CMO ずれずれ艸 (南天・文臺)  その十三



★先月(2002年五月)「いまだて藝術舘」(福井縣今立町)の平山郁夫展(2002年四月25日〜六月2)に出掛けてきた。奈良の薬師寺玄奘三藏院の「大唐西域壁畫」完成紀念ということで現物大の下絵が展示された譯である。壁畫は計から三十年ということであった。今立との縁は、今立産の越前和紙が使われたからである。制作過程は好く分かるのだが、大きいだけで然程感銘は受けなかった。ただ、話題上、佛頭の描冩と時節柄アフガニスタンのスケッチが可成り多く展示されていたが、樓蘭の小品も二三あり、以下の「夜毎餘言XXII(25 May 1991)のことを思い出した。ペンのタッチが實に魅力的である。

平山畫伯が初めて樓蘭の上をヘリコプターで舞い、同行の中國人が砂漠のなかの廃墟の佛塔に感激し、急遽三十分ほどの着陸許可を出し、平山さんは鉛筆とスケッチ盤をもってスケッチに飛び出したのは1986年秋のことだったようである(五十六歳)。これが四十九分間の對面で、ここで話題にした機會はその三年後とあるから、1989年頃のことであろう。


    平山郁夫の樓蘭

 

樓蘭は二千年の昔、忽然と歴史に登場し、僅か五十年許りで消えていったらしい絹絲之道の幻の都で、今は風蝕の遺跡であるという。樓蘭は、多分井上靖の『樓蘭』に依ってよく知られる。然し、彼がこの小説を書いた時には彼の未だ見知らぬ土地であった。

この短篇は、然し画家平山郁夫(1930)のイメージを掻き立てるものがあったらしい。ただ、画家は樓蘭を観ることなしに樓蘭を描くことは出来ない。少なくとも平山郁夫が筆を取るのに樓蘭に(ヘリから)降り立つ四十九分間が必要であったと思う。何年か前、京都の平山郁夫展で、或る画面の、樓蘭の城邑と「うら若い」女性の柩の対比が異彩を放っていた。多分四十九分間の廃墟と井上靖による(ヘディンの掘り出した)ミイラの棺が重なったのであろう。

 

四十九分の滞在の三年後、平山郁夫氏は樓蘭に再び、今度は二泊三日の滞在をする。その時の様子を御本人が『朝日新聞』に記しているので、少し旧聞に属するのだが、それを紹介する。

彼はヘリを降りると三年前の四十九分間の経験によって「迷わずに描く場所に突進」する。「2Bから4Bの鉛筆を使って、十五分間に一枚ぐらいのハイペースで、どんどんスケッチする。」「寂として、画用紙を這う鉛筆の音だけが異様に大きく響く。明るい陽光が遺跡の陰影を浮かばせている。見渡すかぎり一木一草もない死の世界だ」。

願うは好天の続くこと。「天に祈りながら一分一秒を惜しんで死に物狂いで描く」。太陽が沈むと、急激に気温が下がる。旅社があるわけではない。テントのなかで南極探険用の防寒具とホカホカカイロを十個も身につけて、「記憶の薄れない内に色鉛筆を使って彩色する。」テント内でも零下13度(十一月下旬)。普通の手袋では鉛筆が上手く握れないので、台所用のビニール手袋。

翌朝初めての樓蘭の朝。地平線から日の昇り始める様子から。無風で晴れ。「この様な樓蘭は奇跡だが、油断は禁物、一枚一枚が一期一会である」。

最後の日、流石に少し曇りはじめる。午前11時、第一陣がヘリで離れる。平山氏は第二陣、「数人の中國隊員と残り、時間が惜しいので昼食も取らずに写生を続ける。・・・・・やがてブンブンとヘリの爆音が聞こえて來た。その音を聞きながら、最後の一枚にとりかかる。午後3時半、砂煙を巻き上げてヘリが遺跡に到着した。早く来いと合図している。あわてて愛用のパイプ椅子をたたみ、これが見納めかと思いつつ、小高い土盛りに上って遺跡を振り返る。再び早くと急き立てる声。砂塵をかい潜って乗り込むと、ヘリはさっと飛び立った。」

 

 こうした文章に、読む人それぞれが様々な感想をもつだろうが、私はこれを#103の「玉子」のスケッチの話(*)と同じ次元で引用している。なんだ卵か、で済ませるように、なんだ廃墟かで済ませることも出来る。卵は無機質で、廃墟は歴史をもつという違いはあろうが、ここでは時間を掛けての相手との対話が聞こえる。空想でなく事実を見るには時間が掛かる。砂糖が溶けるには時間が掛かる様に、時間を掛けなければ、対象が姿を顕さない。平山氏の十五分間は、描いているというよりも「見ている」のであろう。風景と一体になるまで沈潜するということであろう。写真に撮れば時間が掛からない、もっと簡単だというのは今時の方法かもしれないが、一体になることは出来ない。一体になるというのは一種の生身の生活であって時間を掛けねばならない。写真の集積は生活とは違う。寸刻を惜しむのは、この場合勿論許されている時間に限りがあるからだが、同時に一般的にではなく、特殊な時間(一期一会)として過ごしているからである。十五分間×N回数が特殊な掛け替えのない生活になっているからだと言ってもいい。

 

「卵」は平凡だが、それでも空想でなく直かに見れば時間の掛かる存在であるというのが、前の話である。「見て過ごす」という過程が入ることは同じである。過ごさずに見る様な「見る」は空想にも劣るという事である。ただ、この「見る」という動作が「描く」という動作を伴って補強される。スケッチや絵を見て我々が感じ入るのは単に描かれたものではなく、寧ろ時間を掛けて顕れた対象の姿であって、それは畢境「見て過ごし」た「生活」の結果であろう。

 

昨今の平山氏は名誉職に忙しく、人前に立つことが多いようだが、本意ではあるまい。早く退職して、写生に精を出したいと思っていると思う。尚、ちょっとチェックは出来ないが、井上靖氏も、小説を書いたずっと後年になって、樓蘭の廃墟に立ったはずである。更なる感慨があったと思う。   

 

 

*「玉子」の話というのは、スカイ・アンド・テレスコープS&TJune 1990 p643に載った “To See Planets Better, Draw an Egg”という記事の紹介で、CMO #203 (25 March 1991) p886に載せた。原文はアトランタ天文クラブのニューズレターThe Focal Pointにあったようで、筆者はLiz MATTYさん。

---彼女が天文関係でこれまで耳にした初心者向けのアドヴァイスのうち最高のものは「一個の玉子を描くことから始めよ」というもので、彼女も最初は馬鹿げていると思ったが、とにかく冷蔵庫から玉子を一個取り出し、描き初めてみると、なるほど驚きであったというもの、である。想像したり、漫然と眺めているだけでは、玉子は歪な白い球面に過ぎないが、好く眺め、調べてみると、微細な様相を呈する。玉子の表面は滑らかでなく、微妙な詳細に富んでいて、それは惑星表面の様子によく似ている、というものである。

---玉子を描くことでもの見方が訓練される、彼女は既に五年ほど玉子と惑星を観察してきているようだが、最終的に見ること、あるいはいかに見るかということを学んだと述懐している。

--- 望遠鏡で木星の赤斑や火星の極冠に驚嘆するようなとき、望遠鏡を傍らの新人にまわしても「何も見えない」という返事が返ってくることはしばしばだが、彼女は「玉子から始めたら?」と応えるそうである。

 

 


南 政 夜毎餘言21(火星通信#105 (1991年五月25日號) p906掲載)


 

「ずれずれ艸」Indexに戻る

CMO-HPに戻る