2010年3月16日〜22日 ペルー・イカ大学太陽観測所開所式 3月16日(火) 前日はまたしても 一夜漬けの出張準備。年のせいで体力が 続かない。完徹はできず1時間寝てしまう。 朝9時すぎに家を出て、10時過ぎの 新幹線のぞみで東京へ。 東京で成田エキスプレスに乗り換え 14時ころ成田国際空港に到着。 自宅を出るとき、うっかりして bmobile を持っていくのを忘れ、 移動中はメールは見れず。 成田空港で無線ランの有料インターネット につなごうとするが、時間切れでできず。 16時発のAA便でロスへ。 ロスまでは10時間弱。 飛行機の中では、おもに FMTbook のチェック。 それ以外は、 半分以上寝ていたような気がする。 ようやくロスに着いてメールを見る (1日8ドル)。 100通以上のメールをチェック。 待ち時間が全部で4時間、待合ゲート のところだけでも2時間くらいあった はずだが、メールがあまりにも多く、 時間が経つのを忘れ、気が付いたら ボーディングの終了寸前。 あやうく乗り換えのAA便(LAN便) に乗り遅れるところ。 ロスからリマまでは8時間あまり。 機内では、FMTブックの チェックの他は、パーカー先生の Conversations on electric and magnetic fields in the cosmos  を一部読む。 恥ずかしながら、まだ、ちゃんと 全部読んでなかったのだ。 MKSA−SI単位系がいかに 不便か、物理的内容に反しているか、 強調されていたので、おかしかった。 (もちろん全く同意。実際、 講義ではいつも CGS-Gauss の方が 分かりやすいんですよと話している。) リマには夜中の12時過ぎに到着。 イシツカ・ホセさんが迎えに来るとメールが 来ていたが、出口には見つからず、 しばし、うろうろ。もし、ホセさんに 会えなければどうすれば良いだろうかと 色々思案。電話をしようとするが、 携帯がつながらないことが判明。 メールもすぐにつながらない。 宿泊予定のホテルもうろ覚えだ。 まあ、何とかなるだろうけど、 と色々考えて出口の人だかりの ところへ再度行って立っていたら ようやくホセさんが見つかって ほっとする。 宿泊はリマ市内の buisiness tower hotel。 メールのチェックと返事で忙しく、 結局寝たのは朝5時ころ。 3月17日(水) 起床は朝8時。睡眠時間は またしても3時間程度。 ホセさんが9時にホテルに迎えに こられ、午前10時ころホセさんと 一緒にペルー大使館に行き 目賀田周一郎駐ペルー特命全権大使に会う。 もう一人大使館の梅岡陽子2等書記官も同席。 FMTのイカ大学への移設と、太陽観測所 開所式の件を報告。ただ、西はりま天文台の 黒田さんが中心となって進めている 60cm反射望遠鏡 は輸送は終わったが、建物が未完成の ために、遅れている旨を述べ、支援を訴える。 大使は桜井隆さん(国立天文台副台長) の高校の1年後輩だとか あらかじめ聞いていたので、そんなことも 交えながら、京大の天文台の紹介や、 宇宙天気予報、FMTの特色、CHAIN プロジェクト、宇宙ユニット、 50億年すごろくなど、色々話をする。 緊張してしゃべりすぎたかも? 目賀田大使は、いかにも大使、 外交官という感じのちょっととっつきにくい 印象だったが、ホセさんの話では、 桜井さんが来られたときよりは、 にこやかに話されたとか。 今回、開所式への招待状が昨日届いたとか。 19日はさすがに急すぎて出席は困難とのこと。 ただし60cm反射望遠鏡の開所式には、 もっと前から連絡してもらえれば、 出席するとのこと。 ペルーでの人材育成についても議論。 京大でペルーからの留学生を受け入れる ようなしくみを作ってもらえれば、 大使も協力するというような ことを言っておられた。 結局、予定より長い1時間くらいの面談だった。 