OAA火星課OBの最新『夜毎餘言-その III

南  政 次

CMO/ISMO #410 (25 May 2013)


 

 III-1. 右眼眼底に毛細管の梗塞: 前回のこの欄で、右眼がおかしくなっている、と書いたが、連休のはじめの頃から、少し尋常でないナという状態に加速し、連休明けに早速、近くの評判の眼科医へ朝一番で飛び込んだ。右眼の中に光点が走るようになり、詳細は忘れたが、利き目の右眼で見ることが困難な時があったのである。この眼科の診察では葡萄帶炎の可能性があるということで福井大学(以下、井大と略す)医学部病院の眼科へ赴くように紹介状まで書いてくれた。そこで翌日、朝から井大眼科に走った。実はこの井大眼科は、2011年まで白内障の手術や左眼の黄斑前膜の問題で入院も含めてお世話になったところであったが、左眼の欠点は今に始まったことでなく、結局病状は固定して、大した進展が得られず、見ていただいていた美人の先生が教授選に漏れて金澤の医大に移られたのを契機に足が遠のいていた。それに物理的にも井大病院は遠いので、特別なことがない限り往きたくはないのである。尤も、三國病院で診ていただいている循環器内科の宇随先生も井大出身、現 井大講師として現役で、二週間に一度は三國病院へ来られて患者を診ていられるので、遠いと言っては申し訳ないところである。

   扨て、一日掛かって(妙に待ち時間が長い)井大眼科で判ったことは、右の黄斑に向かう毛細血管の一部が詰まり、血が通っていないとのこと、でこれが原因らしいという説明を受けた。私は宇随先生の診察の通り、高血圧から來る心筋梗塞と脳梗塞の危険性がある爲、血をサラサラにするワーファリンなどの服薬を、それも多量に、長く続けている。しかし、まさかこんなところに梗塞が起こるほど万能ではないと判ってガックリである。やはり、血管全体に老化が起こっているのであろう。検査方法は原則的に内科と似ていて、造影剤を点滴で入れ、秒刻みで眼底を撮影する方法である。実にたくさんの画像が撮られたが、私が見せられたのは開始31秒後のもので、ほかの毛細管は白く写るが、確かに一本は明確に黒くなっていた。錠剤と点眼液を処方されたが、あまり利かないでしょうということで、来月、再検査とレーザーを当てる予定らしい。 

 右眼の状態はというと、文字列など切れ切れで甚だ見難い。TVを見ているとよく分かるが、画面上方からまるで黴が生えたような灰色のベールが落ちるのである。人の顔などにこちらの意識が集中すると、その顔が見えなくなる。テロップなども字が切れ切れで読み辛い。飛蚊症とは違い、もっと大仕掛けである。TV画面は左眼を合わせて使うと顔などは明るく回復するが、左眼の像にはもともと歪みがあって、その影響を受けるので、いかな美男・美女であっても気の毒なほど縦長になったり、口元がゆがんだりして顔色も台無しになる。

 ここ数年は右眼が利き目で、火星は右眼で観ていた。だから火星はいまのままでは無理である。三十年以上も前は左目が利き目であったのだが、火星の見過ぎで、赤色に対する感色性が鈍ったので、右眼に換えた経緯がある。その後使われない左目は退化し、歪みも出てきたので、再び左眼に戻すこともままならないであろう。ただ、左眼では黴は見えないので、自然、左眼を多く使うことになっていて、これで左眼に働きが戻ればと期待するほかない。

   そんなこんなで、いまのところ細かいものを見るのは、新聞を読むことも含めて難儀で、Nj氏が辞書作業用に置いている大きなルーペが 頼りである。ワープロも文字を拡大して打っている。

 なお、上で井大と書いたが、普段は「福大」と言っている。実際、井大という略号は福井では通じないであろう。しかし、福島大学も福岡大学も福大であろうから、文科省では、井大といえば福井大学を意味するのではないかと思う。というのは、私の母親は福井大学に長く勤めていたが、文部省共済組合の組合員証には「井大」が使われていた。私は長くその扶養家族であったわけである。しかし、福島大学や福岡大学はどうするのでしょうね。島大も岡大もありますからね。

 

