資 料 整 理 その三 20cm反射経緯台に関して


 

 今回は スケッチブックと共にパットナム・コレクションへ寄贈された、佐伯恒夫氏研磨の20cm反射鏡を組み込んだ西村製作所製作の経緯台について記録を残しておこうと思う。

此の望遠鏡は南氏が大津の官舎での観測に使用していたものである。村上が199812月に譲り受けて、翌年1月はじめから2018年の接近まで火星観測に使用していた。

ローウェル天文台への発送は20199月末のことになって、10月はじめには、無事到着している (LtE; 201910月来信参照)

いずれは、パットナム・コレクションで展示されるものと思われる。

 

  ローウェル天文台に送るにあたって、いくつかの確認作業の折に見つかった資料を示しておこうと思う。また、各部品に関しては、資料として添付した、下記の部品表PDFをご覧いただきたい。

 20cmReflector_04.pdf

 

 資料のはじめは、佐伯氏から南氏へ20cm反射鏡を譲られるときの書面である。これは三国の自宅に保管されていたものであり、書面の内容は次のようになっている。

 

「南 政次 殿     219

            佐伯 

28日付 お手紙拝受、またズワルトの訳本嬉く拝読して居ります。実は今月6日から流感にやられ、熱を出したり、腹痛を起こしたり、下痢をしたりで、一時治ったと思いましたのを、再びブリ返したりで未だにスッキリせず閉口しています。と云った訳で、ご返事遅くなり失礼しました。

 実は20cm鏡は平面とメッキが要りますので、それを今考えているところです。苗村君の手元に平面鏡のスペアがあるかどうかを、今問い合わせているところです故、今暫くお待ちください。

 20cmF8で、面はスムースで精度は1/15ラムダ位の筈です。苗村君に整型を指導して貰ったものですから400×の使用には十分耐えられると思いますから、貴君に活用していただければ、と考えています。今迄に10cm15cmを色々な人に差し上げましたが、誰も活用してくれませんので、ガッカリしている次第です。

 何れ鏡面の條件が揃いましたら、直接お手渡し致したいと考えています。マウントは浅田君や安達君とご相談なさってお作りになるか、西村あたりにでも依頼なさるかにしてください。20cmで高倍率を使っての火星観測にはガッチリした架台が必要です。

 キング商会のカレンダー同封します。10年程前から毎年作っていますが、天体位置表や天文年鑑とは少し違う点があります。これは、丸写しでなく、小生が計算して正しい値を出しているからです。ご活用ください。 不一」

とある。

 

  1999年接近の観測終了後に、苗村氏に依頼して再メッキをお願いした時に、苗村氏から来た書面には、

Al Sio (アルミメッキ+シリコンコート)が、出来ましたので、お送りします。佐伯先生が製作されたときに、私宅にてTest した様に思います。良鏡です。・・」とある

 


 

主鏡背面にはガラス切りで、佐伯氏のサインと製作年月日・焦点距離が印されている。

( F=1615mm,  T Saheki  No.10,  Oct. 29. 1977 ) と、斜めに透かすと、上右図のように読み取れる。

 

 次には鏡筒と架台の製作にあたった、西村製作所のプレートが右画像のように鏡筒にあり、製造ナンバーが判る。この画像を西村製作所に送り、以下のような御返事をいただいている。

「お世話になります。西村製作所の泥(なずみ)と申します。

 この度はお問い合わせ頂きましてありがとうございます。製造番号は前2ケタが年を、後ろ2ケタが台目を表しています。ですので、昭和57年の18台目に製作した望遠鏡です。また納入先は、南政次様でした。

 

 また製作ノートのコピーも送っていただくことが出来た。主鏡セルの背面にも別のプレートが貼付されている。こちらは、主鏡のデータで、ニュートン式(N)の鏡面で焦点距離(F.L.)1615mmであると記されている。

 


 

