CMO 2001 Mars Report - #03 -

2000年十二月後半・2001年一月前半の火星面觀測

16 Dec 2000 (090°Ls) 15 Jan 2001 (103°Ls)


東亜天文学会 火星課 『火星通信』 南 政


・・・・・・二十世紀が過ぎ去り、『火星通信』も十五年の周期を終えて、新しいサイクルに入った。今後も宜しくお願いします。ただ、今接近は『火星通信』初年度の1986年と同じく、火星の高度が低い。 現在、火星は夜明けの薄明中に好機となり、觀測していると既に南中を過ぎるが、これ以上高くはならない、これからますます低くなるかと思うと甚だ心許ない。15Janで視赤緯−14.5°であるが、まだ10°は下りる譯である。反射鏡での觀測者は然程感じないかもしれないが、屈折では如實に分かる。矢張り皆さん夏には沖縄へ武者修行に行きましょう。

・・・・・・ 今回は16 Dec 2000 (090°Ls)から15 Jan 2001 (103°Ls)迄の期間の觀測をレヴユーする。視直徑δ4.8秒から5.7秒に延びた。遙かに見やすくなっている。中央緯度φ21°Nから16°Nに降りている。位相角は30°から35°と強くなった。冬場は高氣壓に恵まれることは少ないが、シーイングが好ければ觀測は四時半から可能であった。

・・・・・・今回報告を頂いたかたは次の通りである。十名の觀測者が揃ったが、5秒台では珍しいことである。

      CIDADÃO, António José アントニオ・シダダン(ACd) 葡萄牙 Oeiras, Portugal 
            1 Set of CCD Images (14 January 2001)    25cm SCT equipped with an ST-5C + AO
 
     HERNANDEZ, Carlos E カルロス・ヘルナンデス (CHr) 佛羅里達 Miami, FL, USA
            1 Set of Drawings  (12 January 2001)  290, 410× 20cm SCT
 
     HIGA, Yasunobu 比嘉 保信 (Hg)  那覇 Naha, Okinawa, Japan 
            4 Video images (24, 28 December 2000; 1 January 2001) 
                                      25cm F6.7 spec equipped with Sony DCR-TR V900 
 
     ISHADOH, Hiroshi 伊舎堂  (Id)  那覇Naha, Okinawa, Japan
            7 Drawings (18, 24 December 2000; 1, 2, 11 January 2001) 400, 530× 31cm speculum
 
     MINAMI, Masatsugu  南 政  (Mn)  福井 Fukui, Japan
           43 Drawings (16, 17, 19, 21, 22, 29 December 2000; 1, 6, 8 January 2001) 
                                                 400,480,600× 20cm refractor
 
     MORITA, Yukio  森田 行雄 (Mo)  廿日市 Hatsuka-ichi, Hiroshima, Japan
           24 Sets of CCD Images 
               (18, 22, 23, 25, 28 November; 
1, 6, 8, 15, 17, 21, 22, 27, 29 December 2000; 10, 11 January 2001) 
                                     f/50  25cm speculum equipped with an ST-5C
 
     NAKAJIMA, Takashi      (Nj)  福井 Fukui, Japan
            7 Drawings (19, 29 December 2000)  400,480× 20cm refractor
 
     PARKER, Donald C ドナルド・パーカー (DPk)  佛羅里達 Miami, FL, USA
            2 Sets of CCD Images (28 December 2000)  
                                         f/55 41cm speculum equipped with a Lynxx PC
 
     PEACH, Damian A デミアン・ピーチ (DPc) ノーフォーク King's Lynn, Norfolk, UK
            2 Drawings (22 December 2000; 13 January 2001)  410,590× 31cm Meade SCT
 
     WASIUTA, Myron E マイロン・ワシュータ (MWs)  維吉尼亞 VA, USA
            2 Drawings (24, 26 December 2000)  360× 31cm speculum
 
                                                                                        * 福井市自然史博物館天文臺 

 

・・・・・・・・ この期間の觀測:

