巻頭エッセイ

エリニュスとエウメニデス

アルカディアのデメテルとタカマガハラのアマテラス

 

CMO/ISMO #382 (25 March 2011)


English


§

0. エリニュスErinnysとエウメニデスEumenidesというのはスキアパレッリが1881/82年に命名した運河の名称で、(西経、南緯)は夫々(145°W26°S)(145°W5°S)邊りに位置している。エウメニデスは長い運河である。(下のアントニアディの圖参照)

 アントニアディに據れば、エリニュスはスキアパレッリと10年後の誰かが觀測した以外記録がないようである。一方エウメニデスの方は、スキアパレッリ以前から何度も觀測されているらしい。特に1862年の頃から目立っていたらしく、スキパレッリには1877年頃から見えているらしいが、その後直線に見えたり、二重運河に見えたりしているようである。命名は初めに書いたように1881/82年である。アントニアディは1894年に21cmで北側の暗部の端っことして捉え、ムードンでも最後までそう見えていた様だったが、フラマリオンは1896年にこの運河を見たことになっている。

 尚、アントニアディの本は記載している模様を全て見たとして記録している(と勘違いをしてはいけない)のではなく、彼より前の觀測者の觀測したものを記録しいているだけであるから、エウメニデスもスキアパレッリの獨壇場であったと見る方が好い。というわけで、觀測上は面白みのない事柄なのであるが、スキアパレッリがこの名稱を使ったことに關して、一寸書いてみたいのである。

 

§1.  火星の名稱について詳説したユルゲン・ブルンクの著書("Mars and Its Satellites"第二版1982)に據ればエリニュスErinnys 「激怒と復讐の女神の一派であり、住處は地下であり、そこから地上に這い出して相手を追っかける。アエスキュロス劇では彼らは夜の恐ろしい娘であり、ゴルゴンに似た女性で、長いKの衣服を纏い、頭髪は蛇で、血走った眼をし、鴉のような爪を持っている」としている(多分Erinysの複數形)一方、エウメニデスEumenidesは「慈悲深い女神達で、エリニュエスの婉曲語句(euphemism)」と記載されているだけである(多分慈恩女神エウメニウスの複數形) 。從って兩者は外見は全く正反對だが、内容には直ぐ後で見るようにそれほど違いがない。ギリシャ神話特有の二重性が出ていると考えられる。

 兩者の關係はウィリアム・スミス編の"Dictionary of Greek and Roman Biography and Mythology (1867)に詳しい。要はErinnysの方が舊いということであろう。例えば次のように書いている: 「エウメニデスはまたエリニュエスとも呼ばれ、ローマ神話ではフュリアエともディラエとも呼ばれるが、もともとは犯罪人について陳述する呪いの人挌化に他ならない。エリニュスErinnysという名稱はもっと舊いもので、捜査するとか追求するというギリシャ語から、或いは怒っているというアルカディア語から派生したものである。從って、エリニュエスErinnyes は怒りの女神達であるか、或いは犯罪者を追求したり捜査したりする女神達である。エウメニデスEumedenisというのは善意とか慰撫の女神達を意味し、單に婉曲語法で、というのも人々はこうした恐ろしい女神達をそのまま本當の名前で呼ぶのは憚れたからであるし、言い傳えとしては最初は "アレス神の丘"で行われたアレオパゴス会議の法廷でオレステスの無罪判決が出て、この時エリニュエスの怒りが和らいだため使われたようである。同じ様な婉曲で、アテナイではエリニュエスは高貴な女神達と呼ばれていた。」明らかにこれらの名前がオリュムプス神話と獨立しているか、舊いことを示している。

 

§2. 處でオリュムプス神話にはデーメーテール(デメテルとする) が上の神話とは無關係に出て來る。デメテル乃至ケレスの話はオウィディウスの『變身物語』でよく知られており、星座神話では殆どこれによって豊穣の神として綺麗に語られている。

