LtE in CMO #286

From Tohru IWASAKI



® . . . . . . . Date: Mon, 29 Dec 2003 20:21:39 +0900

Subject: レポートの送付について

 

 1日から3日の沖縄訪問の際の観測についてのレポートがようやく仕上がりました。大変遅くなり、申し訳ありません。ご一読いただき、誤りや不備な点がありましたら、ご指摘ください。訂正して再度お送りします。今回は内容よりも文章表現に苦労しました。CMOでのタブー、何々であるところの何々を避けるために、随分頭をひねりました。箇所によっては、禁則ギリギリになってしまったところもあります。レポートの性格上、新都心屋上での観測については、やむなく割愛しなければなりませんでした。掲載スケッチの選択はおまかせいたします。文中にも書きましたが、今から見ると不出来なものばかりで、恥ずかしくなります。

 火星の視直径は10秒角を割り、最接近前後のように最高の集中力で時間との闘いを強いられることもなくなりました。あの頃は、観測に神経をすり減らしてしまい、@昼間にだらだらと仕事をしながら休養をとるAもう一晩だけ体力をもたせるために栄養ドリンクを飲んでしのぐ、といった窮余の策を講じなければなりませんでした。観測結果の報告間隔ですが、いつから月一回に切り替えればいいのでしょうか?

 今回は、取り急ぎレポート(草稿)の送付のご案内まで・・・。

 

1 August, 2 AugustChryse黄雲のEosの進入について

                                   岩 崎 徹

200381日〜3日、沖縄を訪問した。南先生から、Solis L周辺での発光現象が予想されているので、監視体制を敷くからサポートにくるように、と要請されたものである。夏休みの観光シーズン中、しかも金曜日の夜から土日にかけてで、福岡−沖縄線の航空券がとれるのか不安があったが、何とかホテル込みで確保することができた。実際、福岡発の最終便の最後尾の座席に滑り込むようにして、一時間三十分ほどの空の旅で那覇空港に降り立った。到着ロビーでは、南先生と伊舎堂氏が既にお待ちで、一夜目は伊舎堂氏宅の屋上の観測施設を使わせていただくことになっていた。

伊舎堂氏宅の屋上には31cmニュートン式反射(近内令一氏から譲り受けたもの)がスライディングルーフ(収納小屋全体がレールで動くタイプ)に収められていて、別に21cm反射(同じくニュートン式)がフォーク式架台に据えられていた。

私はフレーム筒の望遠鏡の実物を初めて見たこともあり、伊舎堂氏に「鏡筒回転装置はどうなっているのですか?」と尋ねた。鏡筒バンド部分が二重のリング構造になっていて、伊舎堂氏はクランプをゆるめて、スムーズに回して見せてくれた。しかし、このことが31cm反射の光軸の狂いを生じさせてしまったかもしれないことに気づくのは、後のことであった。

那覇市上空はところどころに小さな雲があるものの、ほぼ晴天。しかし、この夜は夜露が降っていて、スケッチ用紙が湿ってしまい、しわとは言えないもののうねるようになってしまった。早速31cm反射に向かい、一枚目に取り掛かる。火星の高度はまだ低いが、シーイングは充分にスケッチ可能である。北九州では梅雨明けしたとはいえまだ梅雨前線が近く、上空の大気が不安定で、ボケボケのスケッチしか得られなかったこととは大違いであった。

南先生からは、30 JulyChryseに黄雲が発生しているのが捉えられていて、南方への拡がりがEosに達していると言われた。視野の中の火星面では、黄雲はEosに食い込むようなかたちで、他に夕端部に黄雲の水蒸気?の靄が暗色模様を淡くベール状に覆っているのが捉えられた(Iw-016D, ω=062°W)。この後、31cm21cmを渡り歩きながらスケッチを続けることになる。続くIw-017D (ω=072°W)では、ChryseXantheについて、前者は明るく後者は薄暗く感じる、とのメモがあり、黄雲がChryseから及んだことを示すと言っていいと思う。実際CMOホームページのGallery30 July (ω=006°W)31 July(ω=346°W)Grafton氏のCCD像を比べてみると、後者ではChryseの黄雲の南端の明るい部分がEosへと延びているのが明瞭である。

