CMO Ina Meeting Report (2)

 

MINAMI's Talk at the Ina Meeting

on the Morning of 3 August 2002

 

 

  徹 Tohru IWASAKI

 

 前夜皆さんは朝方まで話されていたそうである(筆者は先に失礼しました)が、3日の午前の集会では朝9時から寝不足だといいながら南(Mn)先生が長い車座談義をされた。今回、和歌山の尾代孝哉(Os)さんが初めて参加されたということで、Mn氏からご紹介があり、Os氏が田阪一郎さんのお弟子ということで、田阪さんについてのMn氏の感想から話を始められた。田阪さんは火星の暗色模様は低地でなく高地であるという仮説を立てたかただが、 火星面について仮説を立てて、それをもとに観測する、というのは優れた方法で、彼は文章が書ける点も見習ってほしいことであるというようなことであった。仮説を立て、観測し、文章が書けるということではローヱルもそうで、Mn氏はローヱルは何故あんな馬鹿な観測をし、何故あんなも力的な火星像を残したかについて再評価すべきと考えている。・・・最近、DOBBINS氏が田阪さんの196567年頃のスケッチを日本の観測のスタイルを伝えていると評価している、ことを挙げられた。

 

★昨年の大黄雲は来るべくして来たという感じであったようで、これを迎え撃つために『火星通信』を出し、観測方法を流布してきたわけだから、少しの不満を別にすれば、結構であった、と仰有る。Mn氏は村上(Mk)氏などの昨年のInternet活動を評価されている。

『火星通信』の出発は1956(Mn氏は当時高校三年)の大黄雲の佐伯先生の観測法やまとめ方に早くから疑問に思われたところにあるらしい。佐伯氏は黄雲は台風だから、地球での熱帯性低気圧の動きと共通すると考えていたようだ。小さい数字にこだわりすぎて、一日に何km進んだとか、上空何kmに達したとか、実際の黄雲運動の観測や観点がなおざりにされていた。観測などが飛び飛びで、間を埋めるものがないところでも佐伯氏は強引だったようだ。

 一世代前は、模様の発見ということが主で、季節変化、時間的変化などまったく考慮されていなかった。火星面の模様を発見することに力を注いでいる時代には、火星面に運河を何本見たかで、評価されるわけで、せいぜいどの季節には運河が良く見えるか、という程度の季節感であった。黄雲については、これを見た、ここに出た、と断片的な情報しか集まらなかった。

 確かに佐伯氏は1937年などに新模様の発見の功績がある。しかし、真の天才は一度成功した手を二度と使わないものだが、佐伯さんはそれを引きずって長く君臨した。Mn氏は大澤氏の活躍の場が欲しかったと思っていられる。晩年になっても佐伯氏は若いときの功績を観測史にとどめようとしたのか、『天界』にいまでは殆ど意味のない火星地名の記事を綿々と連載した。

 

★巷間では、黄雲にはlocalregionalglobalと分類されているが、これは黄雲のラベルであって、観測時の様子を伝えるものではない、globalな黄雲はlocalなものから発達すると考えるのは間違いである、とMn氏は強調された。

1973年の大黄雲は十月13日に発生し、福井ではそれを知らずに15日に中島(Nj)氏と一緒に独立「発見」したが、紛れもなくこれは大黄雲であると直ぐに直観できた由である。勿論、黄塵はソリス・ラクスのところに留まっており、globalになるかどうかは未だ先であるが、これがgreat dust stormであることは既に明白であったという。これがlocalであって、これからgreatになるというのは観測上意味をなさない、とMn氏は怒る。季節は300°Lsであった。普通は260°Lsぐらいで起こるので遅い。ただ、ダスティな状態はその前から続いていた。あとから考えると、1973年前半には、強い黄雲が出ていた可能性がある。宮本氏は視直径7秒角台から始めている。4″台から始めていれば、引っかかっていたかもしれない。これは観測史上大きな失敗であった。黄雲というのは、火星面全体にダストの立ち込めが高まってきたときに起こる可能性が高い。大沢氏は1973年の早い時期にダスティなボンヤリとしたスケッチを得ている。これがDaedaliaの暗帯を引き起こした可能性がある。

 1971年には海老澤氏がムードンで黄雲の前兆を見ているが(小さな砂塵嵐)、それから暫くしてNoachisに大規模なものが起こった。マリナー9号が写真を撮れないほどの、史上最大規模のものであった。

 1956年の黄雲は勿論大黄雲である。八月20日に出た黄雲はlocal dust cloudではなく、great dust cloudだと言ってよい。しかし、1956年黄雲はglobalではないとMn氏は考える。しかし、encirclingであることは確か。宮本氏は北半球にも及んでいると言っていたが、南半球で極地を回るように拡がっていっただけかもしれない。1973年もグレートでエンサークルであったが、どうも分からない、と言う。観測が少なすぎた。

 

★昨年の場合についてのMn氏は七月1日の足羽山の観測でこれは大黄雲だ、greatというよりもglobalだと直観した、と回顧する。Nj氏も同様。黄雲は朝方に横ブレよりもタテの動きがあって発達する。MGSは火星面の午後2時の観測しかしないので余り役に立たない。