 それは兎も角、上のスミス編から、デメテルについて引用しておこう:「デメテルはギリシャ神話の偉大な神々の一人である」「 デメテルは大麦或いは食物を供給する母として考えられていた。」「デメテルはクロヌスとレアの娘であり、ヘスティア、ヘラ、アイデ(ハデス) 、ポセイドン、それにゼウスの姉妹であった」「デメテルはペルセポネ(プロセルピナ)やディオニュススの母であり、またポセイドンによってデスポエナと馬のアリオンを生ませられた。デメテル神話の最も著しいところは彼女の娘ペルセポネが冥王のプルート(ギリシャではハーデス)によって陵辱されたことで、この物語はデメテルに具現する殆どの神話を内包するというだけでなく、デメテル信奉の重要な位置へわれわれの注意を引き附けるという點にある。ゼウスはデメテルの知らない間に、ペルセポネをプルトーに許諾を與え、ゼウスが計略してプルトーの思いのままに彼女を靡かせる花々を育て、それらを無邪氣なペルセポネが摘んでいる最中に、地が突然割け彼女はアイドネウ(プルトー) に依って攫われたのである。彼女の悲痛な叫びはヘカテとへリオスの耳に入った。彼女の母親は娘の聲の木霊を聞いただけだったが、直ぐに娘を捜しに奔り出した。」「デメテルは娘を捜しながら九日間もネクタルもアムブロシアも飲食せず、水浴もせずに彷徨した。」「この女神はずっと怒り續け、地上のどの畑にも果實を齎す事を禁じ、饑饉を起こしたので、ゼウスは生物が息絶えてしまうと心配し、先ずイリスを後にはレアを派遣しデメテルにオリュムプスに戻るようの説得したが、無駄であった。」

 こうした話の續き、例えばペルセポネが一年のいくらかは地下で生活を強いられ、殘りは母のもとに戻れるという話、或いはこれが乙女座の見えるときと見えないときに對應するというような話はよく知られている。 

 

§3. 然し、ここまで來て、エリニュスとデメテルとは何の關係もないように見える。普通は結び附かないのである。

 處が180AD年頃に成立したとされるパウサニアスの『ギリシャ記』によると話はここで終わらない。(パウサニアスの『ギリシャ記』は1991年に飯尾都人氏に據って編譯され、龍渓書舎というところから出版されているので、和譯はこれに随う。全體本文だけで750頁ほどある。部分的には岩波文庫からも出て居て、以前はこれに據った。) 尚、パウサニアスの重要性は以前から大林太良氏や吉田敦彦氏によって指摘されていたことで、以下に書くこともその枠内からは出ない。但し私は外国で日本神話との關わりはどれだけも知られていないと考えるので、CMO/ISMOで英語で書くのである。

  パウサニウスは物語の作者ではなく旅行者として、ギリシャ神話の痕跡を辿るだけだから物語ではなく旅行記で、神様の出てくる順などは不同である。

 デメテルが根本的に一番早く物語としてエリニュスとして出てくるのは、先にも述べたポセイドンとの関係であろう。以下VIII-25-[5]とあれば、第8卷、第25章、第5節のことである。 そのVIII-25-[5]

[5] (デメテル)女神は娘神を探している間、流浪をつづけていた。ポセイドンが女神の後をつけて、いっしょになりたがったが、女神は雌馬に変身してオンコスの雌の持ち馬群といっしょに暮らしていた、という。しかし、男神は欺かれていたことがわかると、自分も雄馬の姿をして、女神が変身していた馬といっしょになった。」英語譯ではenjoyしたとある。前に書いたとき使ったフレーザーも同じであった。ここでデメテルは怒るのであるが、續けて第6節では[6] 話によると、女神は当座この成り行きに憤ったが、その後怒りも解けてラドン川で水浴しようとした。ここから女神の異名も二とおりになり、ひとつは怒ったためエリニュスになった。これは、アルカディア地方で、激情にかられることを、"エリニュスする"ということからきている。もうひとつは、川で水浴みした(ルサスタイ)ためルシアとなった。」(以上譯文では540頁。) 英語版ではエリニュスの換わりにFuryとなっているが、譯文の通り、原文ではἘρινύςErinysなのである。ラドン川とはアルカディアの最も美しい澤として知られるところで、一種の「禊ぎ」であるが、これはエウメニスになることを意味しよう。ここでも二重性が出ている。