 16Dec(090°Ls)17Dec(091°Ls)兩日に筆者(Mn)ω=344°Wから027°Wの範囲を觀察した。前半はやや靄がかったシュルティス・マイヨルの片鱗とシヌス・サバエウスが見えており、マレ・アキダリウムが入ってくる。シヌス・メリディアニは可成りの濃度である。明るい朝霧はクリュセから、タルシスの方へ後退する。北極冠は明白で、・[の明るさは鈍い(ω=027°W)。この日の森田(Mo)氏のω=358°Wでマレ・アキダリウムが濃く出ている。
 18Dec(091°Ls)ω=359°Wの伊舎堂(Id)氏のスケッチでもマレ・アキダリウムが濃く、その朝方には朝霧。
 19Dec(091°Ls)には中島(Nj)氏と筆者がω=334°Wからω=003°Wまで觀測した。シヌス・サバエウスが明確で、南端がやや白い。北極冠は顕著。クリュセ朝霧も強く、ω=003°Wではebmが明白になった。
 Mn21Dec(092°Ls)にはω=295°Wω=344°W22Dec(093°Ls)にはω=286°Wω=334°Wの觀測、シュルティス・マイヨルが南中から夕端へ抜けた。O56併用。ヘッラスが非常に明るく、北極冠も明白だが、それを凌ぐ。ω=325°Wではヘッラスは目立たなくなるが、シュルティス・マイヨルは濃い。前半はウトピアが濃く、後半はマレ・アキダリウムが濃く入って來る。シヌス・サバエウスもよく見える。21Dec22DecにはMo氏も撮像を行っていて、夕方のシュルティス・マイヨルはやや不安定だが、22Dec(093°Ls)ω=318°Wでは可成り明確である。福井では22日の朝(JST)にはドーム内は1まで降りた。
 この日英國のピーチ(DPc)が初觀測で、勿論我々より早く6:50GMTω=105°Wのスケッチである。ソリス・ラクスの邊りに陰があり、クサンテが夕方で明るい。北極冠も周りの暗帶とともに好く捉えられている。ソリス・ラクスの北に明部がある様である。Wr21(橙色)を併用。この日δ=5.0"になった。

 24Dec(094°Ls)にはヴァージニア州のワシュータ(MWs)氏が初觀測、9:30GMTからで、ω=130°W邊り、不幸にして模様は乏しいが北極冠は明白である。日本では比嘉(Hg)氏がω=302°WId氏がω=303°W(21:49GMT)で觀測した。Hg氏のVideo像では火星は揺れるが、色合いが好く、(とてもディジタルカメラでは無理だと仰有るが)シュルティス・マイヨルやヘッラスはよく分かり、北極冠も見える。Id氏は當然どれもフィックスしているが、白く明るいヘッラスには眼が行っている。
 26Dec(094°Ls)にはMWs氏がω=105°Wで北極冠と暗帶。
 27Dec(095°Ls)にはMo氏が好いシーイングに惠まれて、良像を連續して撮った(22:55GMTから)。約廿分ごとに列べると、ω=263°W268°W275°W280°Wとなる(圖では別の選擇)が、どれにもシュルティス・マイヨル中心に大抵の暗色模様は出ている。B光も好くなり、ヘッラスは盛り上がっている他、エリュシウムも分かる。

 28Dec(095°Ls)にはパーカー(DPk)氏がω=105°W(11:05GMT)ω=114°Wで撮像、區別は附かないが、夕端のクサンテ-タルシスの白雲の盛り上がりは明白である。雲の強調でフィルターバランスが好くないようである。28DecにはHg氏のヴィデオがω=256°Wで動いている。薄明でカラーバランスが少し崩れているらしい。

 年末29Dec(096°Ls)2000にはMo氏が矢張り好いシーイングのもとでω=242°W247°W252°Wで撮っている。シュルティス・マイヨルから東は堂々としていて、マレ・キムメリウムが切れ上がっているほか、アエテリアの暗斑も出ている。ケブレニアはω=250°W邊りのR光で明帶である。B光ではヘッラスの他、エリュシウムもはっきりしている。

 この日は福井も快晴で、ω=218°Wから(19:10GMT)から開始したが、Nj氏にとってこういう機會は初めてで、雲の心配もなくゆっくりと觀測した。ただ、この朝はドーム内でも-1になった。前半はギュンデス暗帶がよく見えている。ω=247°W頃になって、午前霧の中からシュルティス・マイヨルが出てくるのが眺められた。視直徑が小さく遅くなるのは致し方ない。このときヘッラスの明るさも顕著になっている。φ19°N。この日は二人で十一回觀測した。Mo氏の最終觀測はω=255°W(21:43GMT)であったようだが、福井ではω=266°W(22:30GMTMn)まで可能であった。火星は南中で、シュルティス・マイヨルは明確になっていて、ヘッラス明るく、エリュシウムも殘っている。北極冠も明白、朝方が明るい。