以降、火星の高度が上がるにつれてシーイングは向上するものの、Eosは夕端に近づき、トンでしまった感じにしか見えなくなってしまった(Iw-018D, 0ω=87°WIw-019D, ω=091°W)。

31cm21cmを交互に覗いているうちに、21cmの方が像がシャープなことに気づくようになった。南先生も同意見で、伊舎堂氏は31cmの光軸修正を試み、また、アンシャープマスクを取り付けてみたりして、像の回復に悪戦苦闘されていた。ひょっとして、観測開始前に鏡筒回転装置を回したことで、何か狂いが生じてしまったのでは?と思ったが、後の祭りであった。

南先生から「沖縄の火星は高いだろう」と言われ、見上げてみるとなるほど本土とは随分違う。北九州から宮崎に移ったときも、緯度にしてほどしか違わなかったのだが、さそり座が高いのがわかり、1994年、1996年シーズンなど、南中時にはほとんど天頂近くまで鏡筒を向け、好シーイング下で鉛筆を走らせたものである。

2日は伊舎堂氏のつてで、田端氏宅の屋上でセレストロンのC14シュミットカセグレンを使わせていただけることになっていた。これまでの最大口径を覗くことになり、当夜は火星の高度がまだ20°にも達しないうちから好シーイングに恵まれて、35cmの口径を存分に活かすことができた。シュミットカセグレンはピント調整時のミラーシフトのために像が悪く、惑星には向かないとされているが、先入観を覆す見事な像を結びどんな望遠鏡も調整しだいとの思いを強くした。田端氏がどのような方法を用いたのか知る由もないが、相当な時間と労力が費やされたことがうかがえ、敬服に値すると思った。

さて、黄雲の変化が気になるところだが、私は一枚目にEosへの食い込みをオタマジャクシ状に(Iw-026D, ω=043°W)、次いでひょうたん型に描いた(Iw-027D, ω=053°W)。以降、Eosが東没する直前(Iw-030D, ω=082°W)までひょうたん型に描き続けたのだが、南先生は一貫してこん棒型を主張された。過去の経験からいって、こういう場合は第一感のオタマジャクシ状、すなわちこん棒型に近いものが正しいことが多い。しかし、CMOのホームページのGallery2 Augustを見てみると、Buda氏のCCD像には明らかにひょうたん型に写っている(ω=042°W)。眼視とCCD像では描写に違いがあるとはいえ、私の思いの中では完全に混乱してしまい、判断がつかなくなってしまった。そこで、火星面の実際の地形から判断することはできないかと考えた。私の手元には、P.ムーア、チャールス・A・クロス共著の『火星』(斉田博訳)がある。地形図はマリナー9号の写真をもとに、地球からの観測が加えられていて、地名の多くは私たちが使っているものがそのままなので、同定が容易である。火星の雲は暗色模様を避けるを適用すると、問題のEos一帯は、北西の輪郭がCoprates渓谷(地図上では濃く塗られている)の東の端。南西の頭はM Erythraeumがえぐれたかたちになっている部分に符合する。悩ましいのは、Phyrrhae R抜けと捉えるか半暗部とみなすかで、前者ならひょうたんの南東の円のふくらみ、後者ならこん棒の直線状の柄、ということになる。注意すべきは、火星面の暗色模様は表面の高低差とは無関係なことがこの地図でも示されていて、Coprates渓谷の東の端はAurorae Sにあたる部分にまで及んでいるのだが、渓谷の底は暗色模様として濃く塗られていることである。したがって今回の黄雲はこの渓谷には流れ込んではおらず、台地のEosに溜まっている。溜まるという語句は便宜上の表現であって、低い場所に澱んでいるわけではない。このことからも、黄雲は上空の現象であることがわかる。

