From
Kanehiro OSA
●・・・・・・・・・Date: Sun, 14
Mar 2004 01:19:18 +0900
Subject: Re: ローヱル会議
南 様、なんとか対処できる様にしたいと思います。未だ星の会で何人が出席できるのか定まっていません。数名だ一度に乗れる車は確保しています。たぶん幾ら予定しても確定できるのは、本当に開催間近になると思います。
〇・・・・・・・・・Date: Thu, 25
Mar 2004 23:50:21 +0900
Subject: Re: Approved
南 様、 何とか話しが出来る程度に調べたいと思います。先ずは、あらためて現地に行こうと思います。七尾から倶利伽藍までの道のりが難しそうです。
現在、邑知潟を検証中でローエルの言うところの右に海を感じさせる地点がこの潟ではないかと想像しています。津幡に入ってから旧道が僅かに残っていますので、そのあたりも調べてみます。ほとんど大正・昭和の工事事業で失われていますが、潟の水害で無くなった道や集落が多い様で逆に面白いです。
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倶利伽藍はローヱルが直接書いているわけではなく、この発音の難しい地名
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は省略したと思われます。したがって、歴史など聞いていたかどうか怪しい
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ですね。ですから、寧ろ石動までの「能登街道Noto
Highway」を当時の道
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路事情などをお調べいただいて、文章の、急カーヴや、森や、急な坂や、頂
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上からの反対側の風景の描冩などから倶利伽羅峠を地図の地形からidentify
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していただければ結構かと思います。いまと様子が違うかも知れませんが。
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その他、ローヱルの荒山峠以降の能登に関する記述に関してどんなコメント
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でも結構です。初めての人もいるわけですから。私も「猿島」とその伝説は
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知りませんでした。
添付した写真は、猿島です。先の日曜日に柳田からの帰り道に立ち寄りました。現在は「サギ島」になっていました。猿島のサギでは詐欺のようです。
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穴水町の明治時代の地図などは残っていないのでしょうかね。これは坂下さ
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んの領域でしょうが。現在のと比較した形で、液晶プロジェクターに出せれ
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ば、大受けだと思いますが。
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何故穴水で止めたのでしょうね。坂下さんは、輪島まで行かれたのでは穴水
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が霞んでエライコッチャと言っていましたが。
ビザの関係もあるかも知れませんが、あれだけの想いでやって来た能登路旅行も先に来た外国人の話を聞けばショックも大きかったと思います。それに意地っ張りなところがあるので少しでも奥に行けば満足したと感じます。それに下船した穴水は内海であったがために「ボラ待ち櫓」が存在して彼にとっては大発見だったと思います。
私がもし同じ様に穴水に到着すれば、この先に珍しいものが在るか尋ねるでしょうね。ところが説明を聞いても理解できなかったでしょう。見附島などは諸外国でもありますから興味はないでしょうし、ボラ待ち櫓を見てしまえば満足でしょう。それに立山が気になっていれば北限の挑戦なんて関係なくなってしまいます。地図を見ながら冒険したでしょうし、火星の入り江に見えるところに到着したのですから感無量だったと思います。
長 兼 弘 (Kanehiro OSA 野々市
Ishikawa)