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金環日食と、そこから脱線してゆく話

2012年5月21日 磯部洋明

以下の文章は、2012年5月13日と20日にJAXAとディスカバリーチャンネルの主催で東京と大阪で開催された、金環日食のイベントで話した内容の一部を文章に起こした物です。金環日食の説明や太陽フレアなどの話は、実際より結構はしょってます。金環日食についての詳細や観測の仕方などは、2012年金環日食日本委員会 http://www.solar2012.jp/index.html や国立天文台 http://naojcamp.mtk.nao.ac.jp/phenomena/20120521/ のサイトをご覧下さい。

なお対象は小学校3-6年生とその保護者でしたので、実際の講演ではもう少しくだけた話し方で、途中に参加者への質問なども入れたりもしてますが、内容の大筋は同じです。小学生には少し難しい内容も含まれているとは思いましたが、小学生たちが全て理解できることよりも、その時はよく分からなくても何か心に残るものがあって、後から意味が少しずつ分かってくるような、そういう話をしたいと思っていました。それができたかどうかは分かりませんが...

ここから

2012年5月21日、日本全国で金環日食が見られます。日食というのはみなさんご存知のように、太陽と月と地球がほぼ一直線状に並び、太陽が月の影に隠れる現象です。 太陽は月よりも直径にして約400倍大きいですが、地球からの距離は月の約400倍遠くにあります。このため偶然にも、地球から見たときの太陽と月の大きさはほとんど同じになっています。ただし月の見かけの大きさは時期により少しずつ異なります(実は太陽のみかけの大きさもそうですが月に比べれば変化は小さいです)。 金環日食というのは、月のみかけの大きさが太陽のみかけの大きさより少しだけ小さい時に起きるため、月が太陽を全部隠すことができず、太陽が輪のように見える現象です。一方、月のみかけの大きさが太陽のみかけの大きさより少し大きいときに日食が起きれば皆既日食となり、太陽の回りに明るく輝くコロナを見ることができます。 月のみかけの大きさが変わるのは、月が地球の周りを回る軌道が完全な円ではなく、すこしひしゃげた楕円の形をしているからです。地球の位置は楕円の中心から少しだけずれているので、月と地球との距離はわずかですが近くなったり遠くなったりします。近い時には月が大きく、遠い時には月が小さく見えるというわけです。

コロナというのは、太陽の外側に広がる、温度が100万度以上にもなる超高温の大気です。コロナは皆既日食の時だけ出現するわけではなく、普段からいつも存在していますが、太陽本体に比べてとても暗いため、ちょっとでも太陽本体が見えているとその光に埋もれてしまい見ることができません。 ですが、みなさんの目には見えないエックス線という特別な光を使うと、皆既日食の時しか見られないコロナを見ることができます。下の動画は、日本の「ようこう」という人工衛星が撮影したエックス線の太陽です。時々ピカッと光るのは「太陽フレア」と呼ばれる大爆発で、これが起きると地球でオーロラが見えたり、宇宙飛行士が被ばくしたりします。太陽というのは地球上の生命活動の全ての源ですが、ひとたび地球の大気の外に出れば、人間にとってとても恐ろしい、危険な存在でもあるのです。

さて、今回の金環日食は関西では282年ぶり、関東では173年ぶりとなる貴重な機会ですが、ここでもう少し長い時間で日食という現象を見てみましょう。先ほど、月のみかけの大きさと太陽のみかけの大きさが偶然にもほぼ同じであるため、月と地球との距離がわずかに変わることにより金環日食や皆既日食が見えるという話をしました。この「みかけの大きさがほとんど同じ」というのは、実は本当にすごい偶然なのです。

実は、月は1年間に3-4cmほど、地球から遠ざかりつつあります。なぜそうなるかは大学で物理学を学ばないと分からないような難しい話なので詳しくは述べませんが、海の潮の満ち引きに関係している、ということだけは言っておきます。 月がだんだん地球から遠ざかっているということは、昔は今よりも月が近くにあり、従ってみかけの大きさも大きかったということです。3-4cmというのは月や地球と比べればわずかな距離ですので、月の見かけの大きさが10年や100年で変わって見えることはありませんが、長い長い年月が立てば変わってゆきます。

地球と月が生まれてまもない今から45億年前には、月と地球の距離は今の20分の1くらいだったと言われています。これは、夜空の月が今の20倍くらい大きかったことを意味しています。きっと肉眼でクレーターがはっきり見えたことでしょう。太陽と地球の距離はほとんど変わりませんから、この頃はもちろん金環日食は起きません。皆既日食が起きたとしても、月が太陽をすっぽり隠してしまいコロナはろくに見えなかったかもしれません。 一方、このまま月が遠ざかってゆけば、だんだん月のみかけの大きさは小さくなってゆきます。遠い遠い将来には、皆既日食はまったく見えなくなってしまい、金環日食も、リングというよりはドーナツのように見えるようになるでしょう。長い長い地球の歴史の中で、今は皆既日食と金環日食の両方が見える特別な時代なのです。 また月の直径は地球の直径の4分の1ほどですが、これは本体の惑星に大して4分の1の大きさというのは、非常に大きな衛星です。太陽系の他の惑星も衛星を持っていますが、本体の惑星の数分の1もの大きさがある衛星は月の他にありません。実は月の形成というのは今も分かっていないことが多いのです。もし地球にずっと小さな衛星しかなかったら、その衛星がよほど近くにない限りは皆既日食は見えなかったでしょう。 ですから、人類が金環日食と皆既日食の両方が見える星、見える時代に生まれたのは、実は奇跡のようなできごとなのです。

