第六回CMO惑星觀測者懇談會始末記

The 6th Workshop of the CMO Planetary Observers held on 3 January 1998 at Fukui

Left to right: HIKI, MIMAMI, HIGA, QUARRA, AKUTSU, NAKAJIMA, MURAKAMI & NISHITA

 


English here


の正月(1998)の會は久しぶりで楽しい會であった。特に一月3日に福井市自然史博物館の三階レクチャー・ルームをお借りして、CMOのミーティングをもったが、予想以上に有意義な會になった。小人數であったこともあって、却って會話が弾み、特にCCD関係については、クアッラ氏のISISによる方法、比嘉保信氏のVX1000カメラによる挑戦、阿久津富夫氏のLynxxによる正統派、西田昭徳氏のMutoh簡便派の四本建てとなり、それに絡む様々な畫像處理方法が出揃い、而も議論の噛み合う形になった。 會議を開く側としては、博物館の暖房が停止になっていることは心配であったものの(もし寒波にでも見舞われると、少々のストーブでは適わない)、當日は穏暖で、陽も射し込み、前以て皆さんに厚着をお願いしていたが、震え上がる程ではなかったのは幸いであった但し、沖縄の比嘉氏は流石朝夕は肌寒いと零していた。

 

 先ず、比嘉(Hg)氏が元旦の午後名古屋から「しらさぎ」で芦原温泉駅に到着した。この日から2日にかけて西田(Ns)氏宅で、主にNs氏がHg氏からHg氏獨特の畫像處理についてみっちりコーチを受けた。その上、兩者でHidden-Imageによる畫像處理も開拓したようで、この個人的なスクールにはCCD初歩の方には是非參加を薦めたかったものである。Hgさん自身、森田さんの參加がなかったのは惜しいという感想であった。

 

 ♂ 2日午後、Hg氏はNs氏の案内で永平寺を見學した。初詣りの人が多く、それに永平寺は山中だから氣温も低かった様で、Hg氏は然程の感想を述べていない(實はHg氏はなかなかの辛辣な論客である)

 

 村上昌己(Mk)氏が216:15到着の豫定であったので、兩者と筆者(Mn)は福井駅で待ち合わせ、無事、Mk氏を迎えて、四人で夕食の後、一乗谷の辻岡昇氏の觀測處に向かった。この觀測處訪問は中島孝(Nj)氏の設定に依るものであるが、曰わく因縁のあるところで、實は一昨年、法國のオジェ氏やMk氏が來訪の際、皆で訪問したのだが、その直後、觀測處が盗難に遭い、最初は雙眼のアイピース、次いで架台の高価なEM500が消え失せたのである。辻岡さんは警察署長経験の現職警察官であるから、直ぐ全國手配となったようだが、然し所在は杳として知れない由。處が、昨年末Hg氏の土星が『天文ガイド』の表紙を飾った號で、辻岡氏が土星で初入選していることを知り、今度の表敬訪問となったのである。辻岡さんが立ち直ったのは、幸か不幸か、辻岡氏自作の名鏡(苗村さんの太鼓判)は盗人が残して行ったからである。辻岡氏は、犯人は天文ファンだと思っている様である。筆者もアイピースや架台の値打ちなど知っているマニアの様に思うが、あんな重いものを運び出すナンザ可成りプロ級であろうし、單獨犯でないように思う。何故狙われたかと言えば、丁度オジェ氏達と訪問する直前、辻岡氏の記事が『天文ガイド』の「私の愛機」とかいう一寸背中のムズ痒くなるような欄に載ったのが發端であろうと思う。いまや全國組織のグループが暗躍し、海外向けの故買屋が存在してもおかしくない時代である。我々が現れるとまた望遠鏡が消え失せますよ、と揶揄ったら、辻岡さんは、今度は保険に入りましたと應えていた。

 

 夕方は曇っていたが、次第に晴れ始め、辻岡氏の26cm鏡で木星と月、土星を見せて貰った。但し、シーイングは好くない。雙眼も筆者達には合わない。辻岡氏は呑み會があるようで我々は早々に退散したが、その足で、足羽山に登った。

