巻頭論攷

百年前 (1913~1914)BAA火星課の観測

(そのⅢ)

原文  E.-M.  アントニアヂ 著す

 南 政 ; 解題

CMO/ISMO #436 (25 July 2015)


English



 

 以下の稿は CMO#431#434において今から百年前のBAA火星課の観測のユゼーヌ・アントニアヂによってなされた報告の紹介レヴューの続編であるが、今回はその第三部で、本文の第三節の紹介である。アントニアヂは1896年から1916年まで火星課をフランスから指揮し、十回の接近の報告を書いている。1913|1914年接近は最後の接近の一つ前で、視直径は15秒角で小接近だったが、視赤緯は26°Nを越え、地球の北半球からは南中時火星は天空高かった。

 

 第三節のメインはSolis Lacusであって、興味はあるが、小接近でもあるので、然程のことは書かれていない。Section IIIの取り扱う範囲はΩ=070°W~120°W、であるからTharsisも範囲に入るから、山岳地方の記述を幾らか期待したが、Ascræus Lacusが登場するだけで然程のことはない。こういった点を比較するには大接近時の観測を参照した方が好いのであろうが、実際にはAntoniadiの段階では(終生)、彼らの観測数が少なくて(というか網羅的ではないので)Arsia SilvaPavonis LacusAscræus Lacusが三連を成すというアイデアは全く浮かばなかったのだと思う。朝方のタルシス山系の暗点群は季節的にはλ=090°Lsぐらいからであって、1914年の時点では季節的に未だ早いのであるが、1916年には可能であったかもしれない。しかし、Antoniadiの最後の1916年報告でもこのあたりの観測は十分ではない。季節的な観点からは1908年には上手く観測網を張れば検出された可能性は大いにあった。つまりAntoniadiは機会を逸したということである。もう一言付け加えると、Antoniadiのような整理の仕方では新しい観測のスタイルは生まれてこないであろう、という感想を持たざるを得ない。

 

   今回、紹介するSection IIIは、前述の様にそのものずばりタイトルはSolis Lacusである。つまりSolis Lacusを含む領域ということである。繰り返すが、この腑分け方はBAAに伝統的なもので、Section IIISolis Lacusというタイトルなのは、たとえば、1909年の大接近の時でも同じである。最初レヴューする次のBosporus Gemmatus模様は、1909年にも同じ様にトップに採り上げられている。

 BOSPORUS GEMMATUS: これは1913|1914年期には弱かった。これを濃く描いたスケッチはThomson26Janのものだけである。

 AONIUS SINUSPhillips (21Dec at ω=097°W) (図参照)にも、Thomsonにもディレクター(Antoniadi1Mar at ω=112°W28Feb at ω=141°W)にも見分けがつかなかった。しかし、McEwen7Octに「明確に輪郭が出ている」とか、10Nov16Decには「明らかに見える」とか、7Aprには「北端に向いて確実」とか111314Aprには詳細が最も濃いとか、15|16Aprには「非常に濃い」などと記述しているようだ。


T E R PHILLIPS' sketch on 21 December 1913 at

ω=097°W, φ=7° by the use of a 12¼” Spec.

 

   THAUMASIA: PhillipsThomsonAntoniadiのみるところでは、これはAonius Sが極端に淡いため、輪郭が出るのは東部ないし南東のみである。この形はディレクターさんは火星図に纏めている。McEwenに依ればThaumasiaの南東部が現れるときは白く(6|7Sept)、南西部は輝くように白い(10Oct)。彼はまた「この土地」は13Octに輝いて出てきた、としているし、その南部は24Decには白く出現し、27Decには全体がCMでも白く見えたようだ。Thomson22Janに沈むときに白いと見ている。McEwenには79Apr(何を観察したのか記述がない-Thomsonと同じということか?わからない)、そしてMcEwen14Aprに「この土地」は再び明るくみえた、とある。 

  行を改めて、21DecにはPhillipsSolis Lacusの真西のThaumasia内に白斑を描いている。一方、Thomson26JanThaumasiaの後方越えに「明るい斑点」と書いている。Phillips1911年に、ディレクターが1909年にほとんど同じものを見ているので、この明るい部分は継続的なものと思われる、とある。

