1996/97 Mars Sketch (1)
from CMO #197
(25 November 1998)


--107°Lsにおけるエリュシウムから朝方に掛けての朝雲活動
−比嘉氏の観測を中心に --


English here


20Apr1997邊りでエリュシウム南部から朝方西方にかけて濃い朝霧のburstが二つ玉の形で見られたことについて、#190 p2082 (英文はp2084)で、特に比嘉(Hg)氏の觀測を中心に報告したが、Hg氏の觀測は充實しているのでここではそれをやや詳しく解説・補足したい。Hg氏の画像に現われた朝雲の様子は、特に西側の喰み出し雲が實に印象深いものであって、Mk氏もHg氏からFDで報告を受け、再三その印象を筆者宛のemailで述べている。

最もこの二つ玉の朝霧が顕著に現われているのは、20Apr11:55GMTω210°W邊りの數点(12:03GMTω=212°W12:12GMTω=214°W)であるが、動画の方に11:20GMTω202°の画像があり、まだ朝方は不鮮明で、然し既にエリュシウム上は白く、アエテリアの暗斑の南まで流れているという状態である(Hg氏のその後のお便りによると、20Aprの觀測は11:1912:24GMTであった)。11:55 GMT ω=210°Wのプリントはカラー像だけでなく、赤色像、青色像が分離されていて、特に青色像に二つ玉は顕著である。従って白色雲であることは間違いない。尚、20Aprで季節は107°Ls、視直徑δ=12.5"、位相角ι=25°であった。一方、Hg氏は前後の19Apr21Aprを撮影しているので、ある程度比較が可能である。19Aprには12:20GMTω225°Wの像がある。エリュシウムは既に午後側に移っていて、明るいが喰み出しの部分は明確ではない。ただ、シュルティス・マイヨルは西端から顔を出し掛かっているが、この邊りには朝霧が見えている(Hg氏のその後の聨絡で12:48GMTω=232°Wの画像を頂いた。この時の撮影時間帯は12:4613:21GMTの由)。エリュシウムに續く雲海はシュルティス・マイヨルの朝雲と同質であろうが、朝方可成り長く持続するものの、正午に近づくにつれてエリュシウム上の雲より薄れたものであろうが(ω=232°Wではシュルティス・マイヨル上と聨携しているが、エリュシウムは獨立して明るい)20Aprburstした可能性がある。

Hg氏の21Aprの像は動画で報告を受けたのが最初である。既に、#190p2082で述べたように、1) 11:40GMTω=193°W2) ω=202°W3) ω=212°W4) ω=222°W5) ω=232°W6) 14:40GMTω=241°Wと續く。
1)
ではまだエリュシウムが朝方である。2)はイメージが不好。3)20Aprの顕著な像に相当するが、20Apr程に著しくはない。拡散したか、イメージによる。但しエリュシウムは白い。4)では二つ玉の後者はやや弱いが、burstを残している。5)既にエリュシウムのみ白い。ケブレニアもやや明るい。6)でも同様である。[後に一部プリントで拝受したが、3)も含め雲は顕著でない。]
Hg氏の三日間の觀測は充實していて、見事である。同じ条件下での三日間の影像を見る限り、20Apr前後にエリュシウム南部から朝方にかけて白雲のburstがあり、アエテリアの暗斑の存在によって二つ玉になったことは間違いない。然し、21 Aprの像との比較が容易でないことからも分かるように、それ以上の判断は難しい。同じ器械、同じ角度からの像ではあるが、それでも氣流の相違があろう(1920Aprはシーイング7~8/10であったのに對し、21Apr5/10であった)し、動画と静止画の違いもある。實は、20 Apr11:55GMT前後の數像の比較でも違いが出るのである。同様に、ほかの觀測との比較は容易でない。

#190に既報のように、阿久津富夫(Ak)氏は19Apra) ω=213°W22Aprにはb) ω=183°Wc) ω=202°Wd) ω=218°We) ω=236°W(#190p2082の報告とωが少しずれるのは今回はB光の時刻を採っているからである)などに撮像していて、R光などは何れも良像であるが、B光は稍質が落ち、a)では朧気ながら二つ玉は見えるかという状態。c)d)においては確認できるが、Hg氏との20Aprのイメージとの比較は難しい。然し、Ak氏の像はHg氏の外している時間帯を狙っていて貴重である。一方眼視では同じ沖縄の伊舎堂弘(Id)氏が192021Aprと觀測している。19Aprω=223°Wで朝霧が大きい。20Aprω=240°W250°Wで稍時間的に遅い。21Aprω=212°Wω=222°Wの觀測だが、朝霧は大きいもののエリュシウム・モDPk's Imageンスの核が描かれていて、エリュシウムとの聨関がない。

19Aprの筆者の場合、定性的にはω=220°Wなどで、エリュシウムと獨立して朝霧がシュルティス・マイヨルに先行して見えていた(Id氏に似ている)が、ω=240°Wでは顕著ではなかった。20Aprには福井での中島孝(Nj)氏と筆者の觀測がある:ω=182°W(Nj)ω=189°W(Mn)から既に朝方からエリュシウムに掛けて濃い朝霧が觀測され、ω=194°W(Nj)ω=199°W(Mn)でも朝霧は大きく、ω=204°W(Nj)ω=209°W(Mn)でもエリュシウムから朝方に掛けて雲が靡いている状態で、ω=214°W(Nj)ω=219°W(Mn)で二つ玉になる。二つ玉になるのは、アエテリアの暗斑が仲を裂くからである。ω=228°Wでは最早二つ玉は見えない。シュルティス・マイヨルが出てくるが、以後こちらには朝霧が冠る。ω=248°Wまで觀察。比較は難しいが、Hg氏の2021Aprの動きと似ている。

Mk氏からの聨絡によると、MarsWatchのウェブサイトに唐那・派克(DPk)氏の7Apr(101°Ls)ω=208°Wの像があり、エリュシウムは白く、朝方は朝霧で惚けているようである。一方、日本からの觀察では五月の下旬に似たような光景が持續されて見えていた。例えば、筆者の觀測では28May (125°Ls)ω=190°Wω=200°Wω=210°Wω=219°Wω=229°Wω=239°Wなど。また、1995年の紀録を繙くと、筆者の觀測では31Apr1995(078°Ls)ω=215°W4Apr1995(080°Ls)ω=217°W(δ10.1")等に出ている。 從って、時期的には可成りの幅のある現象かと思われるが、残念ながら、前後の海外の觀測は(MarsWatchも含めて)情報として得ていないので幅を決めることは出來ない。然し、今までの映像やスケッチを見る限り、20 Apr(107°Ls)は特別鮮烈であった、つまり一つのピークであった可能性があると言えると思う。
(Mn/
)


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