LAI #226

Letters to the Editor


from Wu-Yang LAI in CMO #226

●・・・・・ほんとうに長い間ご無沙汰しました。失礼の段、平に謝るほかありません。なんだか、行動に積極性がなくなってしまいました。ありていに言えば、ものぐさになったのでありまして、健康状態は良好です。
 蔡さんからは一ヶ月以上便りがありませんので、入院したことも知りませんでした。明日家内に言って、電話で問い合わせてみます。
 CMO225が四日ほど前に着きました。224もずっと前に着いています。ありがとうございます。またemailで南さんの写真をいただきました。お変わりがありませんね。その写真はまだパソコンのなかに残っています。
 台湾中部の大地震から二週間ほどたったころ、経済部(日本の通産省に相当)の次官がこんなことを公開発言しました:「地震以後、国民の皆さんが買い物や旅行を自粛する傾向が顕著ですが、それでは国家の経済が萎縮し、罹災地区の救援や復興をかえって遅らせます。皆さん、今までどおりに買い物や旅行をしてください。・・・」これは経済学をまるっきり知らない私などには、まことに意外な理論でした。そこで蔡君へFaxで問い合わせました。「君は秋に東京へ行くと言っていたが・・・」 その返事は、「もうすでに旅行社に航空券やホテルの手配をたのんでいる。十月20日出発し、26日に帰国する」「そんなら、ぼくも一緒に行こう。旅行社にぼくの分もたのんでくれ。」

 十月20日13:20中正国際機場を飛び立って、三時間後成田国際空港に着いたときはもう日暮れどきです。この旅行で、私は何の用事もなく、ただ久しぶりに日本を見に行こうというだけのことです。蔡君もたいした用事がないようで、友人に会うためとか言っていましたが、詳しい話は聞きませんでした。西新宿のワシントンホテルに泊まり、部屋は別室、毎朝25階で一緒に朝食を取り、あとは別行動。晩に私が彼の部屋をノックして、しばらく話をする。
 西新宿にヨドバシ、さくら、ドイなどのカメラ店群があることは、とうに知っています。ワシントンホテルから歩いて五分ぐらいです。先ずそのあたりをぶらつきに行きました。天文ファンというものは、同時に望遠鏡ファンでもありますから、ヨドバシの望遠鏡販売店が最も興味がありました。買う氣がないのだから、手をふれないように注意して、ひとつひとつ、丹念に鑑賞しました。用事のない旅行ですから、時間に追われることはありません。
 この東京旅行記の続きを明日また書きます。

(12十二1999 email)

○・・・・・今日(12日)午後家内が蔡さん宅へ電話を掛けたところ、れい子さんが留守番していたので、詳しい様子を聞くことができました。痛風、脚の水腫、血圧上昇などで、前々週木曜日「榮民總醫院」に入院、今は血圧が下がり、歩けるようになったが、まだいつ退院できるか、見通しがつかないとのことでした。思えば蔡さんはこの十五年のあいだに、ずいぶん病気しては入院しました。そして入院の合間合間に旅行したのですから、まさに不死身です。こんども大丈夫、退院したらまた旅行に出るに違いないとおもいます。
 この病院は蒋介石が建てさせた大病院で、「榮民」とは退役軍人のことです。よって病院名を英訳するとVeterans General Hospitalですか。日本で病院と言うところを、こちらでは外省人が持ってきた「醫院」という言葉が使われています。病院という言葉は使われません。クリニックは診所と言います。

 さて、東京旅行記を続けます。西新宿のカメラ店群を見て回ってから、新宿駅へ西側からはいり込み、東側へ通り抜けられないかと通路を探し回ったが、どうしてもみつからない。人に聞く? 私にはそういう手がありません。親切な人が、ていねいに説明してくれても、私は一言も聞こえないのですから。新宿駅はたぶん建て増しに建て増しを重ねて現在の状態になったものらしく、構造が複雑すぎます。東新宿へ行こうとした理由は、紀伊国屋書店へ行くためでしたが、結局今回の旅行では、紀伊国屋へ行くチャンスがありませんでした。新宿駅で無駄に時間と体力を消耗しました。がんばって電車で秋葉原へ行きましたが、すでに疲れていたので、駅からあまり離れない範圍で見て回り、マイクロソフトのOffice2000を買いました。Word2000だけでよかったのですが、せっかく旅費を払って東京まで来たのだからと欲を出したわけです。

