LAI #216

Letters to the Editor


from Wu-Yang LAI in CMO #216

●・・・・・さっそくご返事くださって、ありがとうございます。これでインターネット機能が全部正常に戻ったことが確定しました。南さんへメールを差し上げる前に、自分自身へ数回メールしてみて、受信可能になったことをたしかめ、次に台北の親戚にメールしてもらい、それでよいと決まってから、南さんへメールを差し上げました。しかしながら、私のパソコンは、まだ深層に傷が残っているような感じがしてなりません。
 ョの字について。私の父は、いつも右半分が負になった字を書いていました。しかし父が使っていた門札は頼になっていました。母校名古屋商業学校の校長先生がくださった手紙の封筒に書いてあった宛名の字で門札を作ったからです。その門札は白磁製で、4、50年雨風に晒されても腐食の痕跡がなく、父が亡くなってから取りはずし、保存してあります。
 『日蝕』の風呂の問題は、南さんのおっしゃるとおり、リヨンの近くの村の舎(やど)での場面です。原文を抜書きすると、
 段梯(きざはし)に差し掛かった所で、漸くひとりが口を開いた。 「よォ、御坊様、御坊様も時にはわしらと一緒に、酒でも飲んで、風呂にでも入りましょうや。」

 この言葉ははまるで「野次喜多道中」から抜き取ったみたいです。十返舎一九の原文は読んでいませんが、五右衛門風呂の話があるところを見ると、江戸時代の旅篭ではすでに風呂がたいせつなサービスであったことがわかります。また江戸時代湯女という色っぽい女性があったことも、いつのまにか私の頭の中のハードディスクに記入されてあります。ついでですが、「十返舎一九」と「五右衛門風呂」とは、IME98で一発で出てきました。私が一太郎、ATOKでなく、Word、IMEを使っているのは、わざわざ選んだわけでなく、台湾のT-ZONEで売っていたからです。一太郎も今では台湾T-ZONEにあります。
 頭の中のハードディスクによると、ヨーロッパ人に入浴の習慣が芽生えたのは、かなり近世のことで、時代をはっきり言うほどの自信はありませんが、早くて19世紀初めではないかとおもいます。二次大戦前のヨーロッパ人が書いた日本風俗の書に「日本人の風俗で、特別に言及しなければならないのは、毎日風呂にはいる習慣である」とありました。私は中学生時代その本を日本語訳で読みましたが、書名も著者も覚えていません。
 オードリー・ヘップバーン主演の映画『マイ・フェア・レディー』では、金持ちの言語学者が市場で貧しい花売り娘(ヘップバーン)を拾って、屋敷につれて帰り、先ずは風呂に入れて着替えさせよと侍女たちに命じたところ、花売り娘は、とんでもないと必死に抵抗する場面があります。時代は19世紀後半に設定されているようです。
 ここで思い出しましたが、ピエール・ロティ作の小説『お菊さん』にも「風呂は日本人が毎日かならず行う滑稽な行事で・・・云々」とありました。時期は明治初年ですから、これまた19世紀後半となります。フランス軍艦が長崎に長期停泊中、士官のロティが、お菊さんを現地妻として囲う話しです。この小説が後に改作されて『マダム・バタフライ』のストーリーになったのだそうです。廿世紀になると、入浴の習慣が欧米人にも漸次普及しましたが、アメリカ人のほうがヨーロッパ人より早かったらしいのです。要するに私の頭には、いつのまにか、中世のヨーロッパ人には風呂の習慣がなかったという観念ができています。間違いなら訂正します。

(9四1999 email)

ョ 武 揚 (Wu-Yang LAI 臺灣 Taiwan)    laiwy@tpts5.seed.net.tw
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