その後、ホセさんの運転で、石塚睦先生ご夫妻と、 サンドラさん(アンコン観測所の秘書の おばさん)と一緒に5時間あまりかけて 車でイカ大学へ。途中、昼ごはんは 例によってチシャロンとインカコーラ。 ペルーは3度目だが、いつ来ても、 砂で覆われた山と、砂漠が えんえんと広がっている風景には 驚かされる。川や湧水のところだけ 植物が生え緑がある。そのコントラストも おもしろい。 夕方、日没前にイカ大学の太陽観測所 (solar station)に到着し、上野君、 木村さんに会う。FMTは無事移設終了している (ただし30cmシーロスタットの横に仮設置)。 西村製作所から二人若い人が来ていた。 西村光史(みつふみ)さんと 植村真人(まひと)さん。 西村光史さんは西村製作所の西村有二社長 の息子さん。30cmシーロスタットは ワンカイヨにあったものを持ってきたもので、 制作は50年ほど前、 西村製作所の当時の社長の西村繁次郎氏。 FMTは現在の社長西村有二氏が中心となって 制作されたもの。それをペルーに運んだのが 繁次郎氏の孫ということになる。 西村製作所の西村家3代が ペルーの石塚家2代と深い関係にある ということが判明。なんという おもしろい歴史の巡り合わせだろう。 夜は、関係者一同20人くらいで、 近くのレストランへ。 3月18日(木) 午前中は、ホセさん、石塚睦先生と イカ大学学長へ挨拶に。 ところが学長は急用で不在。 代わりに副学長が対応してくれる。 ほかに理学部長も同席。 英語は通じないということで、私が 日本語で話し、ホセさんがスペイン語に通訳。 副学長に、FMTブックのドラフトを説明。 つぎに京大附属天文台のパンフを基にこちらの 紹介、FMTの説明など。最後に3.8m望遠鏡計画 のパンフ(英語版)を渡し、突発天体観測で 60cm反射望遠鏡と共同ができる旨述べて、 60cm反射望遠鏡への支援を訴える。 副学長は気さくな人で、日本とペルーの native とは人種的、言語的つながりがあるとのこと。 チチカカ湖の近くにすむアイマラ族の言葉は 日本語に語順などが似ているらしい。 その後FMT見学。 Hαセンター像の真ん中に明るいスポットが 見つかる。輸送中にHαフィルターが 劣化したらしい。治るかどうか? Hα+0.8cmのフィルターも かなりむらむらがある。フィルターは1個 120万円ほどらしいので、いずれ 交換するか? Hαプロミネンスモニターもまだ温度調節が できていないらしく、プロミネンスが 見えない。それ以外は順調。 これなら、フレアが起きても、役に立つ データがすぐに取れそう。 太陽の方は黒点が二つばかり 出ており、活動領域も2つほど、活動は そこそこある。 30cmのシーロスタットは 国立天文台から寄贈された回折格子 (300溝/mm)と組み合わせて 太陽スペクトル観測装置として 使われている。スペクトルは 花山のものより小さいが、その分 明るく、フラウンホーファー線が きれいに見える。教育的には 花山よりこちらの方がわかりやすくて 良さそう。ただし、石塚睦先生は 600溝/mmの回折格子が来るものだと 思っていたのが、300だったので ちょっとがっかりした、とのこと。 この太陽分光装置は 昨年3月に元国立天文台の宮崎さん、西野さん が来られて完成し、さらに 国立天文台副台長の桜井さんがそのとき 来られて、記念式典や名誉博士授与式 (桜井さん)が開催されたとのこと。 遅い昼食の後、ホテルに戻り、 明日の開所式の準備。といっても 時差ボケで居眠りしたり、 電子メールの返事などやることが 山のようにあって、なかなか 準備にとりかかれない。 夜は、ホセさん、石塚睦先生ご夫妻と 4人で中華料理屋へ。3人用の セットメニューを注文。ワンタンスープが おいしい。チャーハンが山のように来て びっくり。 夕食後少し寝てしまい、結局 夜中に開所式スピーチの準備。 10分くらいの原稿を完成。 FMTの移設の経緯を説明する内容。 