Ten Years AGO (66) - CMO #102 (10 February 1991) -


星は、1991年二月にはスピードも上げながら「おうし座」のアルデバランの北を順行していた。二月末には「東矩」間近になったが、赤緯は高くまだ南中が観測出来る状況だった。視直径は10秒角から8秒角まで小さくなっていった。15 FebLs=020°になり、秋分過ぎの南半球・春分過ぎの北半球が見えていた。
 
 観測シーズン終盤となり、#102からは月一度の発行となった。OAA MARS SECTION には1991年一月後半と二月前半の観測報告が纏められている。寄せられた観測は、国内外合わせ九名(131観測)を数えた。西高東低の気圧配置が続き日本海側気候の大津・福井での観測数はのびなかったが、当時宮崎市在住の岩崎徹氏は一人69観測と気をはいた。

 この期間日本からは、Syrtis Mjの朝方の様子から、M.CimmeriumSolis LM Acidaliumとみて、Syrtis Mjが午後側に戻ってくるところまでが観測された。位相角も大きくなり夕方の様子は観測出来なくなったものの、南北両半球の明暗模様は明白にとらえられ、全体に異常は見られなかった。南極域の明るさや北極雲の活動も、様子を変えながら引き続き捉えられている。Frank J MELILLO氏の報告にはSolis Lの南に小規模な明部を捉えてダストクラウドとしている。他の外国の観測者からも似たような報告があったが、日本での一月末の観測には引っかからなかった。その他に、期間外の追加として国内から三名(22観測)の報告があった。

 LtEには、Gérard TEICHERT (France), Frank J MELILLO (USA)、比嘉保信、石橋力、岩崎徹、Kermit RHEA (USA)、筆者から寄せられた来信が掲載された。Kermit RHEA氏からのお便りは、1991年一月の観測レポートであり、1,  5, 18 Jan の観測が紹介された。

 その他の記事には、「夜毎餘言XX(ワープロ-wa-kuroh)」のほか、正誤表(#091#101)、比嘉氏の1990年火星ビデオ配布のお知らせ、シー・エム・オー・フクイからカンパ拝受の御礼と支出の報告がある。

村上 昌己 (Mk)


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