岡山県瀬戸内市邑久町にある長島愛生園は、昭和5年に設立されたハンセン病療養所です。 周知のようにハンセン病はかつて「らい病」と呼ばれ、国の隔離政策により患者はほぼ強制的に 全国の療養所に収容されました。患者だけでなく家族までが激しい差別にさらされていたため 多くの人は氏名を変えて故郷とも縁を切り、一生を療養所からほとんど出ることなく 終えることを強いられました。さらに理不尽なことには、隔離政策は特効薬が開発され ハンセン病が治る病気となってからも続けられ、法的根拠であったらい予防法が 廃止されたのは平成8年のことでした。愛生園を含む全国の療養所には、 今も元患者の方々が居住されています。
この長島愛生園に、戦後まもないの一時期、天文台(長島天文台)が設置されていました。 設置に協力したのが京都大学花山天文台の初代台長である山本一清博士、それに彗星の 観測で知られている倉敷天文台の本田実氏でした。天文台は愛生園に戦前からおかれていた 気象観測所に設置され、患者である入所者の方々が所員として気象観測と天文観測を行っていました。
この愛生園の気象観測と天文観測の調査を、文化人類学等の研究者にも参画して頂いて、 2014年から少しずつ進めています。このページはその調査プロジェクトに関する 磯部個人のメモ書きや資料置き場として運用する予定です。 (2016.3.7)
長島愛生園入所者の歌人で、同園の気象観測所主任でもあった 依田照彦さんの歌集を読む読書会を以下の要領にて開催します。 当日の飛び入りもOKですが、参加を希望される方はできるだけ事前に下記世話人までご一報下さい。
依田照彦さんは、戦前から戦後にかけて、愛生園における気象観測と天文観測に 中心的に関わった方でした。長島天文台建設の計画が持ち上がった 昭和17年に依田さんが山本博士に送った手紙には、 「今後私はこの島に一章を終わる運命にあり、生をかけてこのことをやりたい念願です」 という依田さんの天文観測にかける思いが伝わる一文が記されています。
また、依田さんが記した「気象観測二十年の歩み」という文章の後記には、 「この書を手にせらるる方々は、その諸表が単なる数字の羅列ではなく、 その一つ一つに観測者の命が刻み込まれていることを知っていただきたいのであります」 という一文が載っています。依田さんはこの文章を、入所後につけた仮名である 依田照彦ではなく、本名で記されています。
一方で依田さんは「アララギ」に入会し、歌人としても活動されていました。 依田さんの歌の中には、気象観測や天体観測を題材にしたものや、 科学的観測者らしい自然の観察を詠んだものがあります。
自記気圧線鋭く墜ちぬ刻々の台風来を告ぐる夜更に
あきらめてゐし眼にかすかに木星の衛星が見ゆるよ一つ二つ三つ四つ
分裂し環礁のごと散りばへる黒点群を克明に写す
本読書会は、依田さんが詠んだ歌を通して、自然科学を探究することの 意味をもう一度考え直すことも目的の一つとしています。
本企画は東一条館に入居するリーディングプログラム履修生有志によるシリーズ企画 Ton-Ichi Talkの番外編として 開催します。
日時:2016年3月11日 18:30-20:00
場所:京都大学橘会館 アクセス
テキスト:依田照彦歌集(長島短歌会)
備考1:おなかが空く時間ですので、軽食を持ち寄って開催します。みんなでシェアできるもの歓迎です。
備考2:参加される方にはできるだけ事前に読んで頂きたいと思っています。詳しくは参加表明時にメールでご連絡します。
世話人:磯部洋明、鈴木晴香
参加申込、お問い合わせ: isobe@kwasan.kyoto-u.ac.jp までメールにて。