれない。

 この観測法の結果の物理的な意味は、「比較」が容易になるということである。同じ中央子午ω値の火星面が、もし晴れていれば、毎日何枚も得られることになる。したがって「比較」をしようとすれば、これを実行するのが必要になるわけである。出来るだけ40分毎に毎夜多く取り、天候が続けば長期続けるのがよい。「比較」というのは科学的なテクニックの初歩に属することで、単に単発的に眺めているのであれば火星観測とはいえないということが言外にある。

 厳密に言えば、自転周期の違いは40分よりやや短い。したがってCCD撮像の場合などには、余ほど注意しないと、各像はずれてくることになる。但し、「ずれ」は微少であり、厳密にやろうとすると先ず面倒くさくなってしまうだろう。

 もう一つ、Mn氏などが詳しく教えてくれなかったのは、必ずしもこうやったところで成果が目に見えて得られるわけではないからであろう。以下はわれわれの懺悔記録でもある。

なお、毎日同じ火星面を観察することは習練のためには重要なことでもある。福井市自然史博物館屋上天文台での観測はすざましい様子である。前課長のMn氏とNj氏はそれぞれ20分間の観測を済ますと直ぐに交替して、常時40分毎を観測していられる。多いときは一夜に各自10回ぐらい観測する。20cm屈折はしたがって晴れていれば常時動いているわけで、その稼働率はそんじょそこらの天文台は及ばないだろうと思う。

 筆者達のもう一人(森田、以下Moとする)も最初は40分毎観測など知らずに入会している。火星課への参加は19927月頃からだが、当時TPでシーイングの好い時を見計らって一発必中で狙い、模様を出すためにR使用という極めて初等的な観測であったわけで、40分間おき観測など念頭になかった。1996年頃からMutohCCDカメラ、1999年頃からST-5Cを使用しているが、この頃から40分毎観測の意味を理解し始めたとおもう。残念なのは19932月にエリュシウムに、のちに森田現象といわれた黄雲現象を撮ったが、比較という点は念頭になく、また翌日は天候不良であった事で、それきりになった。1996/1997年はTPからCCDへの過渡期で苦労したが、40分毎観測を理解するようになり、CCDだけで161組像を得たのはこの観測方法のお蔭だと思っている。

 一方、Mkは既に19951月後半にアルバの白雲活動を40分毎に追った記憶がある。この時は岩崎徹(Iw)氏等も40分観測で追っている。図表は

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/95Note13j.htm

にある。ほぼ、Mkは連日同じ角度で追っている。

更に、また1999427日のバルティアの朝雲の台風現象はMkIw氏がHSTとは独立に検出し、40分毎に追った。しかし、Mk426日とは時刻を調整しないポカをやっているが、多分事態の推移に慌てたのであろう。一方Iw氏は26日と27ωを几帳面に揃えているが、光斑の大きさが冴えない。当時、Iw氏の方がMkより40分観測には理解が長じていたわけであるが、現象の捉え方に消極性がある。このことについては後の福井の懇談会で話し合ったことでもある。なお、まとめは

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/note/9903/03j.html

を見られたい。

 さて、一方でMoがもっとも40分毎観測で成功し、重要な結果をもたらしたのは2001年の大黄雲の初期観測で、71日から4日まで晴れ間に恵まれ、総じて連続して観測できたことで、特にω=211°W辺りにおいては「比較」に耐える像を得たことである実は、阿久津富夫氏が630日に沖縄の湧川哲雄氏の天文台において矢張りω=213°Wたりで珠玉の像を撮っているために、マレ・キムメリウムからエリュシウムにかけての領域の変化が五日連続して撮られたことになり、2001年の大黄雲のこのあたりの初期状態はほとんど完璧に描写されて大いに寄与した。Moの観測時刻はR像に限れば

71日 13:06GMT

72日 13:38GMT

73日 14:10GMT

74日 14:55GMT

となっており、ほぼ40分ずつずらしているのであるが、完璧でないのは少々残念である。ただし、エリュシウムからプロポンティスTにかけての上層黄雲による変形淡化やエリュシウムあたりでの新しい黄塵の発生など重要な変動が活写されていると思う。4日にはアエテリア方面でのコアの他、マレ・キムメリウムに大きな暗斑が出てきた(福井市自然史博物館天文台でもMn氏やNj氏が40分毎の観測をしていた由で、4日のマレ・キムメリウムの一部の濃化も把握され、西田昭徳(Ns)氏がCCDでこの濃化を撮像した。この大きな暗斑は1894年にリックのバーナードが観測したものに似ているそうである。なお、福井では既に7月初旬の段階でこれは本質的にグローバルな黄雲と断じていられたが、アメリカやヨーロッパには疑義が出ていた。後で伺うとMoの観測が説得に非常に参考になったということであった)

  最近Moとしては、連続した日でなくとも、おなωの像は重要と認識しており、計算で、出来るだけこれまでに得られた良像に近い像を得て「比較」しようと考えている。

  今回はMkMoに関して述べたが、これは(失敗も含めた)例であり、他にも励行して成功している観測者も多く、又の話題としたい。

  いずれにしても今後火星課としても40分毎の連続観測を奨励・励行して行くつもりである。もっとも、天候の所為で狂うことが多いのであるが、回復の方法など各自工夫しなければならない。なお、Mn氏やNj氏は40分では細かな都合の悪い点も知っていて、ときに10分早めたり遅めたりして調節しているようである。このあたりは観測者の自主的な判断であるが、各自考慮工夫して続行して貰いたいものである。


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