 

 博物館は會場準備などもあったが、取り敢えず晴れているので、久しぶりに天文臺へ。土星が南中で、四人で觀望。筆者は然程ではないと思ったが、Mk氏は未だ雲が漂っているというのに十二等級の衛星が幾つも見えると仰有るし、Hg氏も沖縄に劣らいシーイングだと仰有る。Hg氏の言は、辻岡氏などは足羽山に限らずこうした好い像を實際に見て經験しなければならない、ということ、もう一つは反射の場合、鏡が好くても、斜鏡やアイピースなどのシステムが拙ければ駄目、ということ、裏を返せば屈折は楽と言うことであろう。(序でに成田氏のレンズは熱に焙られているから、厳重に検査しなければならないと言うアドヴァイス)Mk氏はM42に回すが、少しヘーズがあり矢張り例の赤味は出ない。後、準備室で話し込んだり、三階の會場を設営したりした。器械は昔の實物幻燈機から大きなモニターに繋ぐ方法と、DOS/V機とMOディスクを繋いでモニターに出す方法と二つ採ることになっている(その他黒板白板)。作業中曇ったようである。Nj氏はこの日夜遅くに參加出來る豫定であったが、我々は禮してその前に退出し、三國に場所を移し、MkHgNs氏と筆者の四人で深更まで話し込んだ。Hg氏の顔色好いお話ぶりは久しぶりの新鮮さで、堪能した。解散したの3時頃であったろうか。筆者は野暮用もあり、5時就寝で、寝不足は免れない。


 ♂ 3日は阿久津富夫(Ak)氏が朝早く遠くブルートレインで金澤に到着し、福井に移動している筈だが、失禮して、10:10のクアッラ(GQr)氏の到着時刻に福井駅に、13:3着豫定の日岐敏明(Hk)氏を除いて、全員集合ということになった。三國へは9時半にNs氏に廻って貰い、四人で福井駅へ。既にAk氏とNj氏がGQr氏の出迎えにみえている。GQr氏は京都から無事に「雷鳥」で到着、全員挨拶を交わす。直ちに二台の車で博物館に直行し、Nj氏の總合司會で10:50時から會議を開催する。

Let's get started: Photo by HIGA

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

一番バッターはAk氏で、彼の32cm反射とLynxxとの組み合わせによる彼のシステについての説明や、三色分解の方法の利点缺点も含めて、説明があった。參加者には1997年に撮られ金星、火星、木星、土星のRGB像とカラー合成写真が一枚に配されたものが配られた(火星像は04 Mar 1997 ω=326°W)。フィルターはEdmund社のものが使われているようだが、赤外カット(SBIG)が十分でなく、赤色を僅かに透しているようで目下のAk氏の悩みである。然し、木星や土星の像は秀逸である。問題は火星であるが、B光が他に比べて格段に重要であることと、他はf/24程度であるのに、火星は別のアイピースでf/66となる點など違った事情がある。GQr氏は然し、アクツは木星や土星の像が既に素晴らしいから早晩好い火星像を撮るだろうと言うご託宣であった(最初Ak氏のことをアツクと呼んでいたが、最後には完璧にアクツになった。因みにAk氏の使っているプリント用紙が義國=伊國には見付からない様で、日本で買いたいとAk氏に銘柄その他を訊いていた)。筆者の感じでは、R像などは更にコンポジットした上で畫像處理を進めれば、今でもディテールが出るように思う。一個の原畫像でも次に示されるような處理であれば、もっと見栄えが違うのではないかと思われる。Ak氏の話は多岐に及び、CCD素人の筆者には尽くせないが、活發な質問を交えての講義で、二時間ほどお話頂いた。

 

 午後1時過ぎ、昼食の時間ということで、全員下山、先ずHk氏の到着を待ちに福井駅に直行した。定刻に金澤廻りの「雷鳥」でHk氏は無事到着、全員で「ぴりけん」へ。ここは昔岩崎徹(Iw)君と來たところだが、今は改装されている。全員中華料理。

 

