TEN Years Ago (6) - --- CMO #010(10 June 1986) and #011(25 June 1986) ---


 火星は1986年六月10日には「いて座」で「留」となって、以後は逆行に移り七月の最接近に向け近付いてきていた。視直径も19日には20秒角を越えていて、いよいよ大接近時の大きさになった。Lsは六月中には180°から196°に変化して南半球の春になった。南極冠も最大径を過ぎて縮小期へ向かう時期を迎えていた。

OAA MARS SECTION には両号で五月下旬から六月20日までの観測報告が纏められている。この期間に特記的なこととして、Ls=175°あたりで、120°W, 10°S のアルシア・モンス付近に午後になると出現する白斑が捉えられたことである。この白斑は山岳的と思われ、Ls=180°以降に観測されるタルシス山系のW雲の前兆ではないかとしている。また南極冠内部のかげりも確認されていて、観測者達に追跡と確認の注意を呼びかけている。その他この期の他の模様の見え方が詳説されている。

報告者の顔ぶれは変わらない。岩崎徹氏が観測数を延ばしているが、先鞭を付けた阪部幹也氏からの観測報告は途絶えた。松本直弥氏は1985年十二月からの写真をまとめて二十葉ほど報告されている。同氏の機材・感材等は#011に「惑星写真の実際(3)-私の火星写真撮影法−」として紹介された。また岩崎徹氏は#010で「Intensity-Estimate(濃度測定)について」を発表して眼視観測における数値化の方向を示唆されている。後に#044誌上に1986年の観測の集計を発表されている。この方法については1994年八月の福井での惑星観測者懇談会の最後の村山定男氏との懇談の席上で、「火星観測が、現在木星観測に比べて盛んに行われない理由は?」との質問に、村山氏は「観測対象の数値化が難しい」ことを理由の一つに挙げられたが、岩崎徹氏は「Intensity-Estimateがある」と、つぶやかれていたのを記憶している。

 #010 p76-77には、ノンタイトルだが南氏による観測姿勢が火星図と共に示された。#003 p20-22, #004 p25-26の続きのアジテーションである。是非再読されたい。また「中野主一『火星観測シミ ュレーションプログラム』の紹介」も浅田正氏により同号に掲載された。アマチュアにもコンピュータを使っての観測が可能になってきた草分けの頃の話である。佐伯恒夫氏の連載「火星観測の五十年」は#010()となった。最後は「・・本人はただ、楽しんで、楽しんでうろちょろしているうちに年月が過ぎ去っただけの事で、・・・・」と結語されている。

村上 昌己 (Mk)


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