歳時記村 (7)



-- December 1998 --

村上昌己


  近江八景 

 天候が十一月晦日に一転して関東でも久しぶりに雨が降った。その後も曇天傾向が続き、初旬は雨の日が多く黒点観測も滞りがちだった。中旬からは晴天が続くようになったが、天候は安定した冬型にならず周期的に変化していた。気温の下がる日もあり、横浜でも深夜に霙が降ることがあった。

 五日に大津の南政次氏宅に望遠鏡を拝借にお訪ねしたのだが、西下した東名・名神高速道路も関ヶ原辺りまで雨が降っていた。伊吹山もガスに隠れて見えなかった。北陸道を分けた米原を過ぎると雨は上がって、周囲の山の錦模様を眺めながらのドライブとなったが、残念ながら夕暮れが迫り鮮やかさにかけた。五時過ぎには大津の出口で南氏夫妻のお出迎えを戴いて、無事に宿舎までたどり着くことが出来た。既に琵琶湖畔には宵闇が迫り丸い月が昇り始めていた。小憩後、南氏宅へお邪魔して、望遠鏡を運搬しやすく分解した。積み込みは翌朝明るくなってからのことにして、その晩は同行した私の家族を加えて夕食をいただき、暫し歓談してお別れした。

Miidera-temple  翌日は良く晴れて気持ちの良い朝だった。朝食後は、京都に滞在されていた中島孝氏にも大津まで足を伸ばしていただいて、久しぶりにお会いすることが出来た。湖畔のホテルのロビーで一時間ほどお話をしたあと、三井寺へのご案内となった。
 古刹として叡山と並んで名高い三井寺は、近江八景にも「三井の晩鐘」としてその名が記されている。山門を上がった左手に鐘楼があり、午前中から鐘の音が響いていた。散り残った紅葉を眺めながら、山の中腹に作られた幾つもの堂宇を巡った。高みの観音堂まで登ると眼下に琵琶湖が拡がった。見事な眺めで、観月の縁もあり、古にはさぞかしという場所であった。南氏のお宅は指呼の間にあった。その後にお訪ねした南氏宅の窓からは三井寺の伽藍の大屋根が遥かに見えていた。

 昼には帰路に就く予定であったが、望遠鏡を積み込んで大津を出発したのは午後一時過ぎだった。帰路を急いだが、浜名湖で夕暮れに追いつかれて、名物の「鰻」を食べながらの小憩となった。横浜の自宅に帰り着いたのは八時過ぎの事だった。   

三井寺参道  

  「しし座流星群」の観望には伊那の日岐敏明氏も八ヶ岳まで出掛けられたとのことで、私が函南で眺めた明るい火球と同じ物の写真撮影に成功した。南氏の所にお送りいただいた写真を紹介する。台湾の周銀王(Yin-Wang Zhou)氏の撮した流星痕の写真も下記のブレテンから合わせてご紹介する。

left: Leonid taken by Toshiaki HIKI at 4:11 - 4:15 JST on 18 November
by the use of Zuiko 50mm F2 on Fuji Super G800 at Takane-chou, Yamanasi Pref.
Note that this meteor is the same one as taken by MARUYAMA.

right: Trail of the meteor taken by Yin-Wang ZHOU in Taiwan
at 4:12 JST by the use of Konica 50mm F1.4 on Fuji 800.
Cited from the Bulletin of the Tainan Astronomical Association No 153 (Dec 1998 issue).

 1999年一月の火星は「おとめ座」で順行してスピカの北を通過する。11日には「西矩」を迎え日の出時には南に昇るようになる。視直径は月末には八秒角となり、大きくなってくる。季節は月末に Ls=90゚に達し北半球の夏至を迎える。火星面はまだ北を地球に向けていて、北極冠の最終段階を観測する絶好のチャンスになっている。
 以後も火星は「おとめ座」東部から「てんびん座」でS字を描いて逆行して近付いてくる。最接近を過ぎた六月には再びスピカに近付いて「留」となる。

 木星は「うお座」に入る。夕方の南の空にあるが、沈むのは早くなって観測末期になった。土星は「うお座」東部で順行に移る。15日には「東矩」となり、木星の後を追って沈んでいく。水星は明け方の南東の低空にあるが二月3日の「外合」に向かって太陽に近付いていく時期で観測は出来ない。金星は日没時の南西の空に目立つようになってくる。今年は八月に「内合」となり金星の位相変化を追うのに最適の年である。

 その他、日本では一月5日にはレグルス食が、31日には半影月食が観測出来る。