98/99 Mars CMO Note (3)

1998/99 Mars CMO Note
- 03 -
from CMO #227


-- 1999年四月下旬のバルティア朝の白雲 --

◆昨年五月の福井での懇談會の休憩の折、村上昌己(Mk)氏が、四月の下旬バルティアに異常があったとして、他の觀測者はどうかと觀測ノートを覗き廻っていた。筆者の處へも來て、フーン出ていますね、などと言っていた。このMk氏の紀録については#217(10Apr1999)p2498(英文はp2501)に次の様に紹介した:「Mk氏は26Apr(130゚Ls)ω=326゚W〜355゚Wでヒュペルボレウス・ラクスとマレ・アキダリウムに挟まれて、バルティアに濃い朝霧が出ていることを注意した」。彼の觀察は27Aprにも延長されている。

◆五月の下旬になって、或る夕方博物館天文臺で中島孝(Nj)氏と落ち合ったとき、Nj氏が27AprにHSTが發現したサイクロンの新聞に載った写真を挿頭しながら飛び込んできた。この写真は青色光像(『天文年鑑』2000年版p120の左圖)で、暗色模様が出ていないため俄には何處だか一見しては不明で、暫く迷ったのであるが、カスマ・ボレアレの位置から、マレ・アキダリウムの邊りだと知れ、そうだ、ムラカミだ!とMk氏の言説が蘇り、未だ薄暮の明るい屋上で二人で快哉を上げ、小躍りした。後聞によればMk氏も比嘉保信(Hg)氏も新聞で直ぐ氣附いた由である。HSTの紀録はこちらの觀測と共に#218(25May1999) p2518/19 (英文はp2524)に紹介した。

◆先ず、27Apr(130゚Ls)の状況を述べると、HSTのWFPC2が稼働したのは17:55GMTから18:51GMTまで、中央經度は ω=017゚W から ω=030゚W迄であった。われわれの主要な觀測はその前の段階12:50GMTから16:10GMTを押さえている:

  Iw-047D    ω=302゚W  (at 12:50 GMT) 
  Id-054D    ω=304゚W  (at 13:00 GMT) 
  Iw-048D    ω=312゚W  (at 13:30 GMT) 
  Mk-113D    ω=312゚W  (at 13:30 GMT) 
  Iw-049D    ω=322゚W  (at 14:10 GMT) 
  Mk-114D    ω=322゚W  (at 14:10 GMT) 
  Mk-115D    ω=332゚W  (at 14:50 GMT) 
  Mo-   C    ω=336゚W  (at 15:10 GMT)
  Mk-116D    ω=341゚W  (at 15:30 GMT) 
  Mk-117D    ω=351゚W  (at 16:10 GMT)
 岩崎徹(Iw)氏のIw-047D:ω=302゚Wでは未だ何事もなく、Id-054Dのω=304゚Wでは少し兆候がある程度だが、ω=312゚WでのIw氏及びMk氏のスケッチ(Iw-048D、Mk-113D)では明らかに朝方バルティアに光斑が明確になっている。ω=322゚Wでは強い。Mk氏はこれを意識して16:10GMT (ω=351゚W)までその光斑が圓盤内部に入って來る様子を紀録した。HSTが活動したのはその1時間45分後である。Mk氏の最後の段階でサイクロンは當然形成されていたと思われるが、圓盤の縁でそれだけの解像力は期待出來ない。以上のデータはサイクロンの形成時を特定している。もし、サイクロンの前方をΩ=045゚Wと考えると、ω=322゚Wで地方時は午前6:30LMTとなり、HSTの観測時はほぼ9:00LMTになる。夜明け後、可成り速やかに霧の凝縮があり、早くサイクロンへと發達したと考えられる。

 ◆今回のMk氏の觀測が際立っているのは、前日26Aprに同じ様な擾乱がバルティアに起こっていたことを認めていた點で、27Aprの觀測はその確認作業であったのである。逆に言えば、27Aprと同じ様な現象が、26Aprにも起こっていたと窺える。Mk氏は、#217で紹介したように、ω=326゚Wからω=355゚Wまで觀測し、矢張り光斑が内部へ入って行く様を捉えたのである。
◆この日、定時觀測のIw氏が重要な觀測を殘した。26Aprには13:30GMTにω=321゚Wで觀測しているのであるが、上の27Apr14:10GMTのω=322゚Wと比較對應し、而もバルティアの光斑の強度も形状も全く同じように現れているのである。從って、少なくともMk氏とIw氏の觀測から少なくとも26Aprと27Aprにおいてはサイクロンが同じように發生していたと結論付けられる。

◆われわれのこの日26Aprの觀測は次のように得られている:

  Iw-044D    ω=311゚W  (at 12:50 GMT)
  Hg-426-1V  ω=316゚W (at 13:13 GMT) 
  Iw-045D    ω=321゚W  (at 13:30 GMT)
  Id-053D    ω=321゚W  (at 13:30 GMT)
  Hg-426-2V  ω=326゚W (at 13:52 GMT)
  Mk-109D    ω=326゚W  (at 13:50 GMT)
  Mk-110D    ω=335゚W  (at 14:30 GMT)
  Hg-426-3V  ω=336゚W (at 14:32 GMT)
  Hg-426-4V  ω=346゚W (at 15:13 GMT)
  Mk-111D    ω=345゚W  (at 15:10 GMT)
  Mo-   C    ω=350゚W  (at 15:30 GMT)
  Hg-426-5V  ω=355゚W (at 15:53 GMT)
  Mk-112D    ω=355゚W  (at 15:50 GMT)
  Hg-426-6V  ω=001゚W (at 16:18 GMT)
 比嘉保信(Hg)氏の映像は更に上の結論を強化する。13:45GMT(ω=324゚W)以前では畫像では朝霧は弱いが、以後光斑が出てくるようになる。ω=336゚Wから光斑は強くなり、ω=355゚Wでは可成り明確である。ω=001゚Wでは可成りのものである。Mo氏のカラー写真にも出ている。


