10 Years Ago (50)
10 Years Ago (50) (Japanese)
-CMO #078 (25 October 1989) -

火星は1989年十月1日には太陽と「合」になった。以後は太陽の西側に移り、1990年11月の次の接近に向けてゆっくりと近付いてくる状態に変わった。

 CMO#078頭初は、1988CMO観測ノート(7)で、南氏の「8月末のM Acidalium上の白雲について」が掲載された。1988年八月後半(Ls=260゚〜265゚)に観測されたマレ・アキダリウムを覆う白雲についてのノートである(cf.CMO#059 p467)。
 覆われる様子が日毎に違い、マレ・アキダリウムが薄い白雲から透けて観測されている日もあった。時間的な変化も認められていて、興味深い観測対象だった。
 南氏は、変化する現象の詳しい解析のためには、同一条件での追跡が必要であることを説かれ、27 Aug (Sat)は多くの観測者が白雲を観測していながら、各自の追跡が不十分だったことに不満を表明されている。
(27 Augは夜半前に部分月食があった。日本国内では全国的に好天だったが、南氏滞在の臺北では天気が悪く火星観測は出来なかった。)

 「LtE スペシャル」は六回目を数えた。Jan 1989 〜 June 1989の半年間における、観測に関わりのある来信のダイジェストが一気に掲載されて、最終回となった。
 始まりは年初に福井で開催された「第3回惑星観測者懇談会」に関連してのものが取り上げられた。続いて一月前半の観測から。次いで21 Janに白尾氏宅での「1988年火星写真集」の相談会の様子。再び一月後半の観測から。その後は岩崎徹氏の定期報告に添えられた来信から、宮崎に転勤された同氏の近況など。三月に入り白尾氏からは、今期の写真観測に関して、適したフィルムや撮影方法などのレポートが寄せられた。四月に入ると観測期も終わりに近付き、ぽつぽつと寄せられる観測終了の挨拶の便りが取り上げられた。最後に臺北のョ武揚氏からの面白いお便りが紹介されて締め括られている。
 取り上げられた来信を寄せられた方々は、伊舎堂弘(5,18Jan; 15Apr):岩崎徹(2,16Jan; 1,15Feb; 1,15Mar; 2,15Apr; 2May):長谷川久也(7,24Jan; 18Apr; 17Jun):宮崎勲(8,19Jan; 2Feb; 30Mar; 22Apr):阿久津富夫(12Feb):比嘉保信(11Feb):白尾元理(1,27Mar; 2May):ョ武揚(8Jan)の各氏だった。

 コラム記事は、久々の「夜毎餘言 X III」で「腹巻のすすめ」と題された一文である。
 まずは腹巻とお腹の関係。南氏は暑い台湾でも愛用されたようで、「正露丸」(今はこう書いてあります)と共に食中たりの必需品との事。承前して臺北での飲み物の話が続く。曰く「寶硬力」「水瓶座」「光泉印牛乳」などなど、臺北での生活のエピソードに併せて紹介される。
 次いで腹巻は腰にも良いとのことで、カッコ悪いが観測時に無理な姿勢をとっている我々にはもってこいのアイテムだと説かれる。
 拙文の筆者も足からの冷えで腹の調子が悪くなるときがあったが、腹巻の着用で凌げた事があった。板前たちヤクザな稼業の人間の晒の腹巻にも、意気がっている格好だけでなく、存外実用的な面もあったのかも知れない。

(Mk) 村上昌己