ISMO 2013/14 Mars Note (#06)

オリュムプス・モンス、タルシス山系の白雲の動向

 南 政


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0° 綿毛の珠玉1980年代の初頭、われわれは福井市自然史博物館の舊15cm屈折でまぁーるく真っ白に輝くオリュムプス・モンスの眺めを何度も愉しんだものである。これはまるで綿毛が丸くクッキリと見えるのに似ていたので、われわれは綿毛状のオリュムプス・モンスなどと呼んでいた。尤もオリュムプス・モンスはいつも綿毛状というわけではなく、オリュムプス・モンスがそういう姿を見せるのはλ=050°Lsからλ=160°Ls頃までの間で、特に顕著なのはλ=080°Ls~120°Lsぐらいの間であった。

  2014年からワンサイクル17年前の紀録をCMO#185 (25 Feb 1997)を見ると、次のような書き方で国内の観測を記述している。「オリュムプス・モンスは最盛期でVAの季節であった。Mk氏は8 Feb (076°Ls)には ω=159°W 169°Wでタルシスと分離 して、オリュムプス・モンスを検出しているが、9 Febの上記 ω=174°Wではまるで真っ白な綿毛がボールになって浮かんでいるように、しかも常時見えた。10 Feb (076°Ls)には更にシーイングが向上し、観測開始の15:10GMT ω=145°Wから確認でき、Nj氏とMnが交互に夕端に没するまで追跡できた。 ω=204°Wで欠け際に來て ると判断した (位相角=25°)。オリュムプス・モンスより前方には暗帯を挟んでタルシスが欠け際で際立つ。Iw氏は13 Feb ω=153°W163°Wでオリュムプス・モンス をクッキリ見ている。タルシスより印象深いようである。」ここでVA=Very ActiveというのはSMITH-SMITHの論攷(S A SMITH & B A SMITH (Icarus 16 (1972) 509)で採用された分類である。

  しかし、我々の小望遠鏡で見えていた丸い白斑が、更に複雑な構造を示している可能性は残っていた。たとえば、次の段落で採用する1997年のHST画像Fig.Aを見ると、オリュムプス・モンスは必ずしも圓形でも楕円形でもない。オリュムプス・モンスの西側の山腹の形状を示しているように見える。

 

綿毛の状態扨て、1997年の火星に鑑みて、CMO #201 (25 March 1998)で筆者は 不十分ながら 1996/97 Mars Sketch (3) として  "Clouds at the Tharsis Ridge and Olympus Mons, Morning and Evening

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/97Note03j.htm

というレポートを書いている。オリュムプス・モンスを綿毛としてみる1997年、それより以前の1982年の観測としてFig.8Fig.12で示している。前者を再引用すると左図でデータは   

10 February 1997 (λ=076°Ls, δ=11.5", ι=25°) at ω=165°W である。

 

一方更に15年前の1982年の圖は右図のもので、データは11 March 1982 (λ=097°Ls) at ω=141°W 430x18cmRefr(花山のザルトリウス鏡)

である。一応季節は違っている事に注意する。

 

 

 

今期2014年の観測で、更に季節は後になるがこれに相当する画像は

 

*


などであろう。

 

尚、綿毛Cotton-ball-likeという熟語は1980年代初頭から筆者は使っているが、同時期フランク・メリッロも使っていた。一方、佐伯恆夫氏の御本などには、こうしたオリュムプス・モンスの顕著な夕雲の話など書かれていないかったように思う。後年、(詳しくは期日を覚えていないが) 1980年代以降のことだったが、佐伯恆夫氏が所用で富山にお寄りになったとき、旧富山市天文臺の40cmの木邊望遠鏡でオリュムプス・モンスをご覧になって、確かに明るく輝いて見えますな、という意味の御ハガキを貰ったという記憶がある。大沢俊彦氏の『惑星ガイドブックI』の中の記事でも正確な記述はなされていないと思う。1978年の衝時にオリュムプス・モンスは描かれているが、これは雲を被った姿ではない。むしろレリーフが描かれていて一寸した微細なオリュムプス・モンスである。