 レクチャー・ルームの午後一番手はHg氏であった。暮れは30日まで勤務であった様だが、その間カラーコピーの資料を數枚ずつ用意していただいた。Hg氏はSonyのヴィデオカメラVX1000をコリメート方式でアイピース部に取り付けて、惑星を撮る譯だが、下手な冷却カメラの像より好い像を獲ている。特に青色光は冷却カメラで苦勞するのに對し、殆ど難題なく熟している。ヴィデオ像から静止像を選擇するのも楽であろうHg氏はMac使用だが、このモニター上で五十像、時には百像をコンポジットするようである。これを原画として、Photo Shopで畫像處理をするが、配られた資料では六通りの方法で畫像が比較されている。木星の例では筆者は判断つかないが、アンシャープマスク法がディテールがしっかりしているようにみえるものの、イメージが悪い。矢張り「ハードライト」か「オーヴァーレイ」であろうか。火星の例では明確に「アンシャープマスク」は駄目である。模様がゴミのようになる上、像が惚けている割に鮮鋭度が高いような錯覚を與える。「オーヴァーレイ」がタルシスの出方など自然と思うが、Hg氏の意見は忘れてしまった。

 

Gianni & HIGA: photo by AKUTSU

 

話は前後するが、Hg氏は強いenhancementはお好みでない様で、GQr氏の處理に関して、最後の像の一つ手前のコンポジット程度の柔らかい像が好い、と言う意見であった。然し、この例はGQr氏らが、16 marzo 1997にトリノのOsservatorio di Pino Torinese42cm屈折で撮った像で、柔らか方にはヒュペルボレウス・ラクスを割るイアクサルテスが出ていない(イアクサルテスはマレ・アキダリウムと同じ濃度で、ヒュペルボレウス・ラクスに劣る爲、ヒュルボレウス・ラクスに分裂を齎らす--#188p2054上から13行參照)のに對し、強調像これを明確にする。從って、GQr氏らの方法が過度だとは言えないが、原像かVanCittertフィルトレーションを行うだけで十分なディテールは出る様である。Hgの場合、「ソフトライト」より「S乗算」に依る像が綺麗である。Hg氏は穏やかなを造る爲に、稍蔭のあるシャープな像(普通にはこれで滿足する)と明るい像をサムップすることもしている。ヴィデオは大畫面で流し放しであったが、木星や土星な壓巻で、GQr氏が義國の會合で紹介したいからということで、Hg氏に一本イタリアの方に送ってくれるよう依頼していた(PalだけでなくVHSも可能なのだそうである)

 

 午後二番手として、筆者が1996/97年の火星觀測について二三話をした。概説でもなく、CCDに関することで、全體には亙らない。先ず#197Hg氏の像が印刷に好く出なかった理由を述べ、現物を實物幻燈機でモニターに出した。Photo ShopによるRGB分解がしっかりしている例としてでもある。次に、シュルティス・マイヨルの朝方か顕れる瞬間を、伊舎堂弘(Id)氏の10Mar13Marのスケッチに依って例示した。淺葱のシュルティス・マイヨルの朝方は既に2425NovId氏や筆者によって觀察されているが、2731Dec等にも見られている。これを強調したのは、淡いシュルティス・マイヨルを赤フィルターなどで濃く見ようとするのは愚の骨頂と言いたいが爲であるが、17JanGQr氏の像などはIRを使っていながら、BGRではその處理を誤っていない。三番目に、(これは次號邊りでレヴューするが)タルシス三山が朝方には雲の上に出ている例をId氏の2730 Marのスケッチをモニターに出して示した(筆者の例も用意していたが出すのを忘れた)。然し、こうした高山は午後には火口まで雲を被るのであって、その綿毛の様な容子の見られた赤經衝の時の筆者の連作をモニターに出した。オリュムプス・モンスが南中する例である。こうした例はHSTのアニメーションで無視されていることである。その他二三用意はしてあったが、後の時間が心配なので適当に打ち切った。尚、OAAの觀測は7 Sept 1996 (006°LsHkNjMn)から、9 Nov 1997 (214°LsMk)まで、国内だけで2630(暫定値)の報告を受け、これは前回の2559點を上回ることなど(もう少し細かく)報告した。

