Ten Years Ago (199)

 

----CMO #253 (25 November 2001) pp3159~3182   ----

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn2/cmo253/index.htm

 

 


 

めに17回目となった観測レポートには、2001年十月後半から十一月前半までの報告がまとめられている。

火星は「いて座」から「やぎ座」へ移り、視赤緯は-18°台に回復した。東矩を過ぎて観測は日没後からの時間帯になっていたが、赤緯の高くなってきたことと日暮れの時刻が早くなったことで、観測回数が稼げるようになっていた。この期間に季節λ253°Lsから273°Lsまですすみ、十一月11日には南半球の夏至(270°Ls)を過ぎた。視直径δ9.7"から8.1"に小さくなった。中央緯度φ11°Sから19°Sと南向きが深くなっている。位相角ι44°へと少し戻ったが欠けは大きかった。十一月に入り気温は低下して白山や日本アルプスは初冠雪をしたとの記事が見える。

 

 報告者は国内7212観測、外国738観測にのぼった。阿久津(Ak)氏の追加報告が含まれる。黄雲の活動はほとんど消えかかっていると思われるとあり、観測のまとめは日付を追って記述されている。

 十月後半は18日からで、火星面には淡い黄雲が残り黄色みを帯びているものの朝霧が淡く観測されていて、水蒸気が活動を始めた様子が窺えた。24日には、シヌス・メリディアニの復活、その西の暗色模様に黄雲の沈殿が斑に見られること、アルゲンテウス・モンスが白く輝いていることなどがパーカー(DPk)氏の画像から示されている。日本からの観測ではオリュムプス・モンスが淡い暗点として捉えられている。25日以降日本では、ダエダリアの暗部やソリス・ラクス北西の暗部が捉えられている。オリュムプス・モンスは検出を試みたが捉えられず、もはや黄雲の衰退に伴ってコントラスト効果がなくなってきているものだろうとしている。ソリス・ラクス東方のタウマシアからオピルにかけて明るく見えることも観測されている。アメリカ側からはヘッラスあたりの情報がある。31日には南(Mn)氏の福井や熊森(Km)氏の堺ではシーイングが良く、アルゲンテウス・モンスが見えて、南極冠も形状がわかるほどであった。

 十一月に入り、多くの方がアルゲンテウス・モンスを捉えている。南極冠もディスクの中に入っているのが明白で明るい。7日にはMn氏の観測で、ヘッラスが午後側で明るく見えたが、ノアキスには擾乱はない。シヌス・サバエウスの付け根は太く、シヌス・メリディアニが淡いが良くみえていた。8日にはDPk氏の観測があり、マレ・キムメリウム領域の回復の様子を示している。10日には福井の観測でヘッラスの内部に輝度の違いがあることが見られた。また、シヌス・サバエウスからマレ・セレペンティスにかけては大きな濃い模様に見えていた。朝方のノアキスには朝霧を認めている。11日にはAk氏が高度のある日中からIR光で撮影を試みて暗色模様の検出に成功している。各地とも晴天でシュルティス・マイヨル、ヘッラス、マレ・セレペンティスの様子が報告されている。アメリカ側からはマレ・シレヌムあたりの様子やオリュムプス・モンスが捉えられないことが寄せられている。その後は15日までに午後縁に白雲が見られるようになり注目されている。ヘッラスも朝方に移って朝霧でかなり明るさになっていた。反してシュルティス・マイヨルは朝霧の中から、なかなか姿を現さなかった。後書きとしてヘッラスの明るさが指摘され、この時期としては異常だったろうとしている。ソリス・ラクス付近の異常も指摘されていて、今後の朝方の白雲活動に興味が向けられている。

 

 LtEは、Don PARKER (FL, the USA), Nicolas BIVER (the Netherlands), Brian COLVILLE (Canada), Frank J MELILLO (NY, the USA), Jeffery BEISH (FL, the USA), Maurice VALIMBERTI (Australia), Phil DOMBROWSKI (CT, the USA), Dave MOORE (AZ, the USA), Richard McKIM (the UK), Gérard TEICHERT (France), Ed GRAFTON (TX, USA), Yuan LI (China), Bill SHEEHAN (MN, the USA), Randy TATUM (VA, the USA)と、 外国の各氏から多くの来信があった。日本からは、熊森照明(大阪)、伊舎堂弘(沖縄)、森田行雄(広島)、阿久津富夫(栃木)、大場与志男(山形)の各氏から寄せられた。筆者のしし座流星群の火球の画像を掲載した藤澤便りも巻末にある。この年はしし座流星群が多くの出現を見せて日本の皆さんの来信にも取り上げられている。

 

 連載の「アンタレス研究所訪問」は12回目を数え、常間地ひとみ(Ts)さんによる「神山純一の獅子座」が掲載されている。この年、活発な活動を見せたしし座流星群の話題が消えないころで、いま、「しし座」をテーマにした音楽を作るとしたら今回の流星のイメージが取り込まれることだろうとしている。星座をテーマにした楽曲はすでに神山純一氏により「エトワール(星座シリーズ)」として、星座をかたちどる星の位置を五線譜に写したものをテーマとして作曲されているものがあり、その中の「しし座」の曲想が紹介されているが、力強い流星の飛ぶ印象は窺えないとのことである。神山作品の中でTsさんのお気に入りは「オリオン座」で、そこはかとない哀愁を感じるとしている。しし座流星群の出現をTsさんは那須高原で観測していて、そのとき捉えたオリオン座の三つ星に向かう流星の画像も引用されている。その夜、幾多の流れ星がオリオン座を横切る光景を見て、心揺さぶられるものだったとしている。最後にはロマン・ロランの戯曲の一節を引用して締めくくっている。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/Ant012.htm

 

 20年前の火星は、1991年十一月8日に「てんびん座」で太陽と「合」になった。TYA(75)にはCMO#111 (25 November 1991)が紹介されている。この号には二つのノートがまとめられていて、まず、1988CMO観測ノ−ト(16)として「Novus Monsの分離について "On the detachment of Novus Mons in 1988"」が掲載されている。1988年はNovus Monsが南極冠から分離する様子を観測するのに適した季節の接近で、七月上旬のアメリカでの観測から引用をはじめて、七月下旬からは日本・台湾での観測を詳しく取り上げている。八月に入ってヨ−ロッパでの状況を追って、アメリカに戻りDPk氏が東端に捉えたところまで(14 