巻頭論攷

冥王星 Q & A

ウィリアムシーハン

近内令一譯

CMO/ISMO #435 (25 June 2015)


English



 

さて、ニューホライズンズ探査機の冥王星フライバイまで残すところあと一か月を切って (714日予定―—マリナー4号の火星フライバイの50周年でもある)、興奮が高まってきており、とりわけ85年前に冥王星を発見したフラグスタッフではお祭り騒ぎである。

  筆者ウィリアム‧シーハンは、ロバート‧グレイバー (Plutonic Sonnets”の著者) とともに、718日にローヱル天文台で開催される特別イヴェントで以下のような話題について順次説き起こすことになっている:プラネットXの計算の歴史、捜索活動、ローヱル天文台での発見、地球からの観測による遅々として進まない冥王星の理解、そしてニューホライズンズ探査機の得た結果…。これらについて最近、マルクス‧ホイタカネン (フィンランド人の科学ジャーナリストで、2009年にパリ、ムードンで開催されたIWCMO火星会議にも参加した) のインタビューを受けた。ここにそのインタビューの要旨を掲げる:

 

 

Q:冥王星を準惑星として再分類する、という2006年のIAU (国際天文連合) の決定の理由は?

そしていまなお揉めている訳は?

Aここではデイル‧クルックシャンクの見解を紹介しましょう。(彼はニューホライズンズ計画に携わる研究者であり、また筆者と共著で冥王星についての本を書いています。)

 “IAUでの決定は天体力学の専門家たちに押し切られた格好だった。我々のうちで、惑星がその重力による軌道周囲大掃除効果で近辺に及ぼす影響よりもむしろ惑星についての物理的特性に注目を置く専門家たちの間では、従来の惑星の分類のままでいいじゃないかという意見が大勢を占めていた。敢えて言うが、太陽系に一丁前の惑星が9個以上あったとしても、どこが気分が悪いんだ!?…と我々の大部分は思っているのだ。マイク‧ブラウンの話では、彼を含む研究者たちの捜索で、エリスのような冥王星サイズのカイパーベルト天体や、もう少し小さい同類天体を数個発見したが、もう他に“大物”は居なさそうということだった。これらを詰め込んで、ついでにおまけでヴェスタやケレスもぶち込めば太陽系は18惑星の大所帯ということになる。ご機嫌ですな。”

 “私の冥王星贔屓 (分類上惑星でいいじゃないかという) についてあれこれ詮索する輩に強調したいのはまず、地球、金星、火星そして水星を引っ括めたよりも冥王星は多数の衛星を持っているという事実だ。また冥王星には大気と、そして季節もある。その表面の様子は長い時間的スケールで変化を見せているようで、大気との相互作用、そしておそらく周囲の宇宙環境にも影響されているのだろう、等々。要するに、‘惑星’の道理に適った定義に相応しい特性を冥王星は多数備えているということだ。”

 

Q:海王星の発見は理論天文学と天体力学の勝利でした。往時の天文学者たちが、海王星の彼方にさらに別の惑星が潜んでいるかもしれないと考えた理由は?

A:海王星の発見は“天体力学の頂点”と讃えられました。しかし海王星が太陽系の最果てと考える理由はありませんでした。たとえば、彗星の族というものが注目されました。木星、土星、天王星、そして海王星までもがみな、それぞれの惑星の軌道の近くに遠日点がある彗星のグループを持っており、惑星の近くで彗星が捉えられたことが示唆されたのです。いくつかの彗星はまた、さらに遠方に遠日点を持つことがわかりました (今日の視点ではまったく驚くに当たらない;そのあたりにはエッジワース‧カイパーベルトがあり、その遥か先にはオールトの雲が存在する)。フラマリオンは二つの彗星と一つの流星群からなる“彗星族”を発見し、その遠日点は47天文単位付近でした。これが超海王星惑星の彗星族だったのでしょうか?そしてまた、天王星の予想された軌道と実際に観測された軌道の間に、海王星の摂動だけでは説明できないと思われる微妙な不一致が見い出されたのです。せいぜい数秒角の食い違いでしたが、どっかそのあたりに惑星が存在するだろうと期待する人々には、その影響に違いないと喰らい付くのに十分でした。

 

Q:“惑星X”を探すことはパーシヴァルローヱルにとってほとんど強迫観念になっていたように見受けられます。その理由は?