 年と世紀が改まって、1Jan(097°Ls)2001にはω=196°W(Mn)ω=206°W(Hg)ω=218°W(Id)ω=220°W(Hg)ω=231°W(Id)の觀測がある。Hg氏の像でもウトピアの暗帶と北極冠は確認出來るが、どれも全体に模様に關しては低調である。ただ、Id氏のω=231°Wで、ヘッラスが明確になりつつある。中央付近のエリュシウムには明るさがない。。
 2Jan(098°Ls)にはId氏がω=216°Wω=226°Wで觀測した。前者では夕端に明部があるようある。後者ではヘッラスの張り出しを見ている。
 6Jan(099°Ls)にはMnω=155°W184°Wまで觀測、前半タルシスが夕端でコンパクトに明白、ω=174°W邊りでは、可成りの濃淡が見える。北極冠は圓い。
 8Jan(100°Ls)にはMnω=116°Wからω=164°Wまで觀測した。ω=145°Wではアルバ夕雲が見える。この日はタルシスが然程の明るさでは無かった。南西端に明るいパッチ。北極冠は明白。エリュシウムも朝方で霧を被っているようである。
 11Jan(102°Ls)にはId氏がω=131°Wで觀測した。ソリス・ラクスの蔭やクサンテが明るいか、という程度。10Jan,11JanにはMo氏の像もあるが、シーイングが冴えない様である。
 12Jan(102°Ls)にはマイアミのヘルナンデス(CHr)氏がω=323°Wでスケッチした。夕端のシュルティス・マイヨルと横たわるシヌス・サバエウスがはっきり出ている。ヘッラスについてのコメントはないが、南端は明るいようである。マレ・アキダリウムが出て來ており、B(Wr4764(青緑))ではクリュセ朝雲は前方の方へ吹き出しを持っている。
 13Jan(102°Ls)にはDPc氏がω=252°Wで觀測した。シュルティス・マイヨルが堂々としており、ヘッラスが輝いている。北極冠の周りに暗帶。
 14Jan(103°Ls)にはポルトガルのシダダン(ACd)氏がω=246°WCCD像を得ている。ウトピアの形が好い。B光でヘッラスは強く出ている。シュルティス・マイヨルは午前霧から出ている。RGBではエリュシウムが夕方に見えている。Rを使ったLRGBは意味がないことはこれを見れば分かる。

 この期間、視直徑に見合ったグロスな範囲では北極冠も含めて順調な推移であった。


・・・・・・・火星通信』の第一號は25 Jan 1986發行であるから、今號#239は丁度十六年目に入る。當時のこの時期未だ觀測報告が出ていない。25Mar1986(#005)で臺北での何處が見えるかといった程度のことが書いてあるだけで、當時まだOAAとしての觀測態勢が出來ていなかった譯である。それに比べて今回はしっかりした布陣で、而も早い立ち上がりである。當時も早い段階で先陣を切る觀測者が居ないことはなかったが、先鞭を附けるだけで長續きしないし、バランスを缺くことが多かった。それに對し今回の陣容は確固とした人たちであるのも十五年の年月を感じる。筆者が臺北に渡ったのは1986年二月25日であった。筆者の開戰は既に大津での8Dec1985(093°Ls)で、δ=4.4"であった。臺北での初觀測は2 Mar 1986(133°Ls)δ=7.1"で、五十九枚目の觀測であった。

 十五年ぶりといえば、福井は今月半ばに大雪に見舞われた。92cmの雪にドームは埋まったわけである。筆者の場合は一、二日の差で大津からの列車は無事であったが、Nj氏は敦賀からの歸り列車の立ち往生で十數時間閉じ込められたそうで、曇男變じて雪男である。JRの危機管理の拙さにカンカンである。豪雪といえば1963年、1981年が有名で今回は然程でなかったのにである。Nj氏は1986年の大雪は憶えているそうだが、筆者の福井のでの觀測は1995年の大晦日-20cm屈折での初觀測-だけで、、臺北往き迄ずっと大津で觀測していたから福井の雪は知らないのである。尚、今回の大晦日は矢張りNj氏と共に待機したが、觀測は適わなかった。觀測に先立ち足羽山からは除夜の鐘の音と共にあちこちで花火が見られた。ドーム内でも3であった。ただ、當時も大津で氷点下1.3の記録がある。既に今回も福井の天文臺の屋上で零下2を經験しているが、この分で、1986年のような好い夏になって欲しい。筆者の觀測數は1986年が最高で、以前以後これを超えていない。

 村上昌己(Mk)氏は既に今期間中に二度觀測を行っているが、シーイング不好の爲報告を見送ったようである。


・・・・・・次回は16 Jan 2001 (104°Ls)から15 Feb 2001 (118°Ls)までの觀測をレヴューする。觀測〆切後早めにお送り下さい。郵送とは別にemailでデータと概要をお知らせ下さい


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