  オリュムプス・モンスについてはいろいろな誤解がある。所謂Nix Olympicaは衝効果に據るものであるが、必ずしも衝でもいつも輝くものではなく、1997(18 Mar 1997, λ=092°Ls)CMTの經験では水蒸氣が漂ってオリュムプス・モンス自身は見えるものの見辛かったといった記憶がある。大接近衝の2003年や2005年には明確なNix Olympicaが捉えられているが、位相角の狭い幅しか許されないのも事実である。いつかたとえばS&T内の記事にこうした點について無理解、誤解を感じて、CMO #389 (25 Sept 2011)の巻頭で批判したことがある。表題はNix Olympica Misunderstandingで、いろいろなケースについて述べた筈である。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/389/Mn_389.htm

をご覧いただきたい。

 

綿毛の變化:ところで、#201の記事の中で、1997年の何件かの画像の内、次の二枚のHST画像の部分を引用している。 10Mar1997 (λ=089°Ls)の像と、30Mar1997(λ=097°Ls)の像で後者は多分ω=195°Wである。前者をFig Bとし、後者をFig Aとする。

 

 

この二枚の画像から得たいと思ったものは、オリュムプス・モンスとタルシス三山が夕方になって次第に夕雲に覆われる變化であったわけだが、この二枚だけでは当然充分ではなかった。Fig. Aではオリュムプス・モンスはあまりに縁近くに來ており、Fig. Bはまだオリュムプス・モンスは夕雲に覆われる状態が充分ではないように思われた。

 その點で、2013|2014の時點で更に間を埋める画像が得られていないか、というのが關心である。そこで、ここでは上の二枚の画像に繋がるような画像を2014年接近で得られた画像から拾ってみようと思う。

 

