LAI #207

Letters to the Editor


from Wu Yang LAI in CMO #207

●・・・・・・・八月26日のemailも拝見しました。私から差し上げたemailのうちには、書き上げてから発信しようとしたら、クリック場所を間違えて一瞬に行方不明となり、しかたがないから記憶によって、もう一度書いて発信したものがあります。そしたらどこかに隠れていた前の文章が飛び出してきて、新しい文章に負んぶして行ったらしいのです。だから大同小異のふたつの文章が南さんのところへついたというわけです。じつはいま書いているこの文章も初めの五、六行を書いたときに消滅したので、今書きなおしているのです。

・・・・・蔡さんは九月6日に出発して三週間大陸へ旅行するので、その前に南さんのご返事がいただけたら好都合です。emailでいただけたら、私がすぐ蔡さんへfaxで転送します。
 もう一つ蔡さんの伝言。上海にむかしフランス人が建てた余山天文台の40cm屈折があり、これを南さんが使用したいなら、今度行って事前交渉しますとのこと。そこには食堂があり、長期滞在が可能、ただし寄宿費を払う必要があります。なお、お母上さまのご容態はその後いかがですかと蔡さんが聞いています。
 八月30日の当地の新聞に驚くべき記事が出ました。題して『カナダの小天才、円周率の神話を破る』(中央社アイダホ28日電):(以下要約)決して割り切れないとされていた円周率の神話が17歳の数学天才によって打ち破られた。今年高校を卒業したばかりの伯煕瓦さんはemailを運用して世界の25台の電脳をリンクし、円周率を計算したところ小数点以下1兆2500億桁でついに割り切れた(以下略)。ほんとかいな、南さんこの話を信じますか。
 ここまで書いて、発信しようといじり回していたら京都の南さんからの新しいメールが入ってきました。それにご返事を差し上げるのは次便に回すことにして、今は先ずこのメールの発信を優先します。うっかりして文章が消失したらたいへんだと、びくびくです。私はまだその段階ですよ。

(1九1998 email)

○・・・・・・九月2日のemailをさっそく蔡さんにファックスで転送しました。
 CMOの巻末にあるHome Pageのアドレスは私のパソコンではjp/とcmoの間にある波形の記号が打ち出せません。これはマイクロソフトのIMEの基本設定を変更する必要があるようですから、そのうちにマニュアルを調べてみます。・・・・そんなわけで、CMOのHome Pageを見ることは今すぐというわけには参りません。
 Navigatorをv.4.05にアップしましたけれども、前のv.3とどこがちがうのかさっぱりわかりません。インターネット機能が麻痺状態になることがあって、回復させるのに非常に時間がかかります。私のナマ兵法では、回復した後も、どこをどうやったから回復したのかさえわからない始末です。
 頼の字は化けませんが、右上が刀になった字(それが正字とされています)はemailでは化けてしまいます。日本語版Windowsには正字と日本の現用字頼と両方ともありますが、台湾で使われているのは正字の方です。しかしemailでは頼を使うようにこれから注意します。

(3九1998 email)

○・・・・・・私が3日14時すぎ(台湾時間)に差し上げたemailと南さんが同日16時すぎ(日本時間)に京都からくださったemailとが、いれちがいになりました。私の姓は日本の現行字(右半が頁)なら化けないだろうと思います。日本語版Windows95には現行字と正字(右上が刀)との両方が準備されてあるのですが、正字では化けることに気がついています。私はどちらでもよいと思っていますが、台湾で使う文書には正字でなければ文句をつけられるおそれがあります。私の祖先が残した文書では右半が負になっていました。
 私が差し上げたemailに関する技術上のアドバイスをありがとうございます。

(4九1998 email)

