94/95 Mars Note (12)

1994/1995 Mars Note


From -- 1994/1995 Mars Note (12) -- "C M O" #177 ( 25 July 1996 )
1995年四月のハッブル望遠鏡による北極冠 (082゜Ls)

◇小接近の前後の接近は北極冠の觀測の好機ではあるが、アメリカなどでは北極冠内の亀裂だけを夜の目も寝ずに(?)検出しようとしていて、特に眼視觀測では他の現象には眼も向けない有様である。これはリマ・テヌイス症候群とも言うべきもので、トロイアニ氏などは可成りの重症である。

◇リマ・テヌイスについては『火星通信』では触れないようにしているので、逆に何もご存じ無い方もいようが、何處に想定されてるかは、例えば佐伯著の口繪の北極地方の圖をご覧頂きたい。殆ど極を横切って走る細線がそれである。細い亀裂という言う意味で、1929年のアントニアディの命名でる。佐伯著の圖もアントニアディに拠るが、実はアントニアディは自身で検出しているわけではない。彼の著書はそれまでの記録の集大成で、スキアパレルリの1888年の觀測を採用したに過ぎない。スキアパレルリはご存じの様に、細線運河を多く描いた人物で、細線運河が否定された昨今、北極冠内の細線だけ残るというのは、先ず確率的に稀なことである。これは、1960年代であろうと、1980年代であろうと、1990年代であろうと同じである。

◇実際スキアパレルリの後は稀にしか言及がなかったのであるが、1980年代前後に俄にアメリカで喧伝され、症候群となるのである。責任者は多分C・F・ケープンであろう。彼が最初の発見者では無いが、ローヱルで確認したことになっている。その時傍らにいたのがどちらのP MOORE様か知らないが、P・ムーアで、彼が提灯を持ったわけである。ケープンは1960年代にはテーブル・マウンテインの大きな望遠鏡で検出していない。そこで、CMO#109p045で介紹した様な1960年代の彼の北極冠の縮小曲線が効いてくるのである。つまり、60年代は極寒であった、從って北極冠は厚く覆われていた、その爲リマ・テヌイスは見えなかったという筋書きである。

◇1980年代の神話は、一旦見えたとなると、我もわれもと見え始めたというおまけ附きで、これも奇妙なことだが、接近が改まると、視直径の小さい内から見えるという話があり、しかも北極冠が未だ大きな状態で検出されるという有様であった。

◇話はそれで済めば好かったのだが、1992/93年の接近でまた再燃した。というか、これが主眼になったのである。尤も、決定的な話は無いままに1994/95年接近に入り、今でもリマ・テヌイスで身も世も無いということになったのである。

◇発表された24 Feb.1995の例のHSTの三枚組ではどうであったかというと、微妙にこの問題を避けて撮られたというべきか、普通話題にならないのであるが、筆者はリマ・ボレアリスとカスマ・ボレアレは確認されるが、リマ・テニウスは出ていないと見ている。

npc by the HST
 ◇今回のNoteは、上のことを詳説するのが目的ではない。ただ単純に、ジム・ベル氏から送られてきたHSTの写真(Fig 1)と、1970年代のマリナー9号やヴァイキングの結果と比較しようというわけである。先には触れなかったが、1970年代の周回船による像には、リマ・テニウスは片鱗も存在していないのである。ただ、アルポではケープン式に北極冠は厚く大きかったと考えているのであろう。残念ながら、1970年代初頭は地球からは北極冠の觀測は出来なかったので、縮小曲線はない。ただ、この時のリマ・テニウスの不在が証明される時点で、必ずしも北極冠のサイズは大きくはない。
Fig 1:The npc on 8 Apr 1995 at LCM=282゜W
taken by the HST (courtesy of Jim BELL)

 ◇Fig 2はマリナー9号とヴァイキングの結果から地質調査所で拵えた北極冠附近の図である(原画はカラー)。ただ普通は上を180゜Wに表示されるが、ここでは後の都合上、上を270゜Wに採ってある。元々はマリナー9号が 12 Oct 1972に撮影した像から起こされているもので、094゜Lsあたりの北極冠と考えて好い。左側(180゜W前後)に散らばる白斑点群がオリュムピアで、これと北極冠本体の間の太い暗部がリマ・ボレアリスである。カスマ・ボレアレはやや右下側(050゜Wあたり)から切れ込んでいる亀裂である。


Fig 2: The npc by Mariner9 and Viking Orbiters
Fig 3: The Mariner 9-Viking npc overlaid

◇マリナー9号の7 Aug 1972の北極冠像も好く知られていて、これは066゜Lsあたりの像だが、既に兩亀裂とも仄かに出ている。 但し、リマ・ボレアリスはかなり複雑で、伊舎堂 弘氏が047゜Lsで検出したものに対応して可成りの太い陰影があるが、その先に(というのは130゜Wあたりまで)実に細いがくっきりした亀裂が出ていたりする。 この像は時季的にHSTの24 Feb 1995の影像と比較対照できる。これらはFig 2では皆太い暗條に吸収されている。
◇尚、Fig 2の北極冠の様相は、ヴァイキングの結果に於いては、140゜Lsまで大体持続されている。ただ内部の螺旋状の縞々は更にくっきりして來ており、全体の輝度は遥かに落ちているようである。

 ◇Fig 3は北極中心の經緯度線を書き入れたもので、矢張り上を270゜Wに採ってある。これをFig 4にマップしたものがFig 5である。Fig 4は 8 Apr 1995(082゜Ls)の北極冠の像(Figs 1&6)に対応させるもので、中央緯度De=18゜Nに調整してある。Fig1はLCM=282゜Wなので、Fig 5もLCM=280゜Wでマップしている。但し、暗線のみに注意を拂い、輝部はラフに扱っている。

Fig 4: A grid of the np region at De=18゜N: the smallest circle is at 85゜N, the next one at 80゜N.
Fig 5: The npc in Figs 2&3 is mapped on Fig 4 with LCM=280゜W.
Fig 6: The same as Fig 1: HST image at LCM=282゜W compared with Fig 5.

◇結論は、Fig 5とFig 6と比較すると明白なように、Fig 6(Fig 1と同じ)のHST像の北極冠附近は、さほどヴァイキング時代と変わらず、リマ・ボレアリスが幅廣く明確で、オリュムピアが残っており、またカスマ・ボレアレが可成りの食い込みを見せているなど同定出来るが、とてもリマ・テヌイスなるものが見当るとは言えない、ということである。

◇D・パーカー氏の 23 May 1995(102゜Ls)の像(#163p1659)に出ているものも、カスマ・ボレアレのゴーストであろう。正像にはオリュムピアが殘滓として出ている。

(南)