CMO#199 CMO #199 Top Page CMO #199
-- 25 January 1998 --

- From #199 we cite three articles -
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* 6th Workshop of the CMO Planetary Observers
* OAA MARS SECTION
-- Mars Observation Reports of 1996/97 (#021)--
* 10 Years Ago (29) (Japanese)
-- CMO #043 (10 January 1988) & #044 (25 January 1988)-


work shop title (English)
(Japanese)

OAA MARS SECTION (21)
1996/97 Mars Observation Reports , #021 (Additional Reports) (English)
1996/97 火星観測報告 第21回 (追加報告) (Japanese)

From CMO#043 10 Years Ago (29)
-CMO #043 (10 January 1988) & #044 (25 January 1988)-
(Japanese)

 合から四ヶ月経って、火星もいよいよ早朝の東天に姿を見せる様になり、いよいよ1988年大接近の幕開けである。火星はてんびん座からさそり座へと順行を続けていて、一月下旬にはアンタレスの北に並んで眺められた。視直径はまだ四秒台であったが、年末年始には福井に帰省された南氏が中島氏と集中連続観測を早くも実施している。年末には晴天が続いて観測は捗ったようで、足羽山でカノープスを見ながら年越しをされている様子が#043の編集後記に記されている。この年は暖冬傾向で北陸でも気温が高く、一月2日には福井は雨だったとのことである。なお、この年は龍年で#043の表紙には新体漢字でそれが示されている。

 OAA MARS SECTIONへの報告は、南氏・中島氏からのものだけである。小さい視直徑ながらも主な特徴は捉えられているようで、ヘラスが明るく見えて(123゜Ls)、古(いにしへ)には南極冠と見間違えられた事も肯けるような見え方だった由。
 #044によれば、ベルギーの R. de Terwangne氏から、1986年の観測報告(スケッチ93枚)があった。同氏は火星の大接近を四度も体験している長老観測家で、1937年以降の主なスケッチ・Intenssity Estimatesも同封して送付されて来ている。

 記事としては、「報告用紙の体裁について」南政次、#043,p380 として、報告はB5用紙に統一して欲しいとする案内がされている(現在はA4に統一)。一観測一枚の用紙に納めること、時刻順の通し番号を付けることなどは現在でも踏襲されている。また「1986年火星模様の濃度測定について」岩崎徹、#044,p383、も掲載されている。連載中の、「D.C.パーカー氏の火星写真(1986年)の紹介」も、(その10) #043,p379、(その11) #044,p392と掲載され、30 July(215゜Ls)から 26 Aug(232゜Ls)までの七枚の画像についての解説がある。コラムには BAA,JPL,TAA等外国からの情報が紹介されている。
 「夜毎餘言」は、未だ短編で第六回「Where is CerberusV?」 #043,p378、第七回「フロンガスを使うな!」 #044,p391の二編が見られる。前者ではCerberusVについて誤解があるとしている。
 来信には、賀状からの抜粋の他、大沢俊彦氏・日岐敏明氏・頼武揚氏・長谷川久也氏・阿久津富夫氏等から寄せられている。「臺北訪問記」宮崎勲、#044,p387が、臺北旅行のエピソードを多く語り興味深かい。上記ベルギーのテルヴァンニュ氏の観測報告に同封されたお便りの紹介もある。

(Mk) 村上昌己

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