新・歳時記村 (4) 

三 薦 苅・三 題 噺


 

I.

 上田の飯島商店の「みすず飴」が私の信州土産の定番なのだが、「みすず」は「みすずかる」という信濃にかかる枕詞が由来であると理解していた。今回なにか長野に因んだ良い和歌がないか萬葉集を繙くが、見つからず、広辞苑で調べて見ると、「みすず」(水篶・三篶)、スズダケの異称、「みすずかる」は「みこもかる」(水薦苅・三薦苅)の誤読とある。確かに中の漢字の書体は似ていて草書・行書では間違いやすいように思う。あらためて萬葉集を調べると、「みこも苅る信濃の真弓・・」と和歌が二首あり、脚注には「大宝年間に信濃の国から梓弓が献上された(續日本記)。信濃産の弓は有名だったらしい」とあった。信濃のなじみの地名も萬葉集の地名索引には見つからず拍子抜けだった。それでは「みこも」とは何かといえば、「産物によるか?」とあるだけでよく解っていないらしい。

 

 

II.

 今年の夏も、懇談会の伊那を始め、幾度か「みこもかる信濃の国」を訪ねた。六月には上田に数年ぶりで行くことができた上、八月には恒例の蓼科合宿で登山と流星観測を楽しめた。蓼科・八ヶ岳は高校生の夏合宿で初めて入山して以来、毎年のように訪ねる馴染み深い場所で、中学の林間教室も野辺山の信州大の施設だったのを覚えている。

 体力の衰えを年々感じていて、今年の登山は少し楽な「硫黄岳」へと向かった。いつもの道をたどり、お馴染みの「トリカブト」「キバナオダマキ」「ツリガネニンジン」など山野草の花に迎えられ、ホームグラウンドに戻った懐かしさを感じた。すれちがう登山客には恥ずかしいくらいの軽装で、陰で戒めの対象されそうな格好だったが、どうにか昼過ぎまでに登り切った。下から見ても山頂には雲がかかっていたのだが、森林限界を超えてハイマツが出てくる頃からガスの中に入り、全く眺望に恵まれなかった。風と寒さもあって早々に下山を始め夕方には山荘に帰り着いた。下りでは足にかなり疲労を感じていたが、朝八時出発で午後四時まで歩き続けた山登りだった。

 

 

III.

 信州の食べ物では、「蕎麦」が好きである。今年は上田の「刀屋」を初めて訪ねた。池波正太郎氏お勧めのこの店は、氏の食い道楽エッセイに写真入りで度々登場する。思っていたより小さな店で、昼時のこともあり観光客も含め行列ができていた。まずまずの味に思ったが、驚いたのは蕎麦の量である。「小」が普通の一人前であり、中、並、大と山盛りになっていく。立て込んでいてゆっくり献立も見る余裕がなかったが、次回訪ねるときは午後の時間にゆっくりと「ちらし(天麩羅)」でビールでも飲んでこようと思っている。

 伊那の懇談会では、「馬刺」「川魚」と信州の幸いっぱいの会食膳を囲むことができた。「瓜の粕漬け」など信州ならではの味である。前回、伊那を訪ねたときに食べ損ねた「ソースカツ丼」も昼食に注文した。ボリュームがあり平らげることができなかったのも歳のせいか。

 

 中央線沿線の駅には色々な駅弁があり、甲府「信玄鍋飯」、小淵沢「元気甲斐」「高原野菜とカツ弁当」などどれも懐かしい。今回の旅では、大月「かがり火弁当」を食べてみたが普通の幕の内で新鮮味がなかった。塩尻「とり釜飯」の面白い話もあるのだが、それは次回にでも。

 

 村上 昌己 (Mk)      


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