96/97 Mars Sketch (4)

1996/97 Mars Sketch (5) - from CMO #203


** 顕著期から衰退期に掛けてのヘッラスの動向 **


顕著な白色ヘッラス (086゚Ls〜140゚Ls)

 ▽1994/95年のヘッラスの歸趨については、CMO #174 p1923 (Mars Note 10)で分析した。この年の接近ではヘッラスの前半の動きが觀察された。所謂Very Activeな状態には085゚Lsから090゚Lsに入ったと結論された。夕端では既に075゚Lsで北極冠に對等の明るさであった。
 ▽今回の1996/97 年接近での初期の状態については、#189 p2065からp2066 に於いて述べた(觀測は日本側は、Nr氏、Nk氏、Oh氏、Id氏、Hk氏、Mk氏など、海外ではそれより早く、092゚Ls邊りからGTc氏、RSc氏、DTr氏、NFl氏、ANl氏など)。そこでは矢張り、三月中旬090゚Lsを閾値としている。この時は參照しなかったが、その直前の筆者(Mn)の觀測を擧げるならば、4 Mar (086゚Ls) 1997 でも既にヘッラスは白く見えていた。5 Mar (087゚Ls)はシーイングが好く、ω=263゚Wでヘッラスは青白く見えたが、ω=272゚Wでも輝いているとは言えなかった(ι=10゚) 。ω=314゚W〜ω=333゚Wでは北極冠より弱く見え、部分的に明るい處があるといったところであった。
 ▽周知のようにHSTが10 Mar (089゚Ls)、30 Mar (097゚Ls) にはヘッラスを冩し出している。これは、例えば#200 p2233には後者が出ている。青色光で可成り出ているが、然程ではない。一つには前回述べたようにHST の影像は青色光を殺している可能性がある。

1997 Apr 11 / Mn
Fig 1: Hellas looked detailed on 11 Apr 1997 (103゚Ls) at ω=309゚W at Fukui (MINAMI drawing)

 ▽然し、今回は際立って白く輝くヘッラスの觀測はない。もしあるとすれば120゚Ls邊りの海外の觀測であろうか。四月に入って、Mnの觀測では9 Apr 夕方で明るく白い(ω=327゚W以後) 。然し、10 Apr (102゚Ls)では朝方では然程明るくはない。11 Aprω=309゚Wでは内部が見えた(Fig1)。12 Apr、 13 Aprも似たような觀測である。
 ▽一方、四月後半になって、グレアム(DGh)氏が20 Apr(107゚Ls)ω=323゚W、グロス(HGr)氏が21 Apr (107゚Ls)ω=302゚W等(Fig2)、シュタルチンスキ(HSt)氏が25 Apr (109゚Ls)ω=282゚W等(#195)、ホヰットビィ(SWb) 氏が30 Apr (111゚Ls)ω=321゚Wで白く明るいヘッラスを觀測している。レーマン(DLm)氏は05 May (114゚Ls)で非常に明るいとしている。
 ▽五月の我が國では岩崎徹(Iw)氏が17 May (119゚Ls)ω=306゚W、村上昌己(Mk)氏が18 May (120゚Ls) ω=297゚W で白く明るいヘッラスを觀測、同日、阿久津富夫(Ak)氏のCCD にはω=294゚WでG 光とB 光でヘッラスが明白に出ている。Mnはω=302゚Wで内部が一様でないという觀測を得ている。
 ▽再びヨーロッパに移って、30 May (125゚Ls) にはω=306゚Wで、グロス(HGr) 氏が、31 Mayにはヴァレッル(JWr) 氏がω=327゚W等でヘッラスがクリーム色で明るいとしている(Fig3)。JWr氏は5 June(129゚Ls)にも同様の觀測をしている。

1997 Apr 23 / HGr 1997 May 31 / JWr
Fig 2: Bright Hellas by Horst GROSS (Germany) on 23 Apr 1997 (108゚Ls) at ω=279゚W
Fig 3: Creamy Hellas by Johan WARELL (Sweden) on 31 May 1997 (126゚Ls) at ω=327゚W

 ▽23 June (137゚Ls)邊りから日本でヘッラスが夕端に見えるようになり、Iw氏がω=324゚Wで北部がより白いと感じている。24 June (138゚Ls)のMnの觀測ではω=307゚Wでヘッラスは小さくなった北極冠と同じ程度の明るさ。それ程明るくない譯である。ω=317゚Wではミルク色の白さである。29 June(140゚Ls) にはω=283゚Wで朝方のヘッラスが見えているが、可成り弱い。

白色ヘッラスの衰退期(140゚Ls〜197゚Ls)

 ▽七月末から八月初めに掛けては、例えば日岐敏明(Hk)氏の30 July(156゚Ls) ω=318゚Wでヘッラスは白いが明るくない、としている。1 Aug (157゚Ls)のMnの觀測( ω=286゚W, ω=296゚Wなど)で、未だ明るいが既に輝いてはおらず、ミルク色の白色である。3 Aug にはMk氏が20cm屈折でヘッラスはやや白いが著しくないと紀録している。福井では4 Augまで聨日同様な觀測を得ている。北極冠はシャープだがヘッラスは鈍い。