(right)   HIGA's colour image on 26 April at ω=001゜W      

 ◆では、更に前日の25Apr(129゚Ls)にはどうであったか。この日はHg氏とId氏が濃密に觀測を遂行している:

   Hg-425-1V ω=322゚W  (at 13:00 GMT)     
   Id-048D   ω=327゚W  (at 13:20 GMT)    
   Hg-425-2V ω=332゚W  (at 13:40 GMT)     
   Id-049D   ω=337゚W  (at 14:00 GMT)    
   Hg-425-3V ω=341゚W  (at 14:20 GMT)     
   Id-050D   ω=349゚W  (at 14:50 GMT)    
   Hg-425-4V ω=351゚W  (at 15:00 GMT)     
   Id-051D   ω=359゚W  (at 15:30 GMT)    
   Hg-425-5V ω=001゚W  (at 15:42 GMT)     
   Id-052D   ω=008゚W  (at 16:10 GMT)    
   Hg-425-6V ω=010゚W  (at 16:20 GMT)     
   Hg-425-7V ω=020゚W  (at 17:00 GMT)     
   Hg-425-8V ω=030゚W  (at 17:42 GMT)     
   Hg-425-9V ω=039゚W  (at 18:15 GMT)

 最初の角度がω=322゚Wで、26、27Aprでの基準角度だったものである。ただ、Hg氏の像では然程ではない。Id氏のω=327゚Wでは光斑が明白である。Hg氏の像ではω=351゚Wではヒュペルボレウス・ラクスが濃く見え、その南に朝霧。Id氏はId-052Dでやや弱く觀察しているが、Hg氏の像ではω=010゚Wでは光斑は明るい。しかし、ω=020゚Wでも圓く強いが、朝方に殘るような氣配である。ω=030゚Wではバルティアから離れているようで、ω=039゚Wでも朝霧は然程中に入ってきていない。HSTの27Aprのω=017゚W〜030゚Wと比較して、發達が弱くサイクロンは構成されていない可能性が強い。

◆24Apr(129゚Ls)にはHg氏の次の三像の他、Id氏、Nj氏、Mnなどの觀測がある:

  Hg-424-1V ω=335゚W  (at 13:16 GMT)
  Hg-424-2V ω=343゚W  (at 13:52 GMT)
  Hg-424-3V ω=356゚W  (at 14:44 GMT)
 前二者にはマレ・アキダリウム北に朝霧が殆ど見えていない。ただ、眼視には幾らか見えているが、筆者(Mn)のω=010゚W(15:40GMT)での好シーイング下の觀測ではバルティアには濃い朝雲はない。イアクサルテスとそれに續く暗線が見えている(この日のMnの觀測は、ω=338゚W、348゚W、358゚Wそしてω=010゚Wであった)。從って、ω=010゚W邊りから強くなるサイクロン型の朝霧は25Aprまたは26Apr以降である。

 ◆では、HSTの27Apr以降はどうであろうか。28Aprには

  Iw-052D    ω=313゚W  (at 14:10 GMT)
がある。前日とほぼ同じ角度で同じように光斑が描かれている。だから可能性があるのであるが、最早角度が利かなくなってきている。
◆29Apr (131゚Ls)にも可成りの觀測があるが、Mk氏でもω=314゚W止まりであって、この角度は彼にして新しいものとなっている。筆者(Mn)は(この日十回觀測)ω=299゚Wから朝霧を見ていて、ω=329゚Wでは可成り南まで濃密であるが、ω=358゚Wでも然程内部に入って來ていない。從って、Mk氏などの27Apr等の觀測と比較して、發達は見られないと思われる。ω=008゚Wではシーイングが崩れている。

◆以上のことから、當時(130゚Ls前後)マレ・アキダリウムの朝に伴って、バルティアに朝霧が出ていたが、25Aprから28Aprに掛けては、朝霧の凝縮があって、サイクロン系の颱風が發生していたと考えられる。われわれは早朝を押さえている。26Aprと27Aprの觀測は定時觀測が伴っており、確度が高い。それ以前24Aprには朝霧はあるが、擾亂はないということも確かである。28Apr以降は日本からの角度は最早不十分であった。殘念ながら、日本より西方の觀測は現在のところ調べがつかない。
◆もう一つ、日本からサイクロンの後半、午後の動きは追跡できなかったのであるが、27AprのサイクロンはHST-WFPC2自身が追跡して、約六時間後28Apr00:22GMTから01:17GMTまで撮像し、ω=111゚W〜124゚Wの像を得ている。地方時は略午後5時である。これに拠れば、サイクロンは午後には非常に弱くなっている。恐らく早朝に作られ、次第に衰弱し、夜間の冷却後再び翌朝作られるというパターンであろうと考えられる。前回レヴューした七月の朝雲に比べ、水蒸氣の成分が大半であると思われる。

参考図
MURAKAMI's observation from 26 to 30 April
IWASAKI's observation from 26 to 30 April

( Mn / 南 )