 1956年の村山氏や海老澤氏の観測では、コン棒状の黄雲は朝から夕方まで形を変えない。しかし、次の日には変わっている。この変化をもって、「一日に何km拡がった」等としてはいけない。実際は、そんな動きはしていない。1971年のローヱルの資料では、書き手のボームが非常に不思議だと言っているが、例の1971b大黄雲は朝縁で白く輝きながら出てきた由である。「白雲の水蒸気が黄雲の発生に重要な働きをしている」と宮本氏などは言っていたが、誰も注目しなかった。B光の写真はこれを捉える可能性があるので重要である。米国ではブルー・クリアリングのためにB光を用いているが、ブルー・クリアリングの監視などバカげている。

 ビーシュ氏はわれわれがALPOの論文を読んでいない、と言っているらしいが、そうでもなくて、彼らのグループは、yellowという言葉を使うな、ということになっていることは知っている。赤色光で見て、斑点が捉えられれば黄雲というらしい。Redで見えれば通常光でも見えるはず。それにエアボーン・ダストは黄色であって、問題は赤ではなく黄色である、とMn氏は仰有る。眼視のフィルターワークは殆ど必要ない。米国の黄雲に対する認識は極めて特異だから、昨シーズンは黄雲が日本側で起こって良かった、とMn氏は回顧する。

 MGSが午後2時にしか動いていないから、それを朝方に持ってきているので、朝霧が出ていない、というようなことは注意する。

 今年になって、MGSの「WeatherNews」というものが、一週間毎出ている。小さい黄塵が北極冠の周りにいくつも出ている。こういう黄塵は黄雲と関係がない、毎日の砂塵は火星の大気の大きな成分であって、地球上の水蒸気のような働きをする。地球では雲は毎日出ている。

 

Mn氏は皆さんに来シーズンは早めの開始を依頼した。2001年はゆるやかな現象であったが、ソリス・ラクス辺りには毎日のように砂塵嵐が出現していたから、永年変化があるかも知れない。早期観測はあとから価値が出てくるそうである。

 

 以下は、観測方法についてのMn氏の言説をメモ風に:

 

☆ 火星観測はシスティマティックに頭を働かせて行なう必要があるが、運が左右し、なかなかうまくいかないのが普通。四十分観測は、何か起こったときには貴重な経過を捉えることができる。できるだけ毎日同じ時刻に観測する。そうしないと四十分の意味がない。単発的な観賞用の写真などは殆ど意味圏には入ってこない。ラフでいいから、メモを全面にわたってしっかりととること。とくに周辺に注意。南極、北辺、朝方、夕方。

 

 火星は高をくくっていると、しっぺ返しを食う。臨機応変に新しいメソッドを採る必要がある。ウェッジ・フィルターの使用を拒む人もいるが、それでは駄目だろう。森田(Mo)さんはTPにこだわり過ぎてCCDが少し遅くなった。火星という対象は非常に大きなものであって、大きく方法を広げて挑むことが良い。火星にはそれをとらえてくれる「包容力」がある。

 

 2001年のように黄雲が出た場合、何を採って、何を捨てるかという選択が必要になる。機微が必要。みんな体験したと思う。上に置くべきものは高く置き、下に置くべきものはそうする(南註、これは道元の典座教訓からの話、『火星通信』#113(25Jan1992)參照、或いは次のWeb參照

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/Zure19.htm )

 

 次に、危機管理意識を平素から持っていないと対応を誤る。ここぞという時に、集中してやる。阿久津(Ak)さんは自戒するように器械のトラブルで六月28日などシスティマティックに撮れなかった。だけでなく、心理的ダメージがその後のデータ集めなどに影響が出ている。また、ここぞというときに、欠測したりするのはバランスを欠くことである。黄雲の発生など一生一度のチャンス。野暮な残業などで逃してはいけない。

 

 望遠鏡のトラブルについても、どこがどうなったら、どこに連絡する、というような危機管理をする必要がある。Mo氏の赤道儀は一時不能になったが、ひどく惜しい。機器に恐怖心を持つ。パソコンデータのバックアップをとることも必要だろう。ウィルス対策などの分野においても、お互いに情報交換をすすめてほしい(Mn氏の述懐:昨年の沖縄で、Mn氏のパソコンはウィルス対策がとられていなかったそうで、もしアタックされたら、昨年夏の活躍は不可能であったろうということである。危なかった話)

 

 一旦大黄雲が起こると、カタストロフが不完全な場合次の年にも起こる可能性があるので、2003年も注意が必要。早いか遅いか予想はできないが、ある範囲をカバーしなければならない。2003年二月、三月は火星の高度が低いので沖縄グループに期待する。

 

 大黄雲には引き金のような前兆がある。ダスト(地球でいう水蒸気)が蓄積されてくる。何か起こる前には出るので(CCDでは多分捉えられない)、眼視でチェックしなければならない。

 

 スケッチでは視直径と観測者の能力がバランスをとらなければならない。スケッチ径は個人差があるが、小さすぎても大きすぎてもダメ。南極冠、北極雲の大きさとの関係をしっかりと描くように。明斑などもスケッチ径でよくその大きさを再現する。最も明るいところだけに集中すれば、点にしかならない。しかし、多分明斑は面積を持っているはずだから、良くまわりを再現するように。動く雲も同様。変化のあるものを第一に。ど真ん中のシュルティス・マイヨルなど、言ってしまえばどうでもいい。

 

 以上、失礼ながらMn氏の辛口内輪話を取り急ぎまとめました。



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