戸田盛和氏の訃報

南 政 次

CMO #378 (25 November 2010)


 戸田盛和(もりかず)氏が(2010)116日にお亡くなりになったことを新聞で知った。19171020日生まれで、93歳になったばかりであった。『朝日新聞』福井版によると「自然界の複雑な動きを解き明かす非線形物理の研究者。1960年代後半、粒子同士が近づくと、しりぞけ合う力が急激に高まる『戸田格子』の数式を提案した。コマ、おもちゃなど身近なものを題材にとった著書も多く、遊び心豊かな物理学者だった」とある。

 

戸田先生は京都とは特別ご縁がなく、私は直接教えを受けたことはないが、研究集會などでお會いすることはあった。1980年代と思うから、先生はまだ還暦頃だったと思うので、私にはお元氣そうな戸田先生の姿しかない。從って、93歳と言えば天壽を全うされたと思うのだが、訃報を知って急に寂しさを感じて、暫し感慨に耽った。

 

戸田氏は元來、統計物理とか物性論がご専門で私などとは分野が違うのだが、戸田格子の戸田方程式は實に汎用で、血液論などにも現れたらしいが、天體力學などからも注目されたし、素粒子論では随分長く話題になった。多分モノポール理論に一番近かったと思う。但し非線形方程式であるから可積分性は簡單ではなかった。一方、當然數學では恰好のモデルとなった。

 

私は最初それほど興味がなかったが、1980年ロンドンのキッブル教授の「場の理論」研究室に行くことになって、昔、京都で會ったということでその研究室のD.O.氏と組むつもりであったのだが、D.O.氏から來た手紙に(當時emailなどはなかった)(D.O.氏は悪筆で)讀めない固有名詞があり、美國人に讀んで貰ったところTodaだということで、向こうでは戸田方程式をやっていることが判ったという經緯に始まる。そこで戸田格子の資料は澤山持って行ったけれども、實際にはロンドンではD.O.氏ではなく、ルース・ファーウェル(Ruth FARWELL)さんと組んで日夜、多元戸田方程式をやったものである。(ルースさんに依るとD.O.氏はunderhandだということであった。) ただ戸田方程式系の非線形方程式は確かにソリトンと呼ばれるものを扱っているのだが、素粒子論とは何となくズレがあったように思う。滞在中論文はルースさんと共著で數學的な物を二、三本は書いたと思う。一番長かったのは、「岩澤分解」によって多元非線形「戸田方程式」を解くというもので、タイトルには岩澤と戸田という日本人名が二つも入った論攷であった。これは英國で出た。

 

勿論歸國してからのことであるが、京都の研究會のあと晩餐会か何かで四條河原町の方に出ることになり、バスで偶然戸田先生と隣り合わせになった。實はね、岩澤君とは舊制武蔵高校の同級生なんだよ、と仰有り、お笑いになった。岩澤健吉氏は當時美國に在って、縁遠い人という感じであったが、たいへんな數學者で、これは吃驚するような偶然と思った程である。岩澤氏はウィキペディアに據ると1987年に歸國され、1998年に死去されている。東大では戸田さんは物理出身、岩澤氏は數學出身であった譯である。ウィキペディアに「ヴィエーユに日本人で最も独創的な數學者」と言わしめたとあり「岩澤理論はワイルズによるフェルマーの最終定理の解決に決定的貢獻をした(證明が一回否定された後、岩澤理論を使って證明できた)」とある。岩澤氏はコール賞數論部門を受賞されているが、日本では何も貰っていないのではないかと思う。

 

これはまたの別の京都の研究集會のことであるが、偶々ルースさんが日本(の私の勤務先)に來ていたので、研究會場で發表者が換わる時を狙って、ルース・ファーウェルが來ていますので、お逢いになっていただけませんか、と小聲で申し出たら大會議室を出られ、ファーウェルに廊下で挨拶された。あとで曰わく、ファーウェルさんが女性だとは知らなかったなぁー、とのことであったが、ルース(Ruth)は誰が見ても女性の名である。一方、ルースに戸田先生の印象を訊いたら、即座にhumbleな人だと言っていた。ハンブルというのは「卑しい」「見窄らしい」という意味にも使われるので、オヤオヤと思い、何度も説明を受けたが、強情なルース氏はhumble以外にはこれといった事は言わなかった。本當の意味は「謙虚な」とか「偉ぶらない」とかいう一流の褒め言葉なのであるが、われわれは二流の英語しか知らなかった譯である。多分、最初のルースの想像では戸田教授は偉そうなでっぷりしたプロフェッサーと想像していたのかもしれない。

 