 問題はこのあとVIII-42-[1]以下にある。ここから「黒衣のデメテル」の物語と「洞窟」の話が出てくるのである:

 [1] もうひとつの山エライオンはピガリアから約三十スタディオン(5.4km)離れたところにある。山中に"K衣のデメテル"に捧げた洞窟。ポセイドンとデメテルの交婚については、ピガリアでもテルプサの伝承とおなじことを信じている。ピガリアでの話ではデメテルから生まれたのは、馬ではなく、アルカディア人が「デスポイナ」の異名で呼ぶ女神のことである。」「[2] 伝承のつづきによると、母神はポセイドンに対する怒りと、ペルセポネを掠奪された悲しみの想いとを表わして、Kい衣服を着るとこの洞窟へきて、長い間、引きこもったままになった。大地が育てるものはことごとく絶え、人間族は餓えのためにますます滅んで行った。しかし、女神がどこに隠れたかは、ほかのどの神にもわからなかった。」「[3] ところが、パンがアルカディアまで行き、その時々にあちこちの山々で狩りをしているうち、エライオン山へも来てデメテルがどんな風にしてどんな衣服を着ているかを、こっそりと見とどけた。ゼウスはパンからこのことを聞くと、モイラ諸女神をデメテルの許へ送り、女神は使者達の説得を受けて、怒りも収まり悲しみも弱まった、という。ピガリアでの話によると、このことがあったため、地元ではこの洞をデメテルの神域と見なして、洞内へ木造神像を奉納した。(以上譯本569)

 ここでも英語版ではFatesを送るとあるが、原文ではΜοίρaςモイラス(モイラ諸女神) で、ここではデメテルの慰め役になる。實はMoiraも複雑な性格を持つ女神で、Erinnysとは切り離せないのであるが、どうもここはパウサニウスの資料不足のようであって、ほかの傳承ではデメテルを慰めるとき登場するのはイアムベIambeであったり、バウボBauboであったりする(イアムベもバウボもパウサニアスに出てこない)。先のスミス辞書によるとイアムベについては具體的に、「トラキアの女性で、パンとエコーの娘である。・・・・アッチカでデメテルの供宴の際引き起こされた無茶苦茶な騒ぎは彼女に歸せられるべきもので、傳承では、デメテルが娘を捜して彷徨っていたときアッチカに足を踏み入れたとき、イアムベが悲しみの女神を彼女特有の冗談で元氣附けたとされる。彼女はアイアンビック詩法に名稱を與えたと信じられている。實際、或る方面では彼女は好きなように凝った辛辣な話法を保証したと言われているし、他方アイアンビック韻律の踊りでデメテルを元氣附けたと言われている。」但し、ここには洞窟の話は出で來ない。

  他方のバウボについてもスミス編では輕く然し意味深長に觸れられているだけである。「エレウシスの不思議な女性で、ヘシキュキウスは彼女をデメテルの介抱人と呼んでいる。然し普通の物語では次の様に語られる。デメテルが娘を捜して彷徨しているとき、バウボの處にやってきた。バウボはデメテルの接待を承諾して、何か飲むものを提供したのだが、然しデメテルは餘りの悲しみに浸って居た爲、飲むことを斷った。そこでバウボは奇妙な動作をして見せたので、デメテルは笑って、飲むことを受け入れた」とあるだけである。バウボがどんな奇妙な様子であったかは、古い像が幾つか殘っているので知られている。何れにしても、イアンベもバウボもトリックスターの役目をしている。場所もパウサニウスの場合とは獨立して傳承されていて、神話特有の擴散が見られる。一應、パウサニアスが語るように洞穴から救出されるときに、モイラ達の働きは好く判らないし、イアムベやバウボ伝説には洞穴が出て來ないので、二通りの系列があることが想像されるが、詰まりは、上の話を纏めてみると、デメテルは豊穣の神でありながら、娘を誘拐され、その探査のためK衣に身を刳るんで彷徨し、ある時洞窟に隠れてしまう爲に地上は饑饉に見舞われ、困ったゼウスはスパイを放ち、デメテルの所在を確かめ、モイラ達に供應させ(ここにイアンベ乃至バウボが重要な役割をしたと考えられる)やっと洞窟を出て、未だ娘のことは問題として殘るが、ある妥協がなされ、地上は再び作物に惠まれるということの様である。洞窟についてはパウサニアスしか語らないが、多分、傳説として語るにも洞穴の話は最も恐ろしい話に近いもので、通常は暗黙裏か理性的に排除される運命にあったのであろう。