 ▽#195で報告したように、16 Aug (165゚Ls) から15 Sept(181゚Ls) のヘッラスは重要な時期であったが、南中の觀測が少なく、多くは言えないのは殘念である。然し、この頃からは來期が好機となるので、ご注意願いたい。
 ▽20 Aug(167゚Ls)にはMGS(マーズ・グローバル・サーヴェイヤー) が途上でR光でヘッラスを冩し出している。#195p2165 に引用してある影像である。明るいが、南極の方から靄が下りてきている様だ。
 ▽2 Sept (174゚Ls) ω=332゚WのMnの觀測ではヘッラスは十分夕方だが、リビュアより明るくない状態である。07 Sept (177゚Ls)には伊舎堂弘(Id)氏がω=293゚Wで朝方のヘッラスを観察し、黄色味をおびているとしている。08 Sept ω=285゚Wで、Iw氏が北極域に比べて白色で明るく見ているが、Id氏は09 Sept (178゚Ls)ω=276゚Wでヘッラスは濁っていると見ている。  ▽10 Oct(196゚Ls)にはMk氏がω=299゚Wで觀測し、南端に明部を認めるが、これはヘッラスではないようである。中島孝(Nj)氏のω=299゚Wや、Mnのω=303゚Wの觀測ではヘッラスは靄っているようだが特別明るくはない。ω=313゚Wではその北の夕端に比べても弱い。然し、この時、既にδは5.1 秒角であった。φ=08゚N。12 Oct (197゚Ls) にはId氏がω=301゚Wで觀測し、ヘッラスがやや黄色っぽく明るいとしている。これが我々からのヘッラスの觀測の最終であった。

この時期のヘッラスの動向について

 ▽以上、今回接近で得られたヘッラスの動向を略記した。輝度の記述は個人差も在り、比較が難しいのであるが、085゚Ls〜090゚Lsで充分明るくなり、以後140゚Ls〜150゚Ls邊りまで持續する。但し、今回は顕著な090゚Ls邊りでも、120゚Ls邊りでも肉眼で内部に濃淡が見えるということがあり、必ずしも全體が輝くという状態は(少なくとも日本からは)見られなかった。また活動期のヘッラスの輝度は必ずしも一定ではないようである。ヘッラスは150゚Lsを過ぎて、not so bright という状態に退化し、180゚Lsを越えて、黄色味を帯びたヘッラスが屡々觀測されている。最終期の觀測ではヘッラスはすっかり氷結が溶けていたと考えられる。
 ▽ヘッラスのあの顕著な白色は雲ではなく、地表に降りた霜の類であろうと思われる。從って、150゚Ls邊りから以降はこれが溶けて、地肌が表出し、更に地肌に砂塵の起こる可能性が出てくる。

 ▽ヘッラスが顕著に白色を呈する時期は、奇しくも北半球のタルシス三山やオリュムプス・モンスなどの白雲活動と一致するのであるが、メカニズムは全く違っている。違いは後者の午前と午後の振舞いに際立った違いを示すに対し、ヘッラスは午前・正午・午後においてその姿を持續する。何よりも、ヘッラスは低地、というより窪みである。
 ▽南半球においては090゚Lsが冬至であって、ヘッラスのような凹地においてCO2やH2Oの氷結が起こりやすいからであろう。もうひとつ重要な点は、このとき雲や靄が現れないことである。從って、上昇氣流は起きていないと思われる。雲に覆われれば輝きを半減するであろう。春分に近付くに連れて事態は變わる。赤道帯がより暖くなり、その影響はヘッラスにも出てくると考えられる。

その後の動向

▽南半球の春分を過ぎると、sub-Solar點は南に移動し、南半球は暖められやすくなっている。南極冠は既に溶解を始めているはずである。ヘッラスには既に表氷はなく、寧ろ上昇氣流に伴って、地表の砂塵が立ち上るようになっているだろう。
 ▽今回はこの邊りの地上からの觀察は不可能であったわけだが、MGSが1997年の十一月末(224゚Ls〜227゚Ls)にノアキス地方に塵雲の發生を觀測している(CMO#198p2209の2Dec1997發行のIMW-ENL參照)。當然ヘッラスも同じ様な状況にあったと思われる。
 ▽これは從って次期接近での課題になるが、序でに232゚Lsでヘッラスに“黄色雲”を觀測したという大澤俊彦(Os)氏の1954年のデータがあるので、『火星通信』#203本体には再引用した。これは『天文ガイド』1971年七月臨時増刊號p102に出ているものである。11 Sept 1954 10:05GMTでの觀測で、圖版とキャプションを再引用している。Os氏はこの年必ずしも觀測は順調でなく、これはその年數少ない觀測の内の一枚なのであるが、奇しくも筆者(Mn)が同じ時刻福井で觀測していて、ヘッラスが明るく赤味(黄色?)を帯びているという注意(11 Sept 1954 09:46GMT)があるので、それも合わせて#203に引用した(No.116)。ノートによればω=328゚W、φ=02゚S、δ=13.8"である。ノアキスも既に赤味を帯びている。

 ▽實は1956年のノアキス大塵雲の發生は246゚Lsであり、1971年の最初のヘッラス塵雲は213゚Lsであったから、ヘッラスが春分近くになると白色を落とすだけでなく、春分過ぎて二ヶ月もすると、明るく赤茶けた色になり、塵雲の季節になるということである。

 ▽ 來期は年初には080゚Ls近くであるが、八月1日には180゚Lsに達し、未だ視直徑は9秒角あるから、上のようなヘッラスの移り變わりを具に觀測出來るであろう。

(南 政 次)