○・・・・・・南さんの"hai-huku"の方法でチルダを探し出して、CMOのホーム ページを引き出すことに成功しました。色は淡彩ですが、もともとそのように作られたことは明らかで、Navigatorの効果が悪いのではありません。
 Internetの『朝日新聞』は数ヶ月前から見ています。いちばん速く入るので、深夜にニュース速報をざっと見て、一日のお終いにします。おもに日本の国内ニュースを見ます。国際ニュースは台湾の新聞と同じですから、見る必要がありません。産經や讀賣は、接触速度がおそいので、見ません。私が取っている新聞は台湾の『自由時報』だけです。この新聞は三年前に発足したばかりの独立派の新聞で、瞬く間に台湾最大の発行数になりました。円周率が割り切れたというニュースもこの新聞で見たのですが、朝日のニュース速報には出なかったようです。
 日本の軍人が礼儀正しかったという話は、私の説ではなく銭穆氏の説です。一昨年ごろ物故しましたが、歴史学者だそうで、新聞ではこの人に國學大師の敬称を奉っていました。どうも南さんの記憶はあやふやのようです。そのとき銭氏寄稿の文章をコピーして送ったのです。「日本軍は北京を占領した後、学問上のことで、われわれ教授仲間に質問にくることがあった。そのときの彼らは粗暴なところがなく(この部分の原文は覚えていません)礼儀正しかった(この部分原文:「敬礼有加」)」そのほかにまだありますが、あの新聞の切り抜きを探し出すのはたいへんめんどうですから、やめにします。被占領地を自由に旅行できたとも書いてありました。文章の締めくくりは「南京事件のような惨事はあったけれども、戦争中の軍隊としてはよく統率が取れていた」というようなものでした。銭穆氏が言ったのであって、頼武揚が言ったのではありません。
 軍人の礼儀と言う点なら、私は小学時代を高雄で過ごしたので、街でよく「海軍さん」に呼び止められて「坊や、風呂屋はどこ」と聞かれました。「おい、風呂屋はどこかあ」ではなかったことはたしかです。
 南京大屠殺にたいする私の疑問は、昭和13年のベストセラー、火野葦平著『麦と兵隊』『土と兵隊』から来ています。兵士たちは強行軍また強行軍で疲れ切っています。小休止の号令が出ると、その場にひっくり反って休む。水たまりの上であろうと馬糞の上であろうとかまわない。このような疲れきった軍隊が、殺人ゲームをたのしむ興味があるだろうか。中国には屠城という言葉が戦国時代の書にすでに見えています。城(都市)を陥れたあと、住民を皆殺しにすることです。屠城事件は中国歴史にたびたび発生しました。私論ですが、周が殷を滅ぼしたとき(三千年前かな)にも屠城がおこなわれたらしいのです。中国の風土の産物かもしれません。・・・・・どうもこのmail長すぎたようですからこれで。   

(6九1998 email)

○・・・・・・やや秋めいてきました。・・・画像を送受信するソフトは持っていません。まだそこまでは勉強していませんから、そのうちに欲しくなったら、日本へ観光を兼ねて買いに行くことにしましょう。日本語版Windows95に対応するアプリケーションは台湾で自由に手に入れられるわけではありません。
 蔡章献さんは長年痛風に苦しんだので、肉体的にはよぼよぼ(これはヒミツ)になりましたが、意気は一向に衰えず、大陸旅行から帰ったら秋のうちに東京へ行くとのことで、私を誘っています。私は考慮中です。・・・     

(16九1998 email)
○・・・・・・ 17日早朝発信の南さんのメールを同日24時にみつけました。こちらでは23時から翌朝08時までは電話代が安くなるので、インターネットはその時間にやるがよいと言われています。
 アイコンが出たのでそれをクリックしたら、文面の下に囲み入りの意味不明の英語が出現、それをクリックしたら、たちまち添付していただいた西田昭徳さんの土星の写真(23Aug)が出ました。それを印刷したところ92×57mmの画像になりました。プリンターはエプソンの古い白黒で、文字の印刷ならこれで十分ですが、画像はまあまあです。
 あと半年ぐらいたったら、もっと性能のよいパソコンを買うつもりです。ただしモニターは今使っている台湾製の17インチがなかなか優秀で、買いかえる必要はありません。パソコンについては、いつまでたってもわからないことがいっぱい ですが、使えさえすればよいので、わかる必要はありません。
 李登輝氏は中学一年のとき、私と同じ学校で、しかも同じ学年だったのだそうです。クラスは別だったらしく、私はそういう同級生が居ったということが思い出せません。二年生のとき李氏は彼の家に近い淡水中学に転校しました。私の中学校で同窓会を開会するとき、会長が李総統に案内状を出すと、ちゃんと祝辞を送ってくれます。李氏は日本語がいちばん楽にしゃべれるので、日本人の記者に会うと、とかく、口のタガがゆるんでしまうらしい。・・・・・
(18九1998 email)

頼 武 揚 (Wu Yang LAI 臺灣 Taiwan)    laiwy@tpts5.seed.net.tw