3° 2014の画像から: 先ず、二月から四月にかけて、様態がA像に近いものを含めて、目につくものを列挙すると

Anthony WESLEY (AWs)       6 February 2014 (λ=086°Ls) ω=171°W

AWs                        7 February 2014 (λ=087°Ls) ω=159°W

AWs                        8 February 2014 (λ=087°Ls) ω=142°W

Maurice VALIMVERTI (MVl)   9 February 2014 (λ=088°Ls) ω=135°W, 143°W

Mark JUSTICE (MJs)           9 February 2014 (λ=088°Ls) ω=142°W

Stefan BUDA (SBd)            9 February 2014 (λ=088°Ls) ω=164°W

Yukio MORITA (Mo)          10 February 2014 (λ=088°Ls) ω=134°W

John KAZANAS (JKz)         10 February 2014 (λ=088°Ls) ω=134°W

SBd                        10 February 2014 (λ=088°Ls) ω=154°W

MJs                         11 February 2014 (λ=089°Ls) ω=133°W

Efrain MORALES (EMr)        27 February 2014 (λ=095°Ls) ω=182°W

Peter GORCZYNSKI (PGc)      27 February 2014 (λ=095°Ls) ω=197°W

PGc                          1 March 2014 (λ=096°Ls) ω=162°W

EMr                          2 March 2014 (λ=097°Ls) ω=140°W

Don PARKER (DPk)            4 March 2014 (λ=098°Ls) ω=131°W

EMr                         5 March 2014 (λ=098°Ls) ω=146°W

MJs                         13 March 2014 (λ=102°Ls) ω=189°W

JKz                         13 March 2014 (λ=102°Ls) ω=194°W

Mo                         14 March 2014 (λ=102°Ls) ω=169°W

Mo                         15 March 2014 (λ=103°Ls) ω=149°W

Mo                         16 March 2014 (λ=103°Ls) ω=139°W

Teruaki KUMAMORI (Km)     17 March 2014 (λ=104°Ls) ω=146°W

JKz                         18 March 2014 (λ=104°Ls) ω=130°W

JKz                         19 March 2014 (λ=104°Ls) ω=116°W

MJs                         19 March 2014 (λ=105°Ls) ω=128°W

SBd                         19 March 2014 (λ=105°Ls) ω=140°W

Bratislav CURCIC (BCr)         19 March 2014 (λ=105°Ls) ω=146°W

Manos KARDASIS (MKd)       23 March 2014 (λ=106°Ls) ω=177°W

DPk                         2 April 2014 (λ=111°Ls) ω=187°W

Freddy WILLEMS (FWl)         3 April 2014 (λ=111°Ls) ω=182°W

PGc                         3 April 2014 (λ=111°Ls) ω=182°W

MJs                         14 April 2014 (λ=116°Ls) ω=199°W, 206°W, 214°W

Akinori NISHITA (Ns)         14 April 2014 (λ=116°Ls) ω=204°W, 216°W

MVl                        15 April 2014 (λ=117°Ls) ω=184°W, 189°W, 198°W

MJs                         24 April 2014 (λ=121°Ls) ω=181°W,

などである。二月の像は ι が大きいため、寧ろオリュムプス・モンスなどは際立っている。ι の違いのため ω からは判断できない場合がある。四月に入ると、概ね穏やかになってくる。この内、三月のEMr氏の像と四月のMVl氏の像を再生する:MVl氏は 15 Aprilには單獨で、ω=184°W189°W198°W208°W218°W224°Wと刻んでいて、ここに掲げるのはその一葉である。

 

 尚、再び三月に戻って、19 Marchは澳大利亞の特異日で、幾つかの良像が揃っている。MVl氏も連続像を得ていて


が、その一部であるが、他のメルボルンの観測者の像からなる連続像を以下に並べて示す:


 

 一方、HSTFig.B像の近いものは、先に擧げた WARELL氏、AERTS氏、WELDRAKE氏、KONNAÏ氏の観測の他、上のリストにも含まれ、19Marchの像はいずれも暗示的である。その他、次の像にも注意されたい。

PGc                      6 April 2014 (λ=112°Ls) ω=161°W

Yukio MORITA (Mo)       22 April 2014 (λ=120°Ls) ω=154°W

Teruaki KUMAMORI (Km)  23 April 2014 (λ=121°Ls) ω=146°W

Mo                      24 April 2014  (λ=121°Ls) ω=124°W, 134°W

Km                      24 April 2014  (λ=121°Ls) ω=129°W

MKd                     30 April 2014 (λ=124°Ls) ω=155°W

Christophe PELLIER (CPl)    3 May 2014 (λ=125°Ls) ω=172°W, 181°W, 191°W

などが目に着く。  Km氏の例は次のようである:




 

 4°デミアン・ピーチ氏の2012年の像DPc氏が14/15 March 2012 (λ=083°Ls, δ=13.7")に注目すべき画像群を撮っていることを思い出したい。ω=116°Wからω=152°W迄の四像が並べられており、特に最後の像は朝縁に突起が出ていることで有名である。その他、最初の像にはアルシア・モンスに夕雲はなく、ω=128°Wの像にも未だ不明確だが、ω=135°Wの像にはアルシア雲がLee雲として認められる様になっている。その像をここに掲げる。2012年は3 Marchが衝であった。オリュムプス・モンスはほぼ南中である。タルシス山脈の雲の懸かり具合はこれから面白くなるという前である。Fortuna Fossæ上に湧く雲を捉える格好の角度になっているようである。


 

5° A Remark: 最後に像を並べて判明する一つを述べる。通常、山塊が夕方に近づくと山塊には雲が湧き、濃くなって行くとされる。先のHSTFig.B像では、例えば オリュムプス・モンスの風下雲は淡く、A像では濃くなっているというわけである。しかし、意外とこのLee雲は午前から見られ、特にアスクラエウス・モンスのLee雲はオリュムプス・モンスのそれと同じく午前中に見られ、私が1996/97 Mars Sketch (16) in CMO #215 (10 April 1999) http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/97Note16j.htm で定義したAscræus cloudが太陽が昇るにつれて霧散しても西側山腹に残滓として殘っている濃い雲の部分があり、それが夕方再び新しいLee雲に覆われるという事である。オリュムプス・モンスの雲も全く同じである。


などに明らかである。これらは衝直前で中央子午線はほぼ一時間ほど午後に属するが、問題の雲は午前に存在することは確かであり、今後詳しい追求が奨められる。

 


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