 

§4. ここまで來ると、日本の古代神話を知っているどの日本人にも思いあたる事がある。イザナギ-イザナミの興味深い話は差し當たり端折ることにして、アマテラスの「天の岩戸」の話である。アマテラスの話は英語版ではバジル・ホール・チェンバレインBasil Hall CHAMBERLAIN"Things Japanese" (1891)參照した。最初の部分は次のように簡潔に書かれている。

 「これらの神々の一人はアマテラスであって、イザナギの左眼からお生まれになったのであった。一方、ツキヨミの神は右眼から飛びだし、そして最後に鼻から生まれたのはスサノヲであり、荒んだ男という意味であった。これら三人の子供達に父親は世界の權限を分割した。

 この時點で物語は統一性を失う。ツキヨミは最早語られなくなり、そしてアマテラスに關する 聖傳はスサノヲのそれから分かれてしまい、神話の後半では兩者に亀裂を生じるような形になる。アマテラスとスサノヲは酷い喧嘩をし、遂にはスサノヲはアマテラスが彼女の天の織女達と坐って仕事をしていられるとき天の天井に穴を開け、その穴から逆向きに皮を剥いだ天の斑馬をり込んだ。この不敬な行爲の結果は餘りに悲惨なものであったので、アマテラスは一季節天の洞穴の中に籠もわれてしまった。そこからは八百萬の神と言えども彼女を誘い出すことは難しかった。ここでスサノヲは追放され、アマテラスが世界の女王であり續けたのである。然し乍ら、不思議なことだが、アマテラスは背景に退いたまま、神話の大部分はスサノヲとその子孫に關する物語で占められる様になり、彼らは日本王國ないしは出雲の地方を代表するようになる。スサノヲ自身は父親が指示した通り、海の支配者であるはずだが、この規律は度外視され、奇妙に語られる多情な話が先行し、それから出雲の八岐大蛇(ヤマタノオロチ)に出逢い、後に氣紛れで不快なハーデス神として再登場する。」

  然し、チェンバレインの目的は日本歴史を書くことで、不可解な部分の多い神話の部分は出來るだけ削り、出雲から大和朝(諸代天皇)方へ話を移すためにスサノヲに重點を移し、出雲へと導くので、アマテラスはこれでお終いとなる。特に奇妙な天の岩戸の話は略してしまう。これはチェンバレンの見識であろう。勿論チェンバレンは詳細を知らないわけではなく、一方では『古事記』を英譯しているの(1919)、英文の部では彼の譯を附録として附けるが、ここでは日本人にはよく知られたことであるし、もっと簡潔に「洞窟」の話の顛末を記しておこう。

  スサノヲの數々の無禮な振る舞いに怒ったアマテラスは天の岩戸に籠もってしまう。その爲に作物は出來なくなり人々は饑えることになる。そこで、八百萬の神は洞窟の前に集まって懇願するのだがアマテラスは肯んじられない。その内、賢い神が出て、アメノウズメノミコトを招き計畫を實行する。ウズメは踊りが得意で卑猥な踊りまで披露する。すると八百萬の神々は皆喜んで(燈かりは點けていたのでしょうね)ヤンヤの喝采をする(もう一つ鏡や鶏の逸話が入るのだが、省略する)。そこで洞窟内で不審に思われたアマテラスが、少し戸を開けて外の様子を見(このとき鏡の細工があるのだが省略する、詳しくは附録に引用する鈴木三重吉の譯をみられたい。)。この時とばかり、タジカラノミコトが戸とスッカリ開けてしまい、アマテラスがもう洞窟の中に入られないようにしてしまう。アマテラスの心理は分からないが、これで頑な様子も溶けて、洞窟を去られ、住處に戻られる。こうして太陽は再び耀き出し、饑饉は解消する、というのが大體のあらましである。

