Ten Years Ago (193)

 

---- CMO #247 (10 July 2001) pp3043~3066  ----

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/247/cmo247.html

                    


じめに、十一回目となる観測報告では、六月下旬の報告がまとめられている。この期間の21日には今期の最接近となった (δ=20.7")。また24日には待望の黄雲が、我が国から見えていたヘスペリアで発生し捉えられていた。

おりから梅雨明けを迎えた沖縄をはじめ各地で発生直後の黄雲の連日の追跡観測が行われた。メールによる速報態勢も万全で、世界中の観測者に黄雲発生のニュース・画像を発信した。

 この期間、火星は「へびつかい座」を逆行しており、視赤緯Dは月末には-26°51'と低くなった。季節λは南半球の春分を越えてλ=179°Lsからλ=187°Lsにすすみ、黄雲はλ=184°Lsに発生し視直径δも最接近を挟んで最大値が続いていたが、月末にはδ=20.6"となった。中央緯度φ4°Nから6°Nと傾きは浅く、位相角ιは一桁台からι=15°にまで増加した。観測報告者は、日本から14名・240観測、国外からは15名・54観測であり、国外からの報告者がやや増えている。

 黄雲発生前は、日本では梅雨が明けたのは沖縄だけ(21)で、観測は捗っていないが、16日には観測が揃っている。この日には常間地(Ts)さんは週末の休みを利用しての福井での遠征観測に成功している。国外では、17日にはTim PARKER(TPk)氏が、18日にはDon PARKER(DPk)氏が、20日にはEd GRAFTON(EGf)氏が、いずれもヘスペリアの入口あたりを捉えている。EGf氏の画像は良像で黄雲発生直前の異常のない様子が撮されている。

 24日には、南政次(Mn)氏が足羽山の20cm Refractorで、ヘスペリアの入口が大きく、シュルチス・ミノルの南が淡化し、そこから南へ淡い明帯がヘッラスまでM字型に蛇行して延びているのを観測した。この日は雲に邪魔をされて夜半前までの観測だった。Mn氏は餘り釈然とせず、砂の移動の如きものと考えていたらしいが、気にはなって、25日は天候が悪かったが、天文台に登り、終始空を睨んでいたようである。しかし晴れなかった。幸い24日には、熊森照明(Km)氏と比嘉保信(Hg)氏のビデオ撮影があり両者の画像にもこの明帯が写っている。伊舎堂弘(Id)31cm Specでヘスペリアの入口が夕端で一際明るくなったのを記録している。25日の福井は前述の通りだが、沖縄ではHg氏がビデオ撮影(Sony VX2000)して黄雲の発生を確信した。Id氏もM字型に蛇行する明部を捉えている。この時点で黄雲の発生が確定したが、更なる拡大のコアが予想できる状態ではなかった。外国からはDPk氏からの転送で、マーシャル群島のドゥグロッフ氏(Kent DeGROFF)のデジカメ画像(Nikon950)が紹介されている。

 この黄雲は初期の爆発的な芽が見られず特異であったが、日毎に朝方からコアが発達するのが特長であった。26日にはヘスペリアからヘッラスにかけての蛇行する黄雲がより明白になった。この日にはオーストラリアのヴァリムベルティ(MVl)氏と森田(Mo)25cmSpecCCD画像(ST-5C)Id氏と筆者(Mk)20cm Specに依る眼視観測、Km氏と石橋(Is)氏のビデオ画像がある。Mo氏は、精力的に撮像して9セットのRGB画像を得ている。

 翌27日には黄雲の配置は基本的に前日と同じだがより明白となった。Mn氏は京都に出ていたが、沖縄で観測中のId氏に電話で火星面の様子を尋ねている。Mn氏は拡大の可能性がありと考えてId氏に確認を依頼する形になった。その後、黄雲発生のemail速報を立て続けに三通発信した。下記のDirector's Reportsのペーシ゜を参照されたい(DR:#01,#02,#03)。またDPk氏へはKm氏とMo氏の画像を添えたメールを別送した。DPk氏からの返信は以下のLtEにある。この日はKm氏が勤務先の60cm Cassでビデオ撮影して静止画像を作成、阿久津(Ak)氏が栃木の32cm SpecCCD(Teleris2)の良像を得た。Hg氏、Mo氏、Is氏も撮像、Id氏、筆者(Mk)の眼視観測もある。

 LtE from DPk : http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn1/DPk246_249.htm