戸田格子理論を含む非線形方程式群は、私がロンドンから歸ったあとだったと思うが、勤務先の數學者達によってたいへんな進歩を遂げ、數學的に非線形可積分系として大きく一般化された。一般化というのは、一寸語弊があるかも知れないが、非常な大きな器に入れ換えられ、その特殊な場合として、KdV方程式やKP方程式、戸田さんのもとの方程式が出て來るというような意味である。私はこの有名な數學グループとは縁がなく、その研究過程を具には知らないのであるが、1986年、臺灣に呼ばれたときは(私の個人的な目的は火星觀測)、そのグループの神保道夫君(1951~)から肉筆の細かな計算過程などのコピーを貰い、それを使って國立臺灣大學での講義の材料を作ったことであった。臺北では多分戸田方程式の一般化というようなテーマで、毎週一回二時間ずつ半年以上行ったのであるが、物理からも數學からも注目され、聴衆は學生だけでなく、教官も出ていて結構な數であった。非常に大きな命題から入って行って、次第に特殊化する方法を採ったのであるから、最初は難解であったろうと思う。神保君から貰った綺麗な計算などは私にも甚だ面倒であった(神保道夫氏は今年2010年のウィグナー・メダルに選ばれた。量子群ではフィールズ賞候補であった。年齢が少し引っ掛かっただけであった)。可笑しかったのは、愈々シンプルな場合として元の戸田格子を導出したときには、これで充分だという雰囲氣が現れ、それっきり講義を聴きに來なくなった教官が少なくとも一人居たことである。尤も、臺北天文臺まで質問に來た學生もいた。

 

私の1986年は正式には臺灣の中央研究院(當時の院長は呉大猷氏)に招かれていたものだし、臺北の研究集會はこちらでの方が多く、前にも書いたが、久保亮五氏(1920~1995)が見えられたこともある(久保氏は父親が戰前臺北大學の教授で幼少の頃臺北にいられたことがあるし、美國で呉大猷氏の友人でもあった)。江口徹(1948~)さんも講義され、神保君の來られたのもこの時だったかも知れない。私は久保先生と並んで拝聴していたのだが、誰も彼もTodaを引用するので、久保先生は講義を聴きながら「Todaさんって有名なんだな」と呟かれたものである。久保先生はお年は戸田先生の少し後なのだが、同じ分野で、共著もある。久保先生は早くからゴム彈性論や久保公式などで有名で、ズッと東大であった。戸田先生はいまは無き東京教育大學へ移っている。東教大はその後筑波大學になるのだが、戸田先生は同行されず(從って新聞には東京教育大學名誉教授とあった)、横濱國大などで教えられた。その經緯は知らない。その後久保先生は文化勲章まで貰われ、戸田先生は学士院賞止まりであった。文化功労賞も貰っていないと思う。戸田理論は當時の物理・數學界を席巻していたのであるから、私には不思議なのだが、こうした點も戸田さんがhumbleだった所爲なのだろうと思う。戸田さんは専門書も多彩で楕円凾數の本も書いているし、非線形の本はシュプリンガーから英語で出されており、外見は遜色はないと思うが、戸田先生のパトロンもファンも皆、ハンブルだったのであろう。 

 

私は「おもちゃ」の本は讀んでいるし、ルースにも面白いところはコピーを送った。但し、私は退官してから、いかなるニュースも得ていない天上人で、戸田さんに『物理学30講シリーズ』全10巻という著書のあることを知ったのは最近である。宇宙論と素粒子論まで入っているらしい。尤も一般書であろうし、出足の遅かった戸田方程式が幅廣い應用を持ちながら、これといってピッタリとヒットをしなかったこととも關係のあることで、戸田さんの人柄だろうと思う。

 

餘談になるが、ルース・ファーウェルさんはその後物理(もともとはクリフォード代數が専門)から撤退し、英國の高等教育に心を砕いている様子で、2006年までロンドンのSouth Bank Univの副學長であったが、いまはBucks New UnivVice Chancellor (VC)である。VCを副総長と譯すのは誤譯で「學長」である(ケンブリッジ大のVCも矢張り女性だが、Chancellorはエディンバラ公で形式的である事が判る)。ルースさんは英國のGuildHEという組織のChairでもある。YouTubeでも喋っている。聲は昔と同じであるが、いまでは恥ずかしながら彼女の英語は殆ど解らない。今度直ぐに戸田先生のご逝去をemailで知らせたが、即返事で、お知らせ有難う、一時代の終わりを意味しますね、と言って來た。われわれもToda方程式から三十年經った。戸田先生のご冥福をお祈りする。


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