 補足の形で、Ns氏が1998/99年の接近の視直徑の変化を圖示、モニターに出した今年の十一月には5秒角に越え、1999年四月24(128°Ls)の衝には16秒に達するようであるが、今年の年末から既に赤緯は南緯に落ち、最接近の頃は12S近くなるので、シーイング等の觀測条件は悪くなる。

 

Gianni talks: Photo by Hg
 

愈々、クアッラ(GQr)氏の登場である。 GQr については#179(25Sept1996)に紹介の通り、 主に30cmカセグレイン(f/24)ISI CCD-800 14HSを装着して撮っている。このカメラにはKodak-0400センサーが入っており768×512のピクセルの像を造る。14ビットのA/D (analogue-to-digital) コンヴァーターを持っているので、輝度の階調は214=16384ということになる。転送速度は遅く10秒程であるが、このカメラは八枚のフィルターを内蔵していて、その内誰もが注目するのはB光のフィルターである。420nmの優れたバンドパスフィルターで、然し乍らクアッラ氏も出自は知らない(もともとはカリフォルニア産、然しNs氏の調べで日本でも「スターゲイズ」社等で入手可能、RGB干渉フィルターで8萬円程度)。實はUV330nmのフィルターも附いているが、これは露出が長くなる爲に餘程の時でないと撮らない由。露出倍數などは#186 p2025LtE等を參照されたい。

 GQr氏は黒板を使い特性曲線や數値などを並べながら話された。青について改良の見られるKodakCCDチップKAF0400Eについての議論も出た。Ns氏からの情報では、Mutohでも開發中で、つい最近試作品が完成している様である。Dark-noiseが増えるので、冷却をさらに強化する必要がある由。価格は二倍になる。

 ♂GQR氏は畫像は一分間に數十枚取込む様で、それらをFITSにファイルし、畫像處理は先ずそれらからコンポジットを作り、DOS/V上で動くMiPSという法國製のソフトで行うようである。Fitsは以前法國のDIJON氏から送られて來て、往生したものと同じで、後にHiddenImageでも讀めることが分かったが、像が鏡像になるのは可笑しい處である。尚、Ns氏の後の調査に依れば、国内でもMaxlm DLを販売している「データダイナミックス」社からMiPSが販売されている由(価格は89,000)

AKUTSU and MURAKAMI in front of a monitor, Photo by Hg


 GQr氏は我々に囲まれる中DOS/Vのモニターで様々な像を見せてくれた。惑星以外にも、ピク=デュ=ミディのドームの周りで撮った風景写真など興味があるものだが、アンドレア・レオも何枚かに冩っていた。惑星では、CMO#182p1963の土星像(このコピーをHg氏は今回GQr氏から一枚頂戴した)に見られるような合成法で作成した木星など、當然リム附近の様子が鮮やかで木星族は感心している。MiPSで展開圖を作り、それを戻す譯である。

 壓巻は、土星のアニメーションで、丁度宇宙船の窗から見る様にリアルな土星が回転し、更に我々が土星の後ろ側に廻り込む様に見えて、CGに近い畫像である。バックに散らばる星も流れる様に動き、向こうに何か惑星らしいものが現れるというところまで固唾を呑んで見入った。まことに見事でこれには思わず我々は全員拍手してしまった。GQr氏もこれはアンドレアの功績だから彼を祝して、と言って自分も拍手していた。

 

GQr氏の話の途中ですっかり外は暮れてしまった。全員天文臺に移ってみたが、空は薄曇りで、月が僅かに見える程度。土星は低倍率でも暗い。ただ、前夜は天文臺内6であったの對し、この日は9と稍暖かであった。ドームで紀念撮影をした。GQr氏はHg氏とVX 1000機の写真を撮っている。Hg氏は目出し帽を被っているから面白い写真になるだろうとと思う。

Left to right, front: HIKI, NISHITA; back: MURAKAMI, NAKAJIMA, AKUTSU, MINAMI, HIGA & Gianni


