Forthcoming 2005 Mars
(7)

パルワ・デプレッシオの出現

Masatsugu MINAMI


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  今回は一般論ではなく、また既に#301 (25 Jan 2005) Ser2-0029頁で述べたことであるが、目前に迫ったのでもう一度注意する。

 

1894年のローヱル・チームの最初の觀測は22May 16:25 Mountain Standard Time(實際には23May 11:25現行GMT)にピッカリングによって行われていて、このとき、南極冠内に暗點を認め、これは後にローヱルのpolar seaという考えに直結するのである。ローヱルは最初の本『火星』(1895)85頁に次のように書いている:"On the first night that Professor W. H. Pickering observed it, on May 22, with the six-inch telescope, he suspected a rift crossing the cap from longitude 330°W to 170°W. This rift grew more and more evident, until, in the early part of June, it was unmistakable." 實際は22Mayのピッカリングのメモには"I cannot be sure whether there is really a mark in the snow or whether the effect is due to shading as one approaches the terminator." (Ann. Lowell Obs. vol 1, 1898) とあるだけで、完全なriftであったかどうかは不確かだが、後にダグラスの細かな觀察があって、このようにローヱルは整理したのであろう。アントニアディの南極圖と比較すると彼の言っているriftはリマ・アウストラリスを直線にした様なものである。この邊りには、マグナ・デプレッシオとパルワ・デプレッシオの二つの暗斑がある(どちらもアントニアディの命名)

 

 23May1894の季節はλ=210°Lsであったと思われ、今年は12Mayにやってくるから、觀測を奨めたい譯である。1894年には視直徑は8秒を越えていたが、今回は7.5秒ほどであるから、少し不利であるが、ピッカリングは15cm屈折であったから、今回はccdでは大丈夫と思われる。1894年の接近は1973年の接近によく似ているのだが、宮本正太郎氏は14May1973(λ=206°Ls)に南極冠内に暗部を見ている("Dark markings inside the cap")。視直徑は7.3"であった。ω=213°Wで、印刷されたスケッチからは明確ではないのだが、二つほど暗斑が並んで見られ、アントニアディの圖と對照するとデプレッシオ・マグナとデプレッシオ・パルワが並んでいるのかも知れない。アントニアディによれば、どちらとも同じ時期に顕れるようで、1924年の彼の觀測ではη=292°294°となっているから(p214)λ=207°Ls~209°Lsということになる。

 

 一方、2003年の觀測でも内部の暗斑が觀測されていて、これはCMO#276の報告#11で扱っている。λ=207°Lsから223°Lsまで、ω=123°W129°Wの方向から見たccd像や圖を比較してあるが、ここにある暗斑は方向からパルワ・デプレッシオであろう。或いは、後半は両方が重なるかも知れない。ヴァリンベルティ(MVl)氏の24 June 2003 (λ=209°Ls) ω=127°Wは參考になるであろう。但し視直徑は相當異なるから注意する。

 

以上、6May2005λ=206°Lsであるから、この頃からω=100°W300°Wの範囲で監視をすると好いのだが、1May 20hrs GMT (5hrsJST)でやっとω=101°Wである。7Mayとするとこの範囲は0hrs14hrs GMT14May5hrs18hrsGMTとなって日本からは宜しくない。今回はヨーロッパやアメリカ大陸が適しているようであるが、17May (λ=212°Ls) 5hrs JSTω=303°Wになるから、このことから本腰を入れよう。


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