さてここからここから先の話は僕も全く専門ではないので、多分に想像が交じります。

古代の人も、日食は見ていたはずです。もっと言えば、現世人類になる前の原人や猿人だって見ていたでしょう。日食というのは、私たちの遠い祖先が、地球と月、太陽の関係に想像をめぐらせ、宇宙というものに興味を持つきっかけとなる重要なイベントであったことは、想像に難くありません。 そして天文学というのは人類のもっとも古い学問、科学の一つです。歴史に「もし」を言っても仕方ありませんが、もし日食がなかったら、文明の発達、科学の発達は今よりもずっと遅れていて、もしかしたら私たちは未だに石器時代のような生活を送っていたかもしれません。皆既日食も金環日食も見られるような時代に人類が生まれたことと、今私たちがこうして地球上で繁栄していることは、実は関係しているかもしれないのです。

さらにもう少し想像を膨らませてみましょう。

先ほど、昔は月が今よりずっと近くにあったと言いました。月の大きさそのものは変わりませんから、月が近くにあったということは、月の重力が地球に及ぼす影響、つまり海の潮の満ち引きが今よりずっと大きかったということを意味しています。 みなさんは、最初の生命が海の中で生まれ、そこから陸に出ていったということを知っていると思います。海に住んでいた生き物は、どうして陸に出て行ったのだと思いますか?海が他の生き物が増えて住みにくくなったから?新しい生きる場所を求めて?結果としてはそういうことなのかもしれません。だとすると彼らは、「さあ、新しい土地を求めて陸に上がるぞ!」と決心して、海の中で住んでいた生命にとっては危険に違いない陸上に進出して行ったのでしょうか?

京都大学の総合博物館の館長で化石や古生物の研究をされている大野照文先生とこの話をした時に、大野先生は「昔は潮の満ち引きが大きかったから、浅瀬に行っては引き潮で取り残されて死ぬ、ということを繰り返しているうちに、ひょっこり進化しちゃったということじゃないかと思う」と仰ってました。つまり、陸地に行こうと決心してみんなで協力して行ったというよりは、向こう見ずにも浅瀬に行っては死んでしまう、うっかりものの個体が後を立たなかったために、長い年月のうちに偶然にも進化するヤツが現れた、ということになります。(強調しておきますが、今言っていることは科学的に証明された事実ではなく、推測です)

私たち人類が地球上に生まれることができたのは、その昔、私たちの祖先の生命が海から陸への危険な移住を実現してくれたからです。そしてその生命が海から陸へと進出できたのは、たぶん、彼らの中に「よせばいいのに」浅瀬に行っては死にそうな目に合うということを繰り返すヘンなやつらがいたからなのです。 こういう他と違うことをするヘンなやつらは、集団から見ると普段はあまり役に立ちません。それどころか、みんなに迷惑をかけるようなことばかりします。いわゆる「いらんことしい」です。彼らは多くの場合、「いらんことしい」のまま一生を終えて死んで行きます。 ですが、本当に大変なことが集団に起きたとき、今までのやり方ではどうしてもうまくいかなくなった時、新しい道を切り開いて、その集団が生き残る可能性をつないでくれるのは、しばしばこういうヘンな奴らなのです。そしてこれは私たち人類が、この先待ち受けている様々な変化、様々な困難に立ち向かう時にも(たぶん)当てはまるのです。

みなさんの学校のクラスや身の周りにも、そういう「いらんことしい」な人がいるかもしれませんね。周りの人を困らせるようなことをしてる人もいるかもしれません。もちろん人に迷惑をかけるのはよくないことですから、そういう人がいたら注意をしたり、人に迷惑をかけないように手伝ってあげたりするのはよいことです。ぜひそうして下さい。ですが、「みんなと違うこと」をやるヘンな人がいることは、長い目で見れば人類にとってとても大切なことだということも、頭のどこかに覚えておいてもらえたらなと思います。

そしてこの話には別の見方があります。なるほど海から陸へ進出する時に先頭に立ったのは、「いらんことしい」でヘンなやつらだったかもしれません。でも、陸という危険が一杯の厳しい環境に適応し、そこで繁栄することができたのは、ヘンなやつらに続いてぞろぞろとついてきた、マジメでケンジツに生きようとする大多数がいたからです。たぶん。他と違うことばかりするヘンなやつらばかりでは、とうてい集団全体で繁栄することはできないですよね。

実際の生命の陸上進出がほんとにこの通りだったのかどうかは分かりませんが、これは人類の未来にもきっと当てはまると思います。新しい道を切り開くのは、しばしば、人と違うことをするいらんことしいのヘンな人たちです。(もちろんそうでない場合もあると思います。)ですが、みんながみんなそういう人ではやはり困るんですね。人類が集団として生き残り、変化に取り残されて不幸になってしまう人をできるだけ減らすには、集団の大部分は、人と協力してマジメにケンジツに働くことができる人たちでないといけません。

人と全然違う考えを持ったり違うことができたりする、そういう人たちは必要です。たとえ一見役に立たなかったり、それどころかちょっと迷惑だったりしてもです。ですが、人と違ってなくてはいけないというわけではありません。これといった特徴はなくても、マジメでケンジツに生きようとする多数の人々もまた、同じくらい必要なのです。どちらのタイプに近い生き方をするかはみなさんが決めることです。どちらも素晴らしい生き方だと思います。

そんなこんなで、日食からだいぶ話が飛びました。金環日食当日の天気がどうなるかは分かりませんが、もし晴れたなら、たまたま金環日食が見える星の、たまたま金環日食が見える時代に、たまたま人間に生まれた奇跡を感じながら、楽しんでもらえたらと思います。

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