編 集 後 記
七月は関東では梅雨明けが八月にずれ込んで、長く曇天傾向が続いた、近日点を通過して見事な姿を見せ始めたネオワイズ彗星の観望が出来ないままに日を過ごしていたが、梅雨明けを期待して21日から蓼科へ移動して晴天を待った。蓼科では雨量の多かったこともあり植物たちは生き生きと生い茂り、夏の花が次々と咲いているようで、ホタルブクロ・イブキジャコウソウなどが迎えてくれた。今が盛りと咲くシモツケの花には、連日タテハチョウの仲間が群がり個体数や種類の多いこともあり、初めて見る壮観な眺めであった。
蓼科でも連日不安定な天気が続いて、日中は晴れ間があっても午後から雲が出て激しいにわか雨になることもあり、やっと観測が出来たのは31日になってのことであった。彗星はすでに光度は五等級にまで暗くなっていて、薄明の残る夕空では肉眼では認められず、尾の伸びているのも画像に撮してやっと見えているかという程度であった。
その後も友人の来たこともあり八月4日まで滞在を延長したが、関東甲信地方に梅雨明け宣言が出ても気象状況は変化せず、3日の夜に少し晴れ間の出ただけで、観測は全く不作に終わった。
戻った自宅では、蓼科の涼しさに比べて、暑さが体に堪えて作業が進まず、今回の発行が遅れてしまったことをお詫びいたしたい。
火星は七月には、「うお座」の南の「くじら座」を順行して赤緯を上げていった。夜半前には出てくるようになり、東の見通しの悪い蓼科でも、午前0時頃には木々の間から昇ってきていた。
私の所では7月中には全く火星の観測は出来なかった。これだけ長く曇天が続いた梅雨も珍しいことであった。
八月12日記
火星課長 村上昌己