 講演は續いてMk氏が1997年にInternetで見られた情報を掻い摘んで要約した。MarsWatchの話が中心であったが、HSTの活躍についても触れた。MnALPOBAAの動きの可笑しな處を補足した。

 次いで、Hg氏のこの會は成功であったという發言があり、Hk氏が決意表明をした。Hk氏の火星觀測は1996/97年は前半快調であったが、次第に組合の仕事が煩瑣になって行った。然し、來期は解放されるようである。

 遅い夕食は全員で出かけた。と言ってもラーメン屋さんで、適當に腹を満たした。GQr氏はラーメン大好きと言うことで、チャーシュー麺であったと思う。但し、チャーシューはMk氏が通譯した。

 

 博物館に戻って、扨て、何をしたか、順序が定かでないが、Ak氏と筆者(Mn)がもう一つ話をした様に思う。Ak氏には色々迷いがあるようであるが、木星の畫像處理と、その将來について語った。Ak氏は未だ木星楕円體の平面展開圖のソフトを入手していないが、色々工夫している。最近始めたIRフィルター(Fuji880)による畫像についても説明があった(像は貰っている)。火星にも使えるかも知れない。

 

Left to right: NISHITA, Gianni & AKUTSU (Hg photo)

 

 最後に再びGQr氏を囲む會になり、MiPSによる畫像處理が實演された。原畫像はNs氏の足羽山の20cm屈折による像の中からそれほど上質のものではないが、一點選ばれ、GQr氏自身がキーを叩いて處理して行った。Ns氏のMutohでの像は一枚像であるが、これが五回ぐらい多分VanCittertアルゴリズムでrestorationを行う内に、見る見る像が締まって行くのがモニターで觀察された。實際には二十回ほど行うそうである。残念ながらモニター上では鏡像で、こちらの感覚は上手くないのだが、シュルティス・マイヨルの飛び出しもしっかりして來て、ボレオシュルティスやデウテロニルスもくっきりし始め、マレ・アキダリウムまで朝方に顕れるのには驚いた。シヌス・サバエウスも原畫では區別がないのだが、次第に濃化してきた。これは見事なものであった。Ns氏の像には六枚コンポジットのもあるが、この像であれば更に凄かったと思う。

 MiPSは結局Ns氏のHDに残された。ただ法語である。尚、Ns氏の像をHg-Ns氏はHiddenImageでもやっているので、Hg氏はこれぐらいならHiddenImageで出ると言っていたので、最大エントロピー法と同等であろうか。その實験は残念ながら時間がなかった。既に夜半近くになっていたのである。矢張りCCDに限定しても一日の會議では短すぎた様である。

 會場を締めた後、Nj氏とNs氏の車で、全員三國に移動した。ビールを飲みながら、矢張り午前3時くらいまで歡談した。いろいろ話題が出たが、ここでは割愛しよう。こういう歡談も含めて一年に一回は集まりたいということで、來年は最接近直後のGWに少し長い會議を開こうということになった。接近中の會議は未經験である。来年のことを言えば鬼が嗤うが、記憶して時間を空けて置いていただきたい。

 GQr氏も含めて、遠くからおいで頂いた方には改めてお禮申し上げます。ST-7の參加はなかったが、CCDは殆ど網羅できたのは有意義であった。また地元でもNj氏には會場設定や議事進行についてご苦勞をかけました。Ns氏からは今度は宿泊などでも快く協力を得ました。Ns氏の場合、CCDに関して今回のCCD三強の來訪は大變勉強になり、五里霧中の状態から、まさしく霧が晴れて、何をすればよいか明確になって來たようで、CMO Fukuiとしても嬉しいことである。

 ♂ 3日の氣象臺公式氣温は福井は13.4°C/2.0°Cであった様であるが、那覇は24.2°C/19.1°Cでエライ違いである。京都は12.7°C/1.0°Cであるから、GQr氏には好かったかと思う(相當、前以て嚇かしたのであるが、嚇かし過ぎか)。しかし、5日の朝は三國は地表や屋根が眞白になった。もう一日早ければ、Hg氏に雪が見せられたのに殘念と言えば殘念。

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