結局寝たのは5時ころ。 3月19日(金) 午前10時から開所式ということで 太陽観測所に行くが、まだ、式典会場の 設営が全く出来ていない。 これがペルー式らしい。 しばらく待つが、快晴で熱い。 上野君は日焼けでまっ黒け。 11時ころからようやく 開始。参加者数は200人位。 地元TV局からインタビューを 受ける。もちろんホセさんの通訳つき。 いきなり「協定は?」と聞かれて、 答えにつまる。ホセさんの 助けを得て、IGPとイカ大学 (まだ何もしていないが、これから) と結ぼうしていますと回答。 「FMTは何を観測するのに使いますか?」 というような質問でようやく 答えられるようになる。とにかく しどろもどろだった。 開所式は、イシツカ・ホセさん、石塚睦先生、 副学長、学長、副学長、私、理学部長 とう順序で壇上にのぼり椅子に すわって開始。 司会者の説明ののち、 学長挨拶、そして私の挨拶。 セミ徹夜で準備した原稿が レポート用紙に5枚分ある。 それをちらちら見ながら ゆっくり話す。大体、1文ごとに ホセさんの通訳が入る。 FMTがイカ大学に移設されることに なった経緯を丁寧に話す。 30年前の大学院生時代に石塚先生に 初めてお会いしたときからはじめ、 ゲリラによる爆破のあと、 石塚睦先生が花山を訪問し、 「どんな古くなった観測装置でも 良いからペルーに寄付してくれませんか」 というくだり、さらに、 「その言葉がずっと忘れらませんでした、、」、 という辺りで、通訳のホセさんが涙声になった。 私もつられて涙が出て、つまってしまう。 「すみません」と一言。 そこで拍手が出た。気を強くと思いなおし、 続きを話す。最後の方は、関係者の皆さまへの 感謝を述べ、さらに、FMTは最先端の研究がすぐに できるということを強調。何とか、最後まで、 話せてほっとした。 その後は、数人の挨拶のあと、最後に 学長さんがまたスピーチをして終わり。 その後、FMTの前でテープカット。 FMT見学。ところが、 その時点では雲が出てきて残念ながら 太陽観測は出来ず。 その後は、FMTの周辺で参加者の 人々と記念撮影の連続。 多くの人から次々と記念写真に 一緒に入ってほしいと頼まれる。 まるでスターになったかのよう。 50回以上撮影したかもしれない。 結局、昼ごはんを食べれたのが、 2時すぎ。また、中華料理屋。 ワンタン・ヌードル・スープ。 これはvery good. ホテルの部屋に帰ったのが 3時半。それから電子メールを 見たのが間違いで、1時間つぶれる。 実は夕方の名誉博士式のときの 30分講演の準備ができていない。 1時間しかない、、、 大慌てで準備するが未完。 名誉博士というのは、FMTを イカ大学に移設(実質は寄付と 同等)することになった返礼と してイカ大学から授与されるもの。 京大の附属天文台台長として受けるもの。 石塚睦先生も2年前の 50周年記念ワークショップ のときに授与されていたし、また、 昨年3月は国立天文台副台長の桜井隆さんも 太陽分光器の寄付により授与されていた。 5時半にホセさんが来て 会場へ。会場のすみで 続きの準備。こんなの ばっかり。かろうじて 何とか形を整える。 名誉博士号授与式は まず、特別の衣装を着るところから。 ハリーポッターに出てくるような 伝統的なヨーロッパの大学教授の 衣装。式は、やはり壇上にのぼり、 スピーチをいくつか聞く。 スペイン語なので全然わからない。 そして名誉教授授与で、 表彰を受ける。なんだかよく わからないうちに、表彰を受けている 気分。立派な賞状をいただき、 きれいなメダルも首にかけられた。 のち、30分講演。ホセさんが通訳。 イカ大学では今まで2回(3年前と 2年前)太陽の講演をしているので、 それと内容は半分以上重複しているが、 しかたがない。 内容は、太陽とは何か、 太陽観測国際協力 (FMT、CHAIN、ひので)。 中心はもちろんFMT。 