アンタレス研究所・訪問

 

§19梅の雨紫陽花が色づくとそろそろ入梅が近いことを知る。例年沖縄の入梅はひと月ほど早いが、今年は西に五惑星の揃った五月の始め、梅雨前線は沖縄より北上することがあり、太平洋側でも雨天の日が続いた。

          樹も艸もしづかに梅雨ははじまりぬ            (日野 草城)

沖縄の梅雨を「小満芒種」(スーマンボースー)と呼び、梅雨時に降る強い雨を「芒種雨」と謂うらしい(小満は060Ls、芒種は075Ls、今年は前者が五月21日、後者が六月6)。●梅雨の語源は梅の實の熟す季節の雨とされることが多い。同意義から「梅子雨」「梅霖」「黄梅雨」「梅熟時雨」などの表記も見られる。●しかし、そもそも梅は外来で、ウメもméiから来ているとされる。梅雨ということばも平安時代に中国から来たもので(倉嶋厚氏に拠れば揚子江沿いの地域の梅雨の期間は東京のそれとほぼ同じ頃であるという)、そのころ日本では「五月雨(さみだれ、さつきあめ)」と呼ぶのが主流であったようだ。室町時代の連歌書などには「梅の雨」などという雅語が見られるが、江戸期になって「梅雨」という言葉は広く使われるようになったようである(山本健吉「基本季語五百選」)。●また湿度が高く、黴の生える季節の雨という意味で「黴雨」ともいわれる。●『中日辞典』に拠れば、梅雨méiyûは「雨」となっているが、は黴の同意字だそうだから、本家は梅に拘らない。黴もも梅(=)も同じくméiと発音は同じで、雅語風に梅を採用した可能性がある。バイは漢音。●「つゆ」の読みは、黴により「ツイユ(潰ゆ)」からきているという説があるようだが、「つゆ」には大和言葉のやさしい響きがある。●「さみだれ」の「さ」は神に捧げる稲のことで、五月雨の降る頃は「もの忌みの月」として田の神に敬意を表したようである。●わが国においては、四季の潤沢な移り変わりが風土・文化の揺籃となっているが、そのなかでも「つゆ」は稲作だけでなく、春から夏への重要な風物になっている。「卯の花腐し」、「栗の花霖雨」、「紫陽花の雨」、「イジュの花洗いの雨」などなど、梅雨は花に纏わる歳時記が多い。

            あぢさひに潮明かりして夏の星           (大竹 孤悠)

●ひと月近い「五月闇」の日々、雨に濡れて咲く花は陽の光を浴びるのとはまた違った色合いを見せてくれるのだが、それはまた温帯のわれわれの心の襞に古くから刻みつけられている古来の精神のイメージの反映なのであろう。

(Ts) 

          

いじゅぬ花

すーまんぼーすー(小満芒種)にやんばるに真っ白な花をつけるツバキ科の常緑高木

伊集の木の花や

あんきよらさ咲きゆり

わぬも伊集のごと真白咲かな

(琉歌:辺野喜節)

意:伊集の花はあんなに綺麗に咲いてとても見事、私もあの伊集の花のように真白に咲きたい。

 

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