訃 報


ウエッブページの「お知らせ」でも取り上げましたが、128日の夜に南先生の奥様から、先生が「間質性肺炎」で急逝した旨のお電話がありました。

昨年秋から体調の悪いことが続いていたとの事ですが、お正月の80歳の誕生日を過ぎた18日に循環器の定期検診で、白血球値が上がっていることが指摘されて、軟骨に炎症が起きていると同様の症状が現れるとの示唆があり、自宅に戻られました。

その後は食欲も落ち、横になっている時間が増えていたとのことで、16日になって自宅で倒れられて、三国病院から福井大學付属病院へ緊急搬送され入院されました。症状は改善せずに間質性肺炎の治療処置を行おうとしていた28日午前11時に旅立たれたと言うことです。

間質性肺炎の原因として関節リウマチがあげられています。また小脳にも梗塞があったことがわかり、転ぶことがあったのは、それが原因だったかなとの事です。

 


 御葬儀は、30日に福井市内の教会で執り行われました。『火星通信』からは、浅田正氏と西田昭徳氏と私が参列しました。他に、南先生と今接近に足羽山で一緒に観測をした、福井市自然史博物館・特別館長の吉澤康暢氏も見えていました。吉澤氏に拠ると、40分交代で吉澤氏の撮影と南先生のスケッチが繰り返されたとのこと、最後までいつもの観測スタイルを貫かれたとうかがって感銘いたしました。長年の観測パートナーであった中島孝先生は、残念ながら御葬儀当日はインフルエンザで参列されませんでしたが、南先生とは病院でお別れをされたとのことをうかがっています。

 

 南先生は、1986年以来、長きにわたり『火星通信』の発行を続けられ、ご存じのように超人的な観測もされていました。『火星通信』紙面や数多く開かれたミーティングで、同人の我々に火星の観測と事象の解析に関して、様々なことをお教えくださいました。私も火星の見方が、それまでのものと大きく変わったのを覚えています。これまでの御教唆に感謝すると共に、安らかにお休みくださることをお祈り致します。

 『火星通信』幹事 村上昌己

 


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