今回はFMTが すでにイカ大学に来ているので、 どんな研究ができるか、 何がわかるかを重点的に解説。 何とか終わる。 その後、学長さんの長ーいスピーチ があり、それが終わって乾杯。 その後は再び記念撮影ラッシュ。 写真屋さんが、撮った写真を いっぱい持ってきたので、 Thank you very much と感謝するが、 何か通じていない。周りの人の 助けで何を言っているのかようやく わかった。それが 「写真は1枚5ソール(約150円)」 何と有料なのだ。写真はいっぱい あったので、上野君の助けを借りて、 5枚ほど良いのを選ぶ。上野君が値引き交渉 をしてくれて、結局5枚で10ソールになった。 とにかく、こんなイベント(名誉博士授与式) で当の名誉博士を授与される本人から 儲けようとする商魂のたくましさには驚いた。 記念撮影会が、ひとしきり終わったら、 ホセさんがやってきて、 「予定されていた学長主催の夕食会は 準備が間に合わず、キャンセル」 とのこと。何とこれもペルーらしいか? その代わり、イカ大学の理学部の物理の 先生方が夕食会を開催してくれた。 こちらは寝不足でメロメロの状態だったが、 ペルーの歌など聞かせてもらい、 夜の10時すぎに長ーい1日が終わった。 3月20日(土) 朝、8時すぎにイカを出発して リマへ。車で5時間余りの旅。 イカーリマは距離が約300km。 パンアメリカン・ハイウェイを走る。 イシツカ・ホセ博士が運転手、 ほか石塚睦先生夫妻、サンドラさん、 私の計5人。 途中、イカ市内で新聞を買うと、 3紙くらいに、昨日の開所式の 記事が写真つきで出ていた。 テレビのニュースでも報道されたらしい。 昼にリマに着いて、昼食。 日系人の経営する 有名なペルー料理屋。 オムレツを注文すると巨大な ものが出てきてびっくり。 半分しか食べれず。 夕方、ホセさんとご子息の 拓(ひらく)君の案内で みやげものの買い物。 楽器店でサンポーニャを買う。 悠輝のリクウェスト。 なかなか立派なものが買えて 良かった。 その後、石塚睦先生のご自宅で 休ませてもらい、冷やしそうめんなどの 夕食もご馳走になる。 その間、睦先生と奥様から昔の話を色々 聞かせていただく。 ゲリラに狙われていたときには、 このご自宅でも毎日注意していたとか。 たとえば、窓際で食事はしないように したとか、入口にのぞき窓をつけたのは そのときだった、などなど。 かつて朝日新聞の「ひと」欄に記事が出た そうですね?と質問すると、それは わからなかったが、代わりに、朝日新聞の コラムの連載記事を見せていただいた。 「変わる観測 ペルーにて」というもの。 記事を読むと1994年ころらしい。 (ゲリラによる爆破は1988年。) ペルーに行かれた経緯やらいろんな歴史的なことが 詳しく書かれてあるので、コピーは取れますか? と聞いたら、ホセさんが、わざわざ コピーマシーンを近所から借りてきて コピーを取ってくださった。たいそう恐縮。 でも、大変貴重な歴史的資料がいただけて感激。 夜中にホセさん、ホセさんの奥様、 拓くんに空港まで送ってもらった。 ホセさんとの相談では、とりあえず 次のような計画をたてる。 5月の適当な時期に、1か月か3か月の予定で 飛騨天文台の森田君 (教務補佐員)をペルーに派遣し、 FMTの使い方、太陽データの解析の仕方、 太陽物理一般の指導をしてもらう。 5月までは、ペルーの若い人にまず自力で 頑張ってもらい、5月以後に森田君の指導を 受けて、半年ほどデータ解析、研究を やってもらう。その成果を発表し議論する ワークショップを10月か11月ころに ペルーで開催。 そのときには、私も最優先で 再びペルーに行きます、と約束。 ということで、「また来ますよ」と、 熱い握手を交わして、帰国の途に。 午前1時40分(1月21日)の便で ロスー成田ー伊丹へ。 1月22日(火)夜の11時ころにようやく自宅着。 今回は、パソコンもカバンも盗まれずに 済んだ。