1996/97 Mars Sketch (2)
from CMO #200
(25 February 1998)


--北極地から赤道帯への水蒸氣の移動と赤道帯霧--


English here


 ・・・・・・・1996/97年接近は火星の北半球の觀測に適していただけでなく、その北半球は強く太陽に照らされている時期にも當った。實際、既に26 Aug 1996に北半球の春分000°Lsに達し、12 Sept 1997に秋分180°Lsになったから、シーズン中殆どの時期でsub-Solar點は火星の北半球を指していた譯である。sub-Solar點の緯度が23°N以上の期間は16 Jan (δ=9.2")から08 May (δ=10.9")迄で065°Lsから115°Lsに對應した(夏至090°Ls13 Marで、この時はsub-Solar點は25.4°Nまで行った。最接近が20 Marであったから、殆ど夏至を頂點にした接近であったと言って良い)

 ・・・・・・・火星の夏半球の特徴は、極地が暖まるということである。春には赤道帯の方が暖められているが、sub-Solar點が20°Nともなれば、火星の70°N以北の極地は太陽が沈まない。火星の場合、大氣が稀薄だから、輻射熱によって夏至以前に極地が赤道帯よりも暖まって仕舞うのである。從って、極地では暖かい氣團が上昇し、上層を赤道の方に向かって移動するということが起きる。同時に、北極冠は相當に溶けており、極地の水蒸氣はこの氣團の移動で矢張り赤道方面に移動して行くわけである。・・・・・・・氣團の移動は上層を北から南に向かうのであるが、ここでコリオリ力という転向力が働き、西に向かい偏東風となる。但し、昼の氣塊は自転によって直ぐに夜に吸収され、冷却され下降するが、コリオリ力に押される分、遅延が起こり、中高緯度では温度は蓄積される。・・・・・・・・然し赤道ではコリオリ力が無くなるので、赤道帯では急激に低温化が起こる。この爲、この邊りでは大氣は飽和状態となり、薄い白い霧が帯状に見られるようになる。いわゆる赤道帯雲と呼ばれるものである(EBC)。然し、雲というより霧状のものであり、赤道帯霧と呼ぶ方が相應しい。

 ・・・・・・・火星の日變化を考えると、當然稍午後の處が高温である。n線に向かって風は吹き込む。朝方では夜側が氣温が低いから、下層では西風が吹く。夜間に凍り着いていたような水蒸氣は霧化し、内面の方へ押しやられ(朝霧)、昼に向かって非飽和になって行く。夕方になると、再び飽和し東風に乗って留まるようになるであろう。・・・・・・朝方では偏東風と下層の西風が前線を作る可能性もある。

 ・・・・・・・上のような動きは、秋に近付くにつれて薄れて行く。春や秋には當然赤道帯が輻射熱で極地より熱せられる。從って、赤道帯霧も霧散するようになる筈である。また、北半球の上層では赤道から極の方に氣團は偏西風に乗って移動するようになる。初秋には偏東風から偏西風に替わるわけで、しばらくは上空は風が淀む。・・・・・・・・その他局所的には地形によって複雜な動きが見られるであろう。

 ・・・・・・・・定性的に、また巨視的には以上の様であるが、どの時點でどの現象が起こるかを言うのは難しい。そこで1996/97年の觀測の方を見てみよう。 ・・・・・・・筆者の觀測では13 Dec 1996 (051°Ls) ω=036°W以降では既にテュミアマタからクリュセを通って朝方のタルシスに延びる霧状の帯が見られる。但し一様ではなく、濃淡がある。この時sub-Solar點は19°Nであるから、極地は暖かく十分水蒸氣が赤道まで下っている可能性がある。一つにはCM近くでもクリュセが明るいということがポイントである。同じく、14 Dec ω=045°Wでも赤道帯霧は明らか。15 Decでも見られるがω=016°Wまで待たなければならない。從って、地域的な効果が未だあるわけである。15 Decδ=7.2"26 Dec (056°Ls) ω=232°W ω=262°Wでシュルティス・マイヨルを挟んで東西に朝雲夕雲が出ていて、シュルティス・マイヨルも淺葱色なので、當然赤道帯霧が横たわっていると考えられた。29 Dec (058°Ls) ω=272°Wにはリビュア上の帯は明確であった。シュルティス・マイヨルは矢張り淺葱色である。sub-Solar點の緯度は21°Nである。・・・・・・・上述のように16 Jan 1997sub-Solar點は23°Nであるから、このころには常時赤道帯霧は存在し得たと考えられる。17 Jan (065°Ls) ω=028°Wでは明確であった。

