Ten Years Ago (1) - CMO #001 (25 Jan 1986) -


 『火星通信』創刊号は、「25 January 1986」の日付が打ってある。最近着の170号までで1766ページを積み重ねてきた。この十年間で何が観測から得られたか、火星面現象の何が捉えられ たか、観測手段はどう変わってきたか、等など、バックナンバーを読み返せば、興味の尽きる事なく、時間を忘れることがしばしばであるのは、私だけではないと思う。「温故知新」・・火星は次回の接近から新しいシリーズに入り接近毎に距離が小さくなり2003年の大接近を迎える。観測の指針は「火星通信」でタイムリーに示されるだろうが、前回の出来事と次回の観測を繋いで行くためにも、再読されてはいかがであろうか。

 1986年の火星は七月の中旬に最接近となり、視直径は23秒角にまで達する大接近の年だった。次回の1988年も最接近には同様の視直径になるペアの大接近の始まりだった。一月末には早朝の天秤座にあって、視直径は6秒弱であった。

 創刊号は「巻頭言」佐伯恒夫氏に始まり、次に「チョット一言」南政次氏が続いて、創刊の事情と抱負が記述されている。第6頁と7頁の見開きには「今年前半の火星」として1986年一月から七月まで月初めの視直径に比例した経緯度図が示され、解説が付されている。図は当時、南氏がプロッターで作製されたようである。表紙の図は最接近の16 July 1986 at 11h GMTの経緯度や南極冠の見え方を示したものである。なお第4-5頁の見開きには、「この『通信』での記号・略号について」が述べられている。報告の形式の統一化を最初から念頭におき、日付・時刻・記号などの記入の注意をされているのは、後の海外の観測者との情報交換にも不都合にならないようにとの配慮が最初からあったからの事であろう。もちろん創刊号から英文入りである。アングラ物と断りながらも以下の号のページは通しナンバーで、当初からの一貫した方針が垣間みられる。タイトルのデザインは現在のものと変わらないが、"Published for the OAA Mars Section"が、"Published by the OAA Mars Section" に変わったのは後の事である。編集者には浅田正氏・南政次氏・中島孝氏が名前を連ねている。

 佐伯恒夫氏はすでに、1984年の接近の時には、御高齢と健康上の理由から観測はされず、『天界』の「火星課だより」は書かれていたが、途中からは幹事役になった南氏が「観測報告」を纏められていた。

 LtEは既に創刊号から始まっており、「火星通信」は初めは常連の火星観測報告者に配布されていたものと見え、のちに『天界』1986年七月号に、OAA会員向けの「お知らせ」が掲載された。 

村上 昌己 (Mk)


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