(2001年4月に書いた自己紹介です) 柴田一成 (しばた かずなり) 所属:理学研究科附属花山天文台 (電話:075−581−1235) 一言:2年前に、18年ぶりに関西に戻ってきて、カルチャーショックを 受けましたが、ようやく、最近慣れてきました。そう言えば、18年前に 愛知教育大に赴任したときも、10年前に国立天文台(三鷹)に移ったと きも、カルチャーショックを受け、慣れるのに2年くらいかかったことを 覚えています。しかし、今回の2年は、これまでよりも大変だったような 気がします。というのは、関西は生まれ育ったところで京大も母校、とい うわけで、良く知っているからカルチャーショックなどはあるはずがない、 と思い込んでいたからです。良く知っていると思い込んでいたもろもろの こと(人も含めて)が、実はそうではない、とがたがたと音をたてて崩れ ていったのが、この2年間でした。しかし、このようにほぼ8−10年毎 に移動を経験したおかげで(そのつど、しんどい思いはしましたが)、一 箇所にずっと留まっている人よりは、豊富な人生経験をさせてもらったと 思っています。その経験は、おそらく私の財産の一つと言っても良いでし ょう。若い人々にはぜひどんどん外に出て行き、どんどん移動して、多様 な経験を積むことをお勧めします。 最後に私のこれまでの経歴を短くまとめておきます。 1954年12月24日、大阪府箕面市生まれ 高校(豊中)卒業まで箕面市在住 1973−1981:京大理、学部、大学院D2まで。 気がついたら究極のおたく(MHDシミュレーション屋)になっていた。 1981−1991:愛知教育大(地学教室のち総合理学)。 地方大の研究環境の劣悪さに直面し何度絶望したことか。学会で友人に 会うと、なかば冗談なかぼ本気で「愛教大では、何をやるにしてもすべ て自分でやらないといけないから、院生兼秘書兼助手兼教授をやって いる」、とのたまっていた。(でも今から思うと助手の分際で「兼教授」 の気分でおられたのは愛教大の良かった点。京大附属天文台の助手諸君 はどうだろう?) しかしこの研究環境問題は単に建物や予算の問題ではなく、人の問題 が大きいことを知る。人とはポストの数という単純なものではない。 研究に理解ある人がどれほどいるかという問題である。しかし、驚く べきことに、この問題はその後、国立天文台に移動しても直面した。 (途中、1987−1988:米国テキサス大学核融合研究所 に1年滞在し、田島教授と共同研究。Plasma Astrophysics 執筆開始。プラズマ物理に開眼。) 1991−1999:国立天文台(三鷹)。ようこうチームに参加し、 観測データ解析、衛星運用という新しい世界に足を踏み入れる。 国立天文台、宇宙研、東大天文教室の3箇所を渡り歩く8年間。 後半は次第に教育に重点が移る (まだ東大に3人院生(D3二人、D2一人)が残っている。) 1999−:京大花山天文台