 東京滞在期間の最後の日になって、もう一度西新宿のカメラ店をぶらつきに行きました。すると、ヨドバシの望遠鏡店の奥へ入っていくと、ヨドバシのパソコン店になっていることがわかりました。大きな店で、その第何階かがパソコンソフト部になっていて、秋葉原よりも充実しています。
 蔡さんの初めの計画では、20日に出発し、26日に帰国する予定でしたが、私の希望で滞在を一日増加して、27日に帰国しました。東京での行動日数は六日間です。この六日間の行動範囲は新宿、秋葉原、東京駅、上野、池袋だけで、見るものはカメラ屋、本屋、パソコンのハードやソフトの店ぐらいなものです。山の手線や中央線や地下鉄があって、東京の交通は一応便利そうな感じですが、実際に行動すると、駅の中で歩く距離がばかになりません。電車が11両編成なので、6両編成の台北市にくらべて、ホームの長さが約二倍です。どこかの駅で北口から出る予定でホームの一端まで歩いて行ったら、そこは南口だった、反対方向の端まで行かなくちゃあということになった場合、無駄に歩いた距離がばかになりません。
 23日の昼ごろ、東京駅の南口から外へ出てみました。土曜日のせいで通行人がほとんどなく、車も通っていません。東京村とでも言えそうな状態で、天気も良く、気温も快適でした。南口のそばに中央郵便局がありますが、場所も建物の形も、昭和11年にはじめて行ったときと変わりがありません。しかし丸ビルがなくなっていました。昭和一桁年代の流行歌「東京行進曲」を子供ながら聞き覚えてしまいましたが、第2節が「恋の丸ビルあの窓あたり 泣いて文書く人もある ラッシュアワーに拾ったバラを せめてあの娘の思い出に」 この歌の本となった菊池寛の小説『東京行進曲』は読んでいませんが、小説の中でバラが落ちていた場所は、南口から中央郵便局の歩道へ渡る横断路なのだろうとおもいました。

(13十二1999 email)

○・・・・・CMO225の大作『夜毎餘言』を面白く、敬意を以って読みました。私のドイツ語、フランス語独習談(失敗談と言ったほうが適切)を近いうちに差し上げようとおもいます。 草々

(夜13十二1999 email)

○・・・・蔡さんへ、私の三番目の娘が見舞いに行きました。その娘が榮民總醫院で、麻酔技術員として、十数年も勤めています。娘の説では蔡さんは大丈夫だそうです。

(16十二1999 email)

○・・・・・私は東京旅行から帰ってから、OFFICE 2000の中からWORD 2000だけをセットアップしました。すると、今まで使っていたIME 98も自然にIME 2000にアップデートされます。ところが単語登録ができなくなったことに気がつきました。自分では解決できず、日本語の問題だから私の助っ人も役に立ちません。日本マイクロソフトでのサポートは電話が原則ですが、最近聴力障害者にのためにe-mailやfaxによるサポートを始めたことを、説明書で見つけたので、規定の書式でe-mailしました。すぐにe-mailの返事が来ました。「コンピューターにGLOBAL IMEがはいっていると、IME 2000による単語登録ができなくなることが確認されていますから、GLOBAL IMEを削除する必要があります」とのことです。GLOBAL IMEというのは、日本マイクロソフトの無償ダウンロード提供品で、台湾現行の漢字Big-5を読むためのものです(韓語や簡体字用のもあるようです)。それを削除して、やっと問題を解決しました。GLOBAL IMEがなくなっても、WORD 2000にはBig-5を読む爲の機能が別に具わっていますから、困ることはなかったのですが、この数日その機能が消滅したみたいで、また面倒なことになるかもしれません。
 WORD 2000やIME 2000はたしかにWORD 98、IME 98よりも一段と進歩していると思います。

(17十二1999 email)

ョ 武 揚 (Wu-Yang LAI 臺灣 Taiwan)    laiwy@tpts5.seed.net.tw
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