A:第一に、ローヱルは強迫神経症タイプの性格だったと思われます。彼は、それ以外は目に入らなくなるような全てを費やす強迫観念の対象を次々と作りました―—極東、火星、そして後年には惑星X。彼の火星や、そして特に金星の観測がプロの天文学者たちの批判に曝されるようになったとき、彼はそれを極端な個人攻撃と取ったのでしょう。火星の知的生命体についての思索はもちろん大衆からは喜ばれましたが、同じ分野の専門家たちからは否定的に扱われたのです。これが、彼を数年間天文学の第一線から退かせることになった神経衰弱の主因でした。ローヱルは自分自身を第一級の数学者と考えており、実際にいい線行ってたと思えます (ハーヴァード大学で数学を教わっていた頃に、教授のベンジャミン‧パースから大仰に誉められていた)。想像しますに、彼が惑星Xの計算をやり始めたのは、アダムスとルヴェリエの偉大な勝利に張り合って、震撼を呼ぶ大発見を成し遂げて、彼を批判した天文学者たちをひざまずかせたかったからでしょう。ご存じのとおり、これはうまくいきませんでした。1915年に彼は膨大な量の計算作業をこなしました―—1915年の9月に自費出版された“超海王星惑星回想録”からは窺い知れませんが。これは彼を消耗させ、おそらく死期を早める要因になったのでしょう。回想録を出版する頃には、彼はほとんど諦めかけていました。彼の死後に友人の一人が語ったところでは、“X”を発見できなかったことは“我が生涯最大の失望”であったとのことでした。

 

Q:冥王星が予想位置のこれほど近くで発見される確率はどうだったのですか?

A:冥王星は予想位置の“一つ”から6度のところで見つかりました。しかしながら、1929年に写真捜索を開始したクライド‧トムボーが気付いたように、ローヱルの予想位置はコロコロと変わり続けました。なぜならばその計算結果は剰余値、特に天王星の発見前の古い観測に基づく剰余値に極めて敏感であり、また天王星、海王星の質量の誤差、その他の影響も大きく効くからです。W. H. ピッカリングも冥王星の位置を予測していたと主張しましたが、やはり色々な新惑星候補の種々雑多な予想位置を公表していました。これほど多くの予想位置が発表されていれば、新惑星が存在したとして、どこかの予想位置の近くに納まる確率は当然高くなりますわな。事が済んでしまえば、“そこにいた!”ということで、予想はもちろん確率100%だったということになってしまうんでしょうね。

 

Q:天体写真という手段なしに冥王星の発見は可能だったでしょうか?

A:“No”ですね。眼視捜索者による発見は全く不可能でした。その等級の明るさの星が多過ぎたからという単純な理由からです。当時の最良かつ最も包括的な星図―—たとえば北天のボン星図や、南天のコルドバ星図は、何十年にも渡る眼視観測での骨の折れる重労働の産物ですが、わずか9~10等級の光度の恒星までしか含まれていないのです。発見時の冥王星は15等級でした。

 

Q:クライドトムボーは単にラッキーだっただけ?それとも彼の冥王星発見は大変な努力の賜物?