結論にもならないところに至ってしまったが、話を元に戻すと、1日のIw-016D, ω=062°Wの夕端の淡い靄は、2日のIw-028D, ω=063°Wではもはや見えておらず、黄雲全体としては既に鎮静期であったと言える。CMOホームページのGalleryでも、3日の阿久津氏の組み写真、4日、5日の熊森氏のω=044°Wω=35°Wの像を比べてみると、Eos一帯の明るさは衰えて、通常のいわゆる抜けに戻っていく。

南先生から指摘があったこととして、Chryseに黄雲が発生する前の、29 JulyGrafton氏のCCD像にM Acidaliumを線状の黄雲が、南西から北東に斜めに走っている様子が捉えられていることが、黄雲の共鳴という観点から予兆と言えるのではないか?しかし、類似のものが以前からも捉えられているので、共鳴を起こすものとそうではないものの違いを考察するように、ということであった。CMOのホームページのGalleryを遡ってみると、確かにNiliacus Lの北側を東西に走るものが、

20 June (ω=010°W)22 June (ω=013°W)23 June (ω=035°W) Grafton

02 July (ω=016°W) Valimberti

06 July (ω=010°W) Eric Ng氏、(ω=021°W) Tan Wei-Leong

15 July (ω=044°W)  Lazzarotti

19 July (ω=011°W)  Lazzarotti

と何度も捉えられている。しかし、いずれも他の地域に共鳴を起こしてはおらず、M Acidaliumを斜めに走るものだけが特異なパターンだったと、南先生はおっしゃっている。眼視観測者であれば、M Acidaliumの夜明け時に朝霧がAchillis Ponsを抜けて、東の砂漠地帯にまで及んでいる様子をご覧になったことが、何度もおありだと思う。ここは雲や霧の通り道なのである。29 Julyにはそのセオリーに逆らって黄雲が斜めに走り、結果としてChryseに共鳴して黄雲を発生させたのではないか? と考えることはできないだろうか。南先生、これで答えになっているでしょうか?

今回、1 Aug2 Augの一連のスケッチを見直してみると、まだシーズンの立ち上がりの成熟途上で、模様の位置取りや極冠内部の輝度差の把握、そして私の悪いクセの顕著な模様を小さく描いてしまうM Sirenumなどに出てしまい、それらが少しずつ改善されていくのを見てとることができる。せっかく条件のよい沖縄に赴くのだから、もっと調子を上げておくべきだったと反省している。ともあれ、発光現象を捉えることはできなかったが、遇然とはいえ黄雲のEosへの食い込みを、二晩にわたって追うことができたのは収穫であったと思う。観測施設を快く提供して下さった伊舎堂氏と田端氏には、遅ればせながらこの場をお借りしてお礼を申し上げます。ありがとうございました。また、南先生には観測全般にわたってご指導をいただき、感謝しています。

黄雲について言えば、私はどういう訳か巡り合わせが悪く、「これは!」というものには出会っていない。1988719日、21日のNoachisのもの(Iw-073D075D1988)。同年121日、2日のThaumasiaのもの(Iw-321D325D1988)19901111日のThaumasiaのもの(Iw-138D1990)とたったの三回であり、しかも後者二回は既に黄色味を失ってしまってからのものであった。しかし、前者では黄雲特有の色と、のっぺりとした艶消しの質感を頭に刻み付けることができ、今回(16, 21, 23, 28 Dec/2003)のものの判断の一助となった。’01年の黄雲を観測することができなったのは痛恨の極みであるが、息長く続けていればまた機会もあるだろう、と楽観している。                    (29 December 2003)


  (Tohru IWASAKI 北九州 Fukuoka)   
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