Alaska workshop and visit to Alaska University 2007年3月17日ー24日 (注)日記を書いている時間がなく、2日分のみ。    あとは、以後の補足(2007年6月23日) 3月17日(土) 朝9時26分の新幹線で東京へ。成田エキスプレスに乗ろうと したら特急券を買っている時間がなく、直接プラットホームへ。 しかしそこでも売り場がなく、結局、電車の中に乗ってから、 あいている席を探してすわり、車掌さんが来たときに 特急料金(1600円)を払う。岡君には電車に乗る前や乗ってからも 会ったが、降りたら行方不明に。後で聞くと降りる駅を一つ間違えた とのこと。成田空港では、磯部君、磯部君の奥さん、原君らに出会う。 磯部君の奥さんは見送りとのこと。チェックインのところでは みんなとはぐれてしまい、結局、出発ロビーのところで、再会。 飛行機の中では岡君と隣合わせになり、仕事(レフェリー、講演準備) も多少するが、話も色々しつつシアトルへ。約8時間あまり。 後ろの席には、磯部、岡本。シアトルーフェアバンクスは5時間ほどだが、 ほとんど熟睡。日本の夜中に対応したため。しかし、 途中で見たアラスカの下界の風景に感動。雪の中に蛇行した氷った川や 雪に覆われた山々。氷河もはっきり見える。写真に撮りたかったが 手元にカメラを持っていなかったので、断念。その分、目にしっかりと 焼き付けた。遠方に高い山も見える。後で聞くとマッキンリーかもしれ ないとのこと。他の日本人(荻野、大村、サマーズ、片岡、菊池、湯元) も成田から一緒。シアトルからは、鵜飼さん、ハドソンなども一緒。 落ちたら大変だと思いながら夢うつつでファアバンクスへ。 途中アンカレッジにとまったときは 間違えて降りそうになった。あぶないあぶない。湯元さんは一度間違えて 降りて大迷惑をかけたことがあったとか。 フェアバンクスのホテルには、ホテルのシャトルバスで行く。ホテルには さ3時頃着いたので、それから講演の準備。しかしなかなかできない。 山田さんから電話があり、ロビーで挨拶。 夕方、日本人グループでホテルのレストランで食事をしていたら、 ツルタニさんがやってきて赤祖父先生がオーロラツアーガイドを紹介してくれる という。赤祖父先生に久しぶりにお会いし、連絡先を聞く。 8人までOKというので、くじ引きで選ぶ。講演準備できていないので どうしょうかと思ったが、善は急げで、申し込むと当選。夜の 10時ー2時の観望で、80ドル。シャトルバスで30分ほど移動して、オーロラが 良く見る暗い場所の一軒家でオーロラウオッチング。参加者は我々だけでなく、 他に一般の人が10人くらい。家の中は暖かく、コーヒーや クッキーもある。家の庭から北が良く見えてそこで、オーロラを見る。 辛うじて淡い緑のオーロラが見える。ちょっと感動。しかし、すぐに暗くなり、 部屋の中に戻る。部屋の中で、原君や岡君、草野さんらとだべりながら待つ。 やることがなく、時間を持てあます。こんなところに来れるなら、パソコンを 持ってくればよかった。ときたま外に出て様子を見る。再び見え出したから、 デジカメの星空モードで60秒露出するとオーロラが写った。 これに気を良くして写真撮影で楽しむ。最初は手で60秒持っていたが、椅子に 置くときれいに撮れた。結構きれいに撮れるものだ。(ホテルに帰って フォトショップで、色調補正の自動レベル補正をクリックしたら、実際に 目で見たよりもきれいなオーロラとなる。) 最後はみんなで記念撮影をして終了。2時半すぎにホテルに戻る。 それからようやく明日の講演の準備。結局朝まで完全徹夜をしてしまった。 3月18日(日) 朝、ホテルの2階の会場に行くと、岡君がまだ来ていない。アラスカ大学の クリスさんがプロジェクターなどの用意をしてくれている。朝食も出るとの ことだったが、それは少し遅れる。コーヒーのみ。赤祖父先生がプレゼンの チェックをし、自分もチェック。磯部君に岡君を起こしにいってもらう。 直前にようやく到着。ほっと一安心して最初にあいさつを少し述べるが、 ちゃんと準備をしていないので、いいかげんなもの。さてと岡君を紹介しよう としたが、そのときになると会場にいない。ちゃんと打ち合わせをしておく べきだったと思うが、後の祭り。ま、インフォーマルな会だから良しと するか。(3日目が終わって、Gopalswamy さんに感謝の礼を述べると、 最初にCAWSESを宣伝すべきだった、とのこと。そういうものか?) 会議参加者数は40人弱。