A:クライド‧トムボーが幸運だったのは、当時彼が使っていた機械の限界等級で届くKBO (カイパーベルト天体) が一つ存在していたという意味でです。しかしながら、彼の冥王星の発見は、託された任務に対する徹底した献身、観測者としての細心さ、根気、そして驚異的に熱心な努力の結果でした。彼は早くから、ローヱルの計算した予想位置は何の役にも立たないことに気付いていました。私がこれに付け加えたいのは、この時代の多くの偉大な観測者たちと同様、彼が田舎の出身だったことです。彼はカンザス州の農場で生まれ育ちました。自立心に富み、独学で学び、手先が器用で、勤労意欲旺盛でした。彼が生涯使い続けた、最初の自作望遠鏡は、彼の死後スミソニアン航空宇宙博物館に収められました。この手造り望遠鏡の架台には、1910年製のビュイック車から回収したアクセル装置と、乳牛牧場用のクリーム分離機の部品が利用されていました。お育ちのよい“都会族”には、このような部品をもとの機械から取り外すような荒技はまず不可能だったでしょう。

 

Q:冥王星の実態が解明されると、太陽系のメンバーとしての神秘性が明らかに低下すると思われます。それとも、もっと凄く面白いことになることもありそうですか?

A:我々が疑いなく理解を深めることになるのは、地球から遠く離れた領域のかなりの大きさの天体の特質、そのような天体の化学的組成 (水の氷は間違いないし、メタンの氷も確実にあるだろうし、その他、外来の有機化合物等々)、そして外部太陽系の進化、これらのどれもが重要な情報となります。他方では、神秘的な対象にピントが鮮明に合ってくる毎にいつも、そのロマンは多かれ少なかれ失われて行きます。本性がさらけ出される前のように総ての可能性を包括することはもはやないのです。実体自体にもそれなりの魅力がありますが、未知のものに対するイマジネーションほどには刺激的ではありません。適例を一つ:火星。時々ありありと思い出すのですが、マリナー4号火星到達前には、ローヱルの運河の夢にはまだ (少々) 芽がありました。そしてこの宇宙船が火星をフライバイして、まるで月面のようなクレーターの類だらけの荒涼とした地景の画像の数々を送り返してきた時にどれほどがっかりしたことか。この時筆者はほんの子供でしたが、そして―—偶然にも、いやもしかすると運命づけられていた結果か―—ニューホライズンズ探査機の冥王星フライバイは、マリナー4号火星フライバイの日のピッタリ50年後に行われることになります。太陽系探査の見事な締めくくりが成就されます! そしてさらになお、我々は探査し続けざるを得ないのです、何が来ようと。ソポクレースの偉大な悲劇のオイディプース王のセリフで言い換える誘惑に筆者は勝てません;“いかに卑しかろうと自らの出自は知り置かねばならぬ。”

 

Q:ニューホライズンズは惑星の調査に出掛けたのに、準惑星のフライバイという結果になってしまうことにはどう思いますか?

A:何年か前の“丘に登って山から降りてきたイギリス人”という映画を思い出しますね。

(譯者註:原題“The Englishman who went up a hill but came down a mountain”、邦題“ウェールズの山”、1996年公開。公けの測量で自慢の“山”が山の基準の高さに数メートル足りなくて“丘”になってしまうことを知って憤慨した地元民が丘の頂上に土を盛って山にしてしまう話。)

 ニューホライズンズが2006年の1月に打ち上げられた時―私はケープケネディにいて打ち上げを見守っていました;その時には、2015年は随分長い先のことだなと思えました、がもう目の前です!― 打ち上げ当時は冥王星はまだ公式に惑星として分類されていました;いまは公式には準惑星で、かつエッジワース‧カイパーベルト天体の一つです。上述のアナロジーは“山に登って丘から降りてくる”の方が適切ですね。これは、しかしながら、我々が立つ足の下の地面がいかに速く変化して行くかの証明です。太陽系の探査は凄いスピードで進んでおり、十年足らず前とは比較にならないほど多くの情報を知るようになりました。問題は、情報の嵐に、どうやって何とか遅れずに付いて行こうかということですね。

 




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