LtE in CMO #269

From Kanehiro OSA


●・・・・・・Subject: はじめまして

 

南様 『火星通信』が届きました。「はじめまして」というのは正確ではありませんが、面識をもって自己紹介をするのは、おそらく初めてと思います。

 

 南先生が福井に戻ってこられることは、昨年の彗星会議で、福井の中島先生から伺っておりました。実は、初めてお会いしたのは、福井大学で行われた1985年の「北陸地区天文研究発表会」でした。印象に残っている事に塩谷君が発表した火球の統計?だったかの発表で、彼が「科学的に数字で表すと‥、」という言葉について南様は「数字で表す事が科学的とは言わない」と難詰された事でした。私も同意見でしたので、後に塩谷君には科学の意味について私が説明しておきました。

 

 さて、ローエル協会についてですが、昨年の懇親会で、中嶋さんの隣に座っていたのが私です。あのときは「NOTO」の原書の裏にある文様の話しをしていたのが私です。当協会には、四年前に入会を申し出て昨年のローエル会議の星の会連絡も致しました。勿論、今年も参加したいと思います。

 

 南様が私の認識が不確実になっておられるのは仕方ない事だと思います。実家は京都です。学生時分に金沢工業大学で建築学科に在籍していて、卒業後、京都に戻りました。結婚後七年目に京都府の亀岡市に引っ越し、その七年後に家内の里である野々市に引っ越したのです。ですから南様の知っておられる人物は、皆同じ私なのです。

 

 ちなみに長は(おさ)と読みます。ですから穴水の長(ちょう)族とは、関係が無いと思われます。穴水の調査でも解答しておきましたが、長家(おさけ)の歴史は、長(ちょう)より更に古いのです。当時の記録では、京都の戦乱から逃れるために長家(おさけ)が北上した記録があります。ですから、未だハッキリしませんが、長(ちょう)氏が敦賀あたりからやって来た記録が正しければ、変名した可能性が無いとは言い切れないのです。

 

 私とローエルの「NOTO」との出逢いは、金沢工大自然学園のセミナーで、五藤光学ウラノスが在るという噂を調べようとしたときでした。確認後、鍵を届けに事務室へ行くと、そこに宮崎先生がおられ「君、天文が好きなら、この本が判るか?」と、見せられたのが「NOTO」でした。それ以来、宮崎先生にローエルについての説明や当時の天文学の状況を調べてはお話していました。

 先生と意気投合していたのには別のこともからんでいました。私の卒業論文が「北陸に於ける天文台の計画」であり、偶然にも穴水の比良にある籐住が環境的にも一番適した結果が出ていたからです。論文も殆ど完成していた時に穴水町が新聞に「穴水に能登で初めてのプラネタリウムを計画」と、発表したので直ぐに文句を言いに出掛けました。役場で出迎えたのが坂下さんでした。もう二十二年も経ちますが、そんな繋がりがあります。

 

 私自身は、火星の観察は行っていないのですが、故宮本先生や佐伯先生とも親しくさせて戴いておりました。・・・何やかんやと縁の下の力持ちを続けていますので、これからも宜しくお願い致します。

            (182003 email)

 

○・・・・・・・・第一回のローエル祭の時に佐伯先生を金沢までご案内したのですが、「スケッチする時にコメントは英語で書くと先入観が入らず良い、と、助言したことがある」と、言われたのを記憶してます。確か、南様のことではと記憶してます。

 

> 私が何故長さんが金沢工大の出身というのを知って

>いるかどうか、不思議ないのですが、三十年も昔、金沢

>工大へはよく遊びに行っていまして、宮崎正明さんが

>紀要にローヱルについて書いているのは見ていました。

>然し、當時から宮崎さんは「当局」に評判が悪くて、

>たとえば、集合写真を撮るとき横を向くので困るとい

>うような話がありました。いまにして思えば、あれは

>ラフカディオ・ハーンの真似をしていたのですな。

 

 私は、工大の話しをよくします。当時の教授は、なかなか良い先生が多くて、私にとっては勉強になりました。特に情報工学の先生方には宇宙物理出身のかたが多くて、色々と可愛がって貰(しぼられて)いました。でも、宮崎先生と情報の先生ともあまり良い関係ではなかったのです。集合写真の事ですが、正にその通りです。別口の話しでは、一人が横を向いていると目立つだろ、とも言ってました。私は宮崎先生の茶目っ気なところが好きでした。卒業式の時は、私をべたほめされて困りました。宮崎先生の困ったところは、送られてくる手紙の文字が読み辛いことです。坂下さんもおなじですが。

 

>「NOTO」の原書の裏にある文様の話し。表は「た

>ちばな」ですが、タイトルのところの陰陽のマークの

>事でしたでしょうか?

