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Ten Years Ago (100)
- CMO #140 (25 December 1993) -- CMO p1327 ~p1342 --

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の號では、八頁強を割いて、12 Feb (λ=039°Ls)に森田行雄(Mo)氏がω=193°Wで撮像したエリュシウムでの黄塵による擾亂について詳述している。概略は既に#130, #131で述べているが、これはNote (13)として纏めたものである。二月の天候は概して思わしくないものの、エリュシウムの見える時機は2 Febから14 Feb邊りまで、その間當該地域は日本だけでも六十八の觀測が得られていて、その概要がレヴューされている。しかし殘念ながら、問題の12 FebMo氏とIw氏だけで、しかも、Iw氏は早々と觀測を打ちきっているために、Mo氏の單獨觀測となった。福井も天候が回復したのは18 Feb以後で、最早エリュシウムはヨーロッパへ移っていたわけである。幸い、ヨーロッパで幾つかの觀測が拾われ、リスト2には十六の觀測が載せられている。13Febにはディジョン(JDj)氏のccd像があり、夕方の明るいエリュシウムを捉えているほか、ビヴェール(NBv)氏などのスケッチも得られている。以降17 Febまでは連續してヨーロッパで觀測されている。彼我の觀測を比べると、ほぼ12Febから14Feb頃まで強い擾亂が續いたようである。ここでは詳しく紹介できないが、Note (13)の論説は可成り面白いので、振り返っていただきたい。北半球での黄塵については餘り注目されて來なかった所爲もあり、資料は少ないのであるが、後にMGSλ=040°Ls邊りで北極冠の周りでの擾亂を觀測したのを初め、幾つか知られており、また1967年の佐伯・宮本の觀測もあるわけであるから、今後、北半球がこちらを向く機會に、こうした觀測を纏めて洗い出すことは必要かと思う。

 「夜毎餘言(XLI) は日本語では餘り英語のような關係代名詞を使わない方がいいという筆者の考えを述べたものである。使い方の下手な例と上手い例を擧げてあるので參考にされたい。

 LtEではグレアム氏(DGh)BAAの土星課のディレクターになったことが出ている。長谷川一郎氏からはドルフュス氏のアントニアディに關する文獻を送っていただいた。先號の理査・麥肯氏のアントニアディ稿の最初に載っている文献で、筆者は初見であった。他に當然、年末の挨拶が幾つか載っている。グリーティング・カードから、ヴァレッル(JWr)氏の圖柄とBAAのマッキム(RMk)氏からの圖柄がコピーされている。前者はウプサラの教會の俯瞰圖、後者はいまもBAAの本部が入っているBurlington Houseのこれはどうでしょうね、未だ十九世紀か、多分ヴィクトリア朝の頃の版畫である。道路にはLipton Teaの看板を掲げた二階建てのバスならぬ、馬車が走っている。

 CMO Fukuiには既に翌年1994年のOAA總會が福井で開かれるとあるから、多分Nj氏はじめ、もう準備に入っていたと思われる。

 (Mn)

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TYA #001 - #099

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