 28日にはシュルティス・マイヨルのすぐ東側に鋭い光班が観測され注目された。ビデオ撮影中のHg氏はMn氏にモニターを見ながら電話で状況を報告し、Mn氏はすぐに速報(DR:#04)を発信した。この日、正面でCCD画像を得たシンガポールのタン(TAN Wei-LeongWTn)氏の結果を見ると、この光班はヘスペリアの光班と連動しているように見える。Ak氏のデジカメ画像よると、火星面地方時で早朝の7:30頃からこの光班は認められている。つまり朝方から発生していたことになる。またHg氏は朝方の黄塵を含む水蒸気の朝靄が25日より強かったことを注意している。この日の観測は沖縄に渡ったAk氏が湧川氏(Wk)40cm Specで撮像したが、持参のCCDカメラTeleris2が作動せず、Nikon990デジタルカメラでの撮影になった。Hg氏、Is氏のビデオ観測、筆者(Mk)の眼視観測もある。外国の観測ではドゥグロッフ氏と、ポルトガルのシダダン(António  José CIDADÃO : ACd)氏のマレ・アキダリウム中央の画像がある。ACdの画像には既に淡い黄雲の影響が認められると思う。

 

 29日には、局在していた黄雲が高空で拡張を始めた。ヘスペリアの光班は拡大してマレ・キムメリウムで新しい共鳴コアを朝方から発生させ、リビュアの光班も拡がってきた。南半球の暗色模様はかなり黄雲の影響を受けているが、北半球深くまでは拡がっていないと判断されている。この日の観測は、Ak(Nikon990), Hg氏のビデオ、日岐敏明氏(Hk)Id氏の眼視観測、ドゥグロッフ氏のデジカメ画像(Nikon950)がある。この日にも速報(DR:#05)が流されている。

 30日には暗色模様がさらに変化した。Ak氏のCCDカメラ(Teleris2)が復調して使用できるようになって階調に富んだ画像が得られるようになり、黄雲に覆われたマレ・キムメリウムの変形、南半球朝方に拡がる朝霧の分布を捉えて歴史的な画像である。他に、Id氏、Hg氏の沖縄での観測がある。外国からはドゥグロッフ氏、DPk氏などから寄せられた。DPk氏の画像はソリス・ラクスが午後側の構図で、濃い黄雲の影響はまだ見られない。

  Director's Reports (DR)

  http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/ds2001/ds/d_repo.html

 

 今回のレポートは日毎の黄雲の様子に留め、その他に検討する事に関しては、シーズンが終了してから考察するとしている。

 また、この黄雲は春の早い時期(λ=184°Ls)に起きた特異なものであるとして、偏東風の弱い季節で西への発展はなかったのではないかと推測している。この期間はヨーロッパからの報告は少なく検討する資料は少なかった。

 黄雲発生の予兆についても記述がある。Id氏が6月中旬から観測しているヘスペリアあたりの経度の夕方での靄の濃かったことや、Hg氏のビデオに見られるマレ・テュッレヌムを分断する淡い筋などについて言及している。

 

 LtEは速報に反応して多くの方から寄せられている。外国からはEd GRAFTON (TX, USA), Tom DOBBINS (OH, USA), Don PARKER (FL, USA), Don R BATES, Jr (TX, USA), Nélson FALSARELLA (Brasil), Frank J MELILLO (NY, USA), C Martin GASKELL (NE, USA), Richard McKIM (UK), Carlos E HERNANDEZ (FL, USA), Dan TROIANI (IL, USA), Dan JOYCE (IL, USA), David R KLASSEN (NJ, USA), TAN Wei-Leong (Singapore),  Sam WHITBY (VA, USA),  Robert SCHULZ (Austria), Tim PARKER (USA, NASA), Damian PEACH (UK), Francis OGER (France), Terry Z MARTIN (USA, NASA), Maurice VALIMBERTI (Australia), Bill SHEEHAN (MN, USA), António J CIDADÃO (Portugal)

 国内からは、森田行雄(広島)、伊舎堂弘(沖縄)、熊森照明(大阪)、阿久津富夫(栃木)、石橋力(神奈川)、浅田正(福岡)、比嘉保信(沖縄)、湧川哲雄(沖縄)、日岐敏明(長野)の各氏に及ぶ。

 David R KLASSEN氏のものは、The International Marswatch Electronic Newsletter "Dust storm alert message" で、上記Director's Reports #01#02#03が引用されて、コラム記事となっている。

 

 他には、常間地ひとみさんの連載コラム「アンタレス研究所訪問」六回目があり、タイトルは「描く論理」として、筆者自身の漫画家を夢見ていた頃の描写の姿勢を取りあげ、「先ず全体を描く。そして部分を仕上げる。部分修正はしない。部分修正は全体を壊してしまうのである」とある。

 天体観測にもこの描くという傾向が引き継がれ、スケッチ観測が主となった。長く続けている黒点観測も数値に着目していた相対数観測から、直視の黒点像スケッチと移っていった。

 近年、描くということは意味を失っているようにも感じるが、テーマを明確に持って描かれたものには、一つの視点を全体的に提供するものであり、数値の世界をリードするのではないかとしている。また、描く人によって表現が違うということが大切で、眼視観測でもいろいろな人の描写が集められて数多くの情報が寄せ合わされるということが重要だとしている。  

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn1/Ant005_8.htm

                                                          村上 (Mk)

 


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