 

 そうです。陰陽紋の話しです。日本の陰陽紋には「曲玉文様」と言われる様に曲玉の飾り穴が付いています。ところが朝鮮の陰陽紋には穴がありません。黒と赤の文様を見て、恐らく火星に感じたのでしょう。NOTOの本に朝鮮の文様を付けたことに何か意味があるのかも知れません。

 

> ローヱル会議についてのご協力については明確な回答

>がありませんが、野々市はそれほど遠くないし、もし

>未だ七年経っていないようなら、未だおいでになるで

>しょうから、お会いする事も出來ると思います。いろ

>いろお願いしたいことのありますので、宜しくお願い

>いたします。

 

 今の会社に居づらくなるまで、石川県に居るつもりです。今年で六年目ですから、少なくともあと一年は居ると思います。実を申しますと、家内の父親が高齢であり、その世話も兼ねて野々市に住んでいます。ですから役職でもあり、時間の都合は割合自由になります。五月3()に柳田村満天星で星の会の合宿がありますので、それが避けられることを願っています。・・・

 

 黄雲が直接太陽の影響を受けているかどうかは知りませんが、黄塵の形状が多孔質で有れば、熱の吸着力が多くなりますので、短時間で温度を上げる可能性はあると思います。おまけに軽量ですのでかなりの上昇が考えられます。眉唾ですが、私は彗星のダストも多孔質と思っています。理由は、太陽に近づいた時に面積の比率より必ず暗い観測が出ているからです。つまり吸収するものが無くては、こんな結果にならないからです。今の観測方法は、表面反射をとらえているのですが、報告は光度のみです。逆に予想面積比から実測光度を引き算して、どれだけの吸着性があるかを調べるべきと考えています。でも、火星の場合は難しそうですね。

 

> 私の記憶では、穴水の長氏は長谷部の「長」だ

>と思うのですが、何の理由であったか、一字を

>採ったことになっているはずですね。ちょっと

>長さんが穴水の「殿様」でなかったのは残念です

>が、繋がりはあるでしょう?

 

 

 穴水の調査に解答した文面を紹介致します。

 

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  さて、長(ちょう)の姓で調査されているとの事で、我が家にも封書が届きおそらく実家にも届いていることと思います。私ども長(おさ)一族は、1200年近く前から存在しています。当時は、京都御所の一番奥の館に居りましたので、奥殿(おくどん)と呼ばれていました。天皇家は元々女系家族であり、男子の誕生は極まれでした。その為、今で言う妾の存在が必要で部外に出ない一族が出来ていました。御所を攻撃する戦乱があり、事態に無関係の奥殿一族は逃げるようにとお達しあり、姓(かばね)として長(おさ)の姓(せい)を与えられたのです。現在の京都市右京区大森に避難し、天皇より神社の墓守を与えられ住み着きました。名字は当時にありませんでしたので、最も古いものの一つです。名字は、姓氏の名のことで古くは氏とは別です。

 大森では、種族が増え小野・柿・柿本に分家されました。戦乱では、大森以外にも避難していった者もあり、山陰地方に行った記録もあります。数百年も経つと大森だけでは住めず北上した一族もありましたが、分家であるため長(おさ)を名のらせなかったらしいです。

 

 もし長(ちょう)氏と繋がりがあるとしたら二つの仮説が考えられます。

 

○ 長を「おさ」とよばせなかったので「ちょう」と名のった。

○ 北に移住した長を文章で記録した場合、その後の人は「おさ」と読まな  かった。

 

■ 大森と敦賀は、京北の旧道で繋がっており、山陰に向かった記録がある  のに北陸に向かった記録が無いのは不自然である。

■ 北陸の長(ちょう)が戦国時代に何故朝廷や天皇に願い出る事ができたのか?大森と亀岡市(旧亀山)とは京北で繋がっている。そこには篠山神社があり、足利尊氏が旗揚げしている。

■ 北陸に於ける尊氏の繋がりは、どうしてあるのか?

 

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こんな事です。長谷部は、位が欲しかったので足利を頼っている記録が残っています。又、長(ちょう)は能登島の海賊とも言われています。大陸との貿易を行っていましたので、両方の会得を考えると位が必要だったのだと思います。そうする事で、地位も上がれば、自由に貿易ができたのでしょう。

 

 長(おさ)家については、国会図書館に五冊ほど本があります。悲しいことに私には読めそうもない文字です。(漢字と外国語は不得意です)

 

               (192003 email)

 


   (Kanehiro OSA 野々市 Ishikawa)   
  aurora-2@alto.ocn.ne.jp

 

()ご存じ長さんですが、今「氷のレンズ」に凝られている「金沢星の会」の重鎮です。「火星/ローヱル会議」のお世話をお願いしています。(Mn)


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