招待オンリー。 最初の講演は赤祖父先生。 次は自分の番。 赤祖父先生との関係の歴史を簡単に紹介したら拍手喝さいだった。ついでに 前日撮れたオーロラの写真も見せたら、これも拍手喝さい。 導入が受けたので、その後の話もスムーズに。話の主な内容は太陽フレアとは 何か、フレアとコロナの関係は?、残された課題:エネルギー蓄積、トリガー機構、 粒子加速、リコネクション率を決めるものは何か?というもの。このうち前者の 2課題を、周辺の研究(Chen−Shibata,Kurokawa-Ishii,Nagashima et al)などを 紹介しつつ議論。いくつか質問が出た。質問は、粒子加速だけでリコネクション はいらないのではないか(湯元)、とか、プリフレア現象はない(Hudson)とか、 など。私の後は、ツルタニさんの interplanetary の話。ちょっとわかりにくい。 原君のひのでの紹介は、なかなか図が出てこなくていらいらしたが、後半ようやく 色々ムービーが出てきてほっとする。やはり新しい観測の話は皆の人気の的。 Gopalsさんの話でおもしろかったのは、geoeffective なCMEは11年周期の減衰期に 現れるというもの。これは歴史的大フレアが周期の減衰期に現れるのと同じではないか? また、その物理的メカニズムは何か? と質問したら、「どっちも、よくわからん」 とのこと。 夕食は、山田さん、Bhattachargy san 、岡君と食事。 いろいろ話が盛り上がる。 夜はさすがに疲れてオーロラウォッチングは省略して睡眠。 しかしこれが失敗。オーロラ組(大村、磯部、岡本、ほか)は、 きれいな垂直のフィラメントが見えて感激したとのこと。 3月19日(月) 会議2日目。 夜 conference dinner。 赤祖父先生、ツルタニさん、Rostoker さんとTable を囲み、 興味深い昔話をいっぱい聞かせてもらう。 夜、ホテルの近くの川(氷)の上で、オーロラウォッチングを 試みるが、あまり見えず。そもそもオーロラが発達していない。 服装は何の準備もしていなかったので、 ズボン下にパジャマズボンをはき、靴下、パンツ、シャツなど みんな2枚ずつはいて、あげくの果てに、マフラー代わりに ホテルのタオルまで使って、−20度に備えたのだが、 報われずに終わる。 3月20日(火) 会議3日目。 conference summary の時間に(米国東海岸大雪のため) 出席できなかった人(Reeves, Su) のppt file など紹介。それもあって、 私自身のconference summary talk としてはまともなものは準備できず。 一方、Hudson さんの講演(彩層の話)でスピキュールに関する私の昔の 研究が全く無視されていたので、それについてコメント。 ひのでのジェットの最新観測の話も少しコメント。 というわけで、最後の私のsummary talk はちょっと中途半端なものに なってしまった。 しかし、会そのものは、なかなか楽しい会だった。 参加者皆さんも楽しんでいただけた模様。 最後に赤祖父先生が次回は 2年後くらいにぜひ京都でやろう、とのこと。 赤祖父先生から、ご著書「北極圏へーオーロラと地球温暖化に挑む」 (白日社、2006年)をいただく。(3月28日読了。感動の連続。驚くべき本。 国際北極圏研究センター設立の経緯や、先生の自伝が詳しく書いてある。) 夜は、ホテルのレストランで日本人組(湯元、丸橋、荻野、大村、草野、 鵜飼、近藤、磯部、柴田ほか)が集まって盛大に夕食。 3月21日(水) アラスカ大学地球物理学研究所訪問。柴田、磯部、岡、岡本の4人で。 Prof Kan (甘)とインフォーマルセミナーで議論。 J. Chen さん、赤祖父先生も少し出席。後で Prof Ott とも議論。 3次元MHDシミュレーションの元気な研究者(今は大家?)。 年は私と同じくらいか? 太陽もやりだしたという。 国際北極圏研究センターも少し訪問。赤祖父先生が中心になって設立され、 初代所長を務められた研究所。地球物理学研究所の隣にほとんどくっついて ある(ように見えた)。よくぞ新しい研究所を作られたものだと感動。 3月22日(木) Kan 先生が、氷の彫刻のフェスティバル(コンクール)の会場、 日本料理屋、みやげもの屋などに案内してくれる。大感謝。 結局、オーロラがちゃんと見えたのは、1日目の夜のみ。 ぜひ、また、見に来たい。 3月23日(金) 早朝、フェアバンクスを出て、翌24日(土)夜に無事帰宅。