CMO ずれずれ艸 (南天・文臺)

 その弐拾參


一天天・一點點


 

TethysThetis 

 

『天文年鑑』1994年版p202の衛星の表の土星の部にTethys「テティス」というのがある。これは  希臘神話のティタン族の一員のオケアノスの妹・妻の名である。然し、ネレウスの娘にテティスというのが居て、こちらも頻出するが、こちらの方は「Thetis」と書く(オケアノスもネレウスも#116  p1029 の記事(ワード・ウォッチング・II)に既出)。もとの希臘語では勿論区別されている筈で、我々もTethysの方はテティスでなく「テテュス」と区別しなければいけないだろう。以前にも書いた様に y は仏語で i-grec (イグレク)つまり希臘の i と区別しているぐらいでμ(my), ν(ny)等の母音部に入っている。発音は獨語の ü と同じだそうで、從ってミュー, ニューなどと仮名使いする。Syrtisをシルティスとせず、シュルティスとするのも同じ理由による。同様に、Ganymedeもガニュメデ、Hyperionもヒュペリオン、Calypso=カリュプソ等とすべきである。『天文年鑑』の編集部には申し出てあるが、フイルムと同じで、生半変えられないのかも知れない。(μµ)

火星通信#140(25 Dec 1993) p1341

 

東は巾着

 

最近クイズテレビで、という漢字は日が木の幹に沿って昇ってくる様子を示したもので、東  はここから出たという尤もらしい話を二度ほど聞かされた。こうした解釈は多くの漢字になされてきたし、東のこの解釈はジェスイットによって西 洋にも齎らされ、ポール・クローデル等も漢字の例として実際に書いている。然し、現在ではこれは間違った解釈と知られている。甲骨文字が発見されて解ったのである。

東という字はもともと袋の或る形を借りていたのである。筒状の袋を上下で巾着絞りに縛った姿を写している。最初は上下対称であった譯だ。現在でも中國語では東西[tongxi]とは“もの”のことである。例えば“愛惜東西”はものを大切にすること。東と西の時はアクセントが違う様である。

似た笑話に王安石が竹鞭を馬に当てるのを篤と説いたので、蘇東坡が犬に竹鞭を当てると笑うのかネと言ったという話がある。

尚、も藤堂説では植物を暖める納屋の象形となっているが、金文に詳しい白川静説では南人の用いた銅鼓の形の由。(μµ)

火星通信#139 (25 November 1993)

 

トロッコとトラック

 

トロッコといってもいまどきの若い人は知らないかも知れぬが、トロッコ列車にその名が残す。これはtruck の昔の読み方であったらしい。いまは、truck はトラックとしてよく知られている。陸上のトラック・アンド・フィールドのトラックはtrack で、紛らわしいが、トロッコとトラックの言い換えは日本語の特長である。


 D R HOFSTADTERの分厚い本にGÖDEL, ESCHER, BACH というのがあり、譯本は『ゲーデル、エッシャー、バッハ』となっている。著者は美國人だが、上の三人は何れも外國人で、バッハなどは美語読みではない。がゲとなるのはゲーテ等で定着している(ギョーテというのもある)。英語読みは知らない。ところで、エッシャーは現地語であろうか。荷蘭語は知らないが、このエッシャー氏はあの美事な“騙し絵”を生み出したE M ESCHERであって、エッシャーという読み以外に聞いた事がない。


一方、わが福井県の三國ではエッセルという名が知られている。八角形の不思議な「龍翔館」(歴史資料館)のもとの設計者でもあり、日本海へ突き出る九頭龍川防波堤の工事指導者として名を残す。現に「エッセル通り」が完成間近である。このエッセルさんはG A ESCHERで、実はE M E の実父である。父親が三國にいたのは1870年代で、E M E 1902年に生まれている。“エッシャーの描いた92歳の父エッセル”という1935年のリトグラフがある。従って60歳の頃のエッセルの子が天才エッシャーということになる。

 

60年経つと、トロッコ/トラックと同じく混乱が無いのは絶妙である。(μµ)

火星通信#144 (25 April 1994) p1391

 


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