 奥様の日記による正確な納入日は、下記のようになっている。

「西村製作所から望遠鏡が届きましたのは1982519日。村上様が望遠鏡を取りにいらっしてくださいましたあの大津市の合同宿舎です。ベランダや、時には階下まで降ろして庭で観測しておりました。」

 

村上が大津に望遠鏡を受け取りに行ったときのエピソードは、

https://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/mura/mura07.html

歳時記村 (7) 近江八景 ( 1998 December ) に記録されている。

 

ここでは、大津港での、中島先生を加えたスリーショットをご覧いただく (6 Dec 1998)

 

 

 

 

 無事にローウェル天文台に着いた望遠鏡は、11月はじめには組み立てが終わり、シーハン氏からは以下の便りが寄せられている。和文訳は近内令一氏にお願いした。

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----- Original Message -----

From: "William Sheehan"

Sent: Monday, November 04, 2019 4:32 AM (JST)

Subject: The reflector assembled

 

【反射望遠鏡組み立てました】

皆様、

 この週末に私は20cm反射望遠鏡を上手く組み立てることができて、今夜にも早速月面でその見え具合をテストしてみようと思います。何というか、南政次の観測ノートと同様に、このクラシカルな望遠鏡は私がよく覚えている時代のことを呼び起こします。このような古典的な観測道具や政次のような眼視観測法は私が育った年代を特徴付けるものですが(1950年代及び60年代:“アマチュア天文学の黄金時代”と私は呼んできました)、もっと若い年齢層の最近アマチュア天文学になじんだ人たちの多くは、もはやそのようなことを思い起こすこともないでしょう。

 

 天文歴史学会の文献管理委員にして記録保管人であったステュアート・ウィリアムズは最近亡くなりましたが、2009年に記したところでは:チェムバース辞典の定義によれば、『アマチュア』という用語が指すのは「熱中者もしくは讃美者」ないしは「職業としてではなく、愛ゆえに何かを実施する人のこと」ということでした。

 

 彼のさらなる言葉を私がここに言い換えるならば:天文学の初期の進展はアマチュアに負うところが大きく、この科学が専門分野となる以前の19世紀の大富豪の『大アマチュアたち』や、もっと近年の才能あふれる、しばしば突拍子もないアマチュア天文家たちの貢献が重要であったということです。しかし我々が今生きるこの時代は、消えゆくアマチュア天文学の世界を何とか保護して残すという努力を切実に必要としています。ひとつ挙げれば、巧妙な創意工夫と旺盛な意欲をもって複雑な装置、特に天体望遠鏡を一から自作しようという取り組みとか。いまや世界は安価で高性能な市販の既製天体望遠鏡であふれ返る危機に瀕しており、それはかってなかったほど多くの人々に天文への扉を開いていることは間違いありませんが、観測装置を自分で組み立てて実験してみようという刺激、動機は何らもたらしません。ということになります。

 

 いまここに、我々の手元にある20cm反射望遠鏡が呼び起こすのはあの日々、まだほとんどのアマチュア天文家が自分自身の手で望遠鏡の製作に挑み、そして望遠鏡の分解能を超えようかという月面や惑星の模様の詳細を求めて、時には想像力も駆使してまで覗き続けた夜。そのような古典的な観測法には何か中毒性があって、いまや宇宙船による撮像、CCD画像観測、そして既製の市販望遠鏡全盛のこの時代に育った人々にはその中毒の喜びは分からないでしょうね。そのような時代の歴史を私は時々書いてみたくなります。

というのも、私はありがたいことに、望遠鏡作りや古典的天体観測に並外れて有能だった多数の人たちと面識があったからです。しかしながら、古典的な火星観測の時代に南政次ほど貢献した人は誰もおらず、彼こそは筋金入りの火星中毒者であり、古典的な眼視観測法による火星スケッチ観測数では歴史上の何人も及ばない世界記録保持者であることは間違いありません。彼の比類なく貴重な観測記録の保存保管にローエル天文台が同意したのは私のこの上ない喜びとするところであり,来たるべき火星研究の数々に彼の観測が引用言及されることを切に望みます。

  敬具

ビル・シーハン

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