・・・・・・・クアッラ(GQr)氏達の青色光の優秀さは周知のことで、霧状の雲の検出は群を抜いているが、17 Jan ω=219°WでのCCD像ではまだ可成り弱い。しかし、31 Jan (072°Ls) ω=035°W (#184 p1991參照)などには帯霧は見られ、以後9 Feb (076°Ls) ω=300°W (#186 p2021參照)などの彼らのCCDでは明確になる。

Hiki's drawing ・・・・次の段階は、#186 p2017(英文はp2019)報告のように、日岐敏明(Hk)氏が20 Feb (081°Ls) ω=035°Wω=046°Wで觀測したように、朝方のタルシスが非常に白雲で明るく、同時に赤道帯霧も可成り強くなって來たときであろうと思う。他にHk氏の觀測は22 Feb ω=021°Wなど。筆者の20 Febでの大津での觀測はω=041°Wなど(この日、近畿春一番、今年は8 Febであった)。タルシスの場合、特別な高地であるから、朝方の風や温度の分布の云々は難しいが、夏至を前にして水蒸氣が朝方低緯度に集結しているのであろうと思われた(夕方は比較的中緯度である)

 ・・・・・・・いわゆるEBCの觀測報告はこのころから急増する。比嘉保信(Hg)氏のVideo像には二月の後半から三月に掛けてしばしば明瞭であるし、トロイアニ(DTr)11 Mar ω=075°W等で觀測しているし他、シーゲル(ESg)さんが6 Apr (102°Ls)が新鮮な感じでいわゆるEBCを見ているし、18 May ω=095°Wでもチェックしている(#189 p2069#192 p2108 參照)。伊舎堂弘(Id)氏の17 Apr ω=258°Wに顕れるミスト(#190 p2082)も筆者がいっている赤道帯霧に属する。12 Aprの宮崎勲(My)氏のB像にもこの朝方の霧はシュルティス・マイヨルに掛かって明白である(今號報告)。また、阿久津富夫(Ak)氏の1213AprB像にも帯になって見えている。但し、赤外カットが弱くシュルティス・マイヨルが出ている。#197 p2179報告のHg氏の20 Apr (107°Ls)邊りの朝雲活動もローカルな理由で赤道帯霧の強くなったものと考えられる。

 ・・・・・・・・HSTも衝前の10 Mar (089°Ls)を皮切りに、30 Mar (097°Ls)17 Apr (105°Ls)17 May (119°Ls)27 June (140°Ls)などの赤道帯霧を捉えている ( 30 Dec (058°Ls) )30 MarB光写真の一部は#191 p2102に引用されているものである。地形に依存して複雜な様相を呈しているのが分かる。

HST's images on 30 March 1997 (097°Ls) at ω=285°W : Original (left), Red (middle) and Blue (right)


・・・・・・・・ここでは例として、同じく30 Marの別の領域のもの、17 May及び27 Juneの同じ領域のものを選んでB光と共に載せる。後者二例は#193 p2137の像と對になったものである。27 Juneには既にsub-Solar點は16°Nまで後退しているが、赤道帯の夕方のシュルティス・マイヨルに霧が未だ強く掛かっている。

HST's images on 17 May 1997 (119°Ls) Original (left), Red (middle) and Blue (right)

 

HST's images on 27 June 1997 (140°Ls) Original (left), Red (middle) and Blue (right)

・・・・・・・次の像は、9 July10 July11 July (146°Lssub-Solar Lat=14°N)の聨續写真で、高緯度の朝方の霧が毎日變化しているのが見られる。未だ偏東風と下層の西風が前線を作るようなときがあると思われる。尚、赤道帯霧は弱くなっている。

HST's images on 27 June 1997 (146°Ls) Original (top), Red (middle) and Blue (bottom)

・・・・・・・最後に引用するのは12 Sept (180°Ls)の像で、この青色光には既に赤道帯霧は現れていないことに注意する。

HST's images on 12 September 1997 (180°Ls) Original (left), Red (middle) and Blue (right)

正確に北半球の秋分でこの時は赤道帯が暖かくなっているのである。

(Mn/)


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