   AUREA CHERSOMcEwenに依れば東方へ浸食しAuroræ Sinusに至っているように見える。この観察はThomson26Janに依って肯定されているが、Phillips21Decが否定している。

   SOLIS LACUS: Thomsonやディレクターには卵形に見えた。Phillipsには西洋梨型でもっと微細があるようである。時に濃かった。McEwenPhillipsThomsonそれにディレクターのデータではこの「湖」は9Novに見掛け濃く、1011Novには識別不能だったが、16Dec20Decには弱く、21Decには非常に濃く22Decには不識別、27|28Decには見えず、23|24Janには非常に濃く、26Janにはノーマルに濃く、31Janには見えず、28Febには非常に弱く、1Mar6Marには非常に淡く、9Aprから16Aprにかけては再び識別不能になった。

 上の記述からすると、Decemberでのソリス・ラクスの濃度変化は急激で、異様に見える。しかし、資料にはたとえば黄雲活動のようなものは書かれていない。Thomson22Dec ω=072°Wのスケッチは前出の21Dec ω=097°WPhillipsのスケッチに比較すると非常に奇妙で、Solis Lacusの片鱗も見えないのであるが、余りに違いすぎて、何も言えませんな。何かの間違いがあると思う。こんなことAntoniadiにも明白だろうが、離れたところで、会合もなく、タイムリーな指導しているわけではなく、違いがあっても後の祭りであろう。

   DÆDALIA: 異常なところは見られない由。

   TITHONIUS LACUSPhillipsThomson、それにディレクターにはその通常の複合的な形を見せていた。W型の構造はPhillipsによって捉えられているし、Ceti Lacus Melas Lacusなどの成分はThomsonによって捉えられている。これらの観測者、それにMcEwenのスケッチに依れば次の様な具合である。この「湖」は明らかに9Novには捉えられていない。10~11Novには非常に淡く、16Dec20Decには識別不能、21Decには濃く、再び22Decには識別不能、27|28 Decには弱く、26Janには濃く、31Jan28Feb1Mar6Marには弱い目、以後は見えることはなかった、という具合である。

    PHŒNICIS LACUSPhillips21Decのスケッチに卵形の節として描いている(図参照)

    LACUS ASCRÆUSPhillipsによって同じ日に非常に冴えない暈けた汚れsmudgeのように微かに暗示している(図参照)Ascræus Lacusの認識には多分「暗点」という視点が未だ無いようだ。スマッジと暗点は違う。「暗点」は19世紀の終わり1894年にリックのEE. BARNARDによって綺麗に検出されていたのだが、そういう話は伝わらなかったものか。なお、1909年にはPavonis LacusAntoniadiは導入しているが、両者の距離は近すぎるように思う。Arsia Silva1894年にL.-A. EDDIEの命名ともP. LOWELLの命名とも言われるが、Antoniadi自身はArsia Silvaを見ていないのではないかと思う。

  McEwen13OctAscræus Lacusを見ており、31Janには「はっきりと見える」、10Marには暈けている、とある。

    OPHIR: 22Nov27DecThomsonは白く出てくるところを見、ディレクターは28Febに輝いて沈むところをみた。14AprにはMcEwenは「非常に白い」と記述している。

    THARSISThomson22Decに白く出て来るところを見、17Jan24JanPhillips27JanにはThomsonTharsisの白く沈むところを見ている。

     ASCURIS LACUS10Nov31Jan9Apr14AprMcEwenのスケッチにCeraunius運河の根元に暗い目の斑点として出ている。

     MÆOTIS PALUS6Oct7Oct15AprMcEwenスケッチ、21Dec(図参照)17JanPhillipsのスケッチに大きな暗い固まりが描かれ、これがMæotis Pと見られる。

 

     以上が本文である。最後に文字フォントを小さくしてMinor Detailが書かれていて、AgathodæmonCerauniusChrysorrhoasNectarNilusの項目が見える。AgathodaemonCerauniusの観測者にはMcEwenThomsonPhillipsDirectorが登場する。どれも運河の幅について2°とか3°4°というような記述がある。

 

  なお、英文の方には出来るだけAntoniadiの英文を保存してあるので(" ")、観測記述の場合、参考になると思う。

 




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