III-2a. パーキンソンその後:ときどき自信がなくなるが、パーキンソンの進行は遅いか止まっていると思う。運動機能は良くもならないが、ときどき近くの運動公園を一回りして体調を確かめている。三千歩ぐらいは大丈夫のようである。ケアマネージャーさんからは「転ばぬ先の杖」と機会あるごとに注意を受けるが、いまのところ杖は止めている。ただ、ふらつくことはあり、相当注意しないといけない。六月にパーキンソン病患者の歩行訓練が芦原であるらしいので、出かけてみるつもり。その他、記憶力の低下などには参っている。

 数日前、県立病院で陽子線治療を行っている家内の友人夫妻が訪れ、実は昨年の夏にも私は会っているとのことで、昨年に比べて、私の口上がしっかりして來ていると仰った。ただ、私には昨年のことは、前々のこととゴッチャになり、記憶がないのである。森田行雄さんの来訪と時期は離れていないらしいのだが、森田さんのことはよく覚えている。私の記憶には「マダラ現象」があるようだ。『火星通信』の編集でもこういうことがあると拙いなと思っている。

               (20 May 2013)

 

III-2. 転ぶ:とうとう転んだ。但し、肩に擦り傷が少しできただけで大過ない。四月22日に、福井のクリニックの神経内科で書類更新のため脳のMRIを撮った。横になっているだけだが、頭を雁字搦めにして四十分、例の奇妙な金属音の影響下、起きたらふらついた。看護師さんがすぐ車椅子に座らせてくれたので、診察室まで戻り、画像解析を聞くことが出来たが、済んでから福井から三國まで車の助手席に座り、三國のスーパーで降りて、歩いていたら、左傾するようになり遂に崩れ落ちたのである。下はコンクリートなので汚れはしなかったが、転倒は私の身体に内的なショックだったらしく、以後何かと思わしくない。

 今日23日は、三國病院の泌尿器科と耳鼻咽喉科で診察を受けた。PSA値は半減していたが、それはそういう薬を服用しているからで、実質は横ばいということの由、また時間待ちである。耳鼻咽喉科は「のど」の様子がおかしく、ひどく咳き込む時があるので診てもらったわけだが、鼻からの内視鏡では異常が見えないということであった。

    (23 May 2013)

 

III-3. LP:連休に長男夫婦が孫を連れて三國に來ていたが、長男が、安物だけどLP用のターンテーブルを運んで來て、玄関に置いてあるよ、ということであった。尤もLP盤はどこかにしまってしまい、多くは行方知れずだが、一度知り合いにテープにコピーするよう頼んだLP盤が、目の入るところに数枚残っていたので、幾枚か試してみた。安物かも知れないが、新式で、盤を載せれば、ボタン一つで 自動的に針が動いて演奏が始まり、終わると自動的にストップする。苦勞がないので甚だ結構である。

  ABBEY ROADはしばらくぶりで、LPのジャケットは大きいから、しばし眺めた。昔、ロンドンのAbbey Roadへ出かけ、この横断歩道を渡ったあと、戻ってルースに同じ景色だったと告げたら、実はいまは道路両端にギザギザのマークが入って居るが、ジャケットの時は無かったのよ、と言われた。改めて見るとなるほどである。レコードが出た頃、ポールがもうこの世にいないという噂が飛び交ったそうで、レノンが白服(礼服)、ポールが裸足なのが、その証拠とされたそうである。ルースはポールのファンだったようで、この噂話のときは現役のファンであったようだ。さて、LP盤の音は、昔の音が蘇って結構であった。

 クラシックでは久しぶりに、悲劇のジャクリーヌ・デュ・プレのエルガーのエニグマとチェロ協奏曲をLPで聴いた。両方ともバレンボイムの指揮で、フィラデルフィアとロンドン・フィルハーモニー(LPO)の演奏である。キズ以外は音に問題はない。

 聴き比べは、真梨邑ケイとハリー・ジェームズのコンビのThe Man I Love(ガーシュイン)でおこなったが、LPの方が深みがあり、音の高低差も幅広く、観賞用としてはLPの方が優れていると思った。同じアンプと同じスピーカーである。

 もう一つの聴き比べは、デーヴ・ブルーベック・カルテットとオーケストラのBRANDENBURG GATE, Revisitedでおこなった。CD盤は先にオークションで落としたものである。二者どちらも遜色はないが、LPではバックのオーケストラのヴァイオリンの高音は良く出ているし、ユージンのベースの低音のピチカートは綺麗である。ポールのサキソフォンは独特だから、両方で同じだろう。

    結局、CDはケースに収めたり、出したりするのが簡便とか、持ち運びに便利なのに対し、LPは面倒であるというぐらいの差しかないと思う。

 (20 May 2013)


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