 ここで重要なのは、チェンバレンは端折ったところだが、ウズメが大きな働きをするという點である。このこととパウサニアスが傳えるアルカディアのデメテルの洞窟雲隠れの話は呼應していることは明らかであろう。詰まり、その前にアマテラスがデメテルに、スサノヲがポセイドンに對應する事も明らかであるが、洞穴が兩方に現れ、天の宇受女賣命がイアンボ乃至バウボに對應することは明らかである。デメテルのようにアマテラスは放浪はしないが、弟に馬で打擲されるところはソックリである。馬は古代日本には居なかったもので、ウマは大陸ではマと呼ば(梅ウメがメと呼ばれたように)この神話の起源が大陸にあることは明らかであろう。馬の起源は分からないが、ギリシャでも珍重されたもので、何處で讀んだか忘れたが、創造物としては、馬は駱駝や驢馬や山羊その他の創造物より數等上なのである。從って、スサノヲに馬が憑いているというのは重要な對應であろう。繰り返すが、話の要點に洞窟が關わることで、デメテルが豊穣の神であることと、アマテラスが地を支配する太陽神であることとの對應も著しい。

 

§5. ただ日本神話にはエウメニウス乃至エウメニデスに相當する二重性がないように思う。慰撫するより崇める方が上位に來るのであろうか。イザナミは慈恩(エウメニウス)であるかも知れないし、同時にエリニュスかも知れないが、二重性とまでは行かない。出雲のオホクニヌシに纏わる神話には醫療に通じる話が入るが、二重性は強くはない。尤も探せば、希求と忌避が重なるような話は日本にもあるかもしれない。

 本來、イザナギとイザナミの話もオルフェウスとエウリュディケの話も似ているのであるが、内實はソックリではない。尤もその距離感は西洋と東洋の距離よりも近くて、起源が同じであることは匂い、同様にアマテラスとデメテルの對應も偶然ではなく、起源を同じくすると考えられるのであるが、少し距離感があるのであろう。起源は恐らく、文字もない時代に溯るのであろうしアフリカからアジアまでの長い道程を挾んでのことであって、最早辿れるものではないであろうが、エリニュスの神話は人間固有のものとして、また時代や民族を越えて形を變えながら、然し不易のものであるということであろう。

  こうした話は少し文化人類學の話に通じると思う。嘗てクロード・レヴィ=ストロース(1908~2009)がスサノヲを世界に共通するバイトゴゴの一人としたように、いろんな逸話がグローバルである可能性は大きい。スキアパレリが洪水神話から中國のYao()で採り入れたのは感心だが、日本神話までは及ばなかった。ただ、Ladon川を落としているのは運河論者としては迂闊だが、1976年にLadon Vallesとし(029°W22°S)りに命名されたのは結構であった。

 

附録:

 ここ和文では鈴木三重吉(1882-1936)の『古事記物語』(角川196831)から、該當する部分を補充しておく(インターネットによる)。有名な「天の岩戸の話」である。

 「すると(須佐之男の)命は、ますます圖に乗って、しまいには、女たちが女神のお召物を織っている、機織場の屋根を破って、その穴から、ぶちの馬(アメの斑馬)の皮をはいで、血まぶれにしたのを、どしんと投げこんだりなさいました。機織女は、びっくりして遁げ惑うはずみに、梭で下腹を突いて死んでしまいました。

 女神は、命のあまりの乱暴さにとうとういたたまれなくおなりになって、天の岩屋という石室の中へお隠れになりました。そして入口の岩の戸をぴっしりとおしめになったきり、そのままひきこもっていらっしゃいました。

 すると女神は日の神さまでいらっしゃるので、そのお方がお姿をお隠しになるといっしょに、高天原も下界の地の上も、一度にみんなまっ暗がりになって、それこそ、昼と夜との区別もない、長い長いやみの世界になってしまいました。

 そうすると、いろいろの悪い神たちが、その暗がりにつけこんで、わいわいと騒ぎだしました。そのために、世界じゅうにはありとあらゆる禍が、一度にわきあがって来ました。

 そんなわけで、大空の神々たちは、たいそうお困りになりまして、みんなで安河原という、空の上の河原に集まって、どうかして、天照大神に岩屋からお出ましになっていただく方法はあるまいかと一所懸命に、相談をなさいました。

 そうすると、思金神という、いちばん賢い神さまが、いいことをお考えつきになりました。

 みんなはその神の指圖で、さっそく、にわとりをどっさり集めて来て、岩屋の前で、ひっきりなしに鳴かせました。

 それから一方では、安河の河上から固い岩をはこんで来て、それを鉄床にして、八咫の鏡というりっぱな鏡を作らせ、八尺の曲玉というりっぱな玉で胸飾りを作らせました。そして、天香具という山からさかきを根抜きにして来て、その上の方の枝へ、八尺の曲玉をつけ、中ほどの枝へ八咫の鏡をかけ、下の枝へは、白や青のきれをつりさげました。そしてある一人の神さまが、そのさかきを持って天の岩屋に立ち、ほかの一人の神さまが、そのそばで祝詞をあげました。

 それからやはり岩屋の前へ、あきだるを伏せて、天宇受女命という女神に、天香具山のかずらのつるをたすきにかけさせ、かずらの葉を髪飾りにさせて、そのおけの上へあがって踊りを踊らせました。

 宇受女命は、お乳もお腹も、腿もまるだしにして、足をとんとん踏みならしながら、まるで憑きものでもしたように、くるくるくるくると踊り狂いました。

 するとその様子がいかにもおかしいので、八百万の神たちが、一度にどっとふきだして、みんなでころがりまわって笑いました。そこへ鶏は聲をそろえて、コッケコー、コッケコーと鳴きたてるので、その騒ぎといったら、まったく耳もつぶれるほどでした。

 天照大神は、そのたいそうな騒ぎの声をお聞きになると、何ごとが起こったのかとおぼしめして、岩屋の戸を細めにあけて、そっとのぞいてご覧になりました。そして宇受女命に向かって、「これこれ私がここに、隠れていれば、空の上も真っ暗なはずだのに、おまえはなにを面白がって踊っているのか。ほかの神々たちも、なんであんなに笑い崩れているのか」とおたずねになりました。

 すると宇受女命は、「それは、あなたよりも、もっと貴い神さまが出ていらっしゃいましたので、みんなが喜んでさわいでおりますのでございます」と申しあげました。

 それと同時に一人の神さまは、例の、八咫の鏡をつけたさかきを、ふいに大神の前へ突き出しました。鏡には、さっと、大神のお顔がうつりました。大神はそのうつった顔をご覧になると、

「おや、これはだれであろう」とおっしゃりながら、もっとよく見ようとおぼしめして、少しばかり戸の外へお出ましになりました。

 すると、さっきから、岩屋のそばに隠れて待ちかまえていた、手力男命という大力の神さまが、いきなり、女神のお手を取って、すっかり外へお引き出し申しました。それといっしょに、一人の神さまは、女神のおうしろへまわって、「どうぞ、もうこれから内へはお入りくださいませんように」と申しあげて、そこへしめなわを張りわたしてしまいました。

 それで世界じゅうは、やっと長い夜があけて、再び明るい昼が来ました。

 神々たちは、それでようやく安心なさいました。そこでさっそく、みんなで相談して、須佐之男命には、あんなひどい乱暴をなすった罰として、ご身代をすっかりさし出させ、そのうえに、立派ななお髭も切りとり、手足の爪まではぎとって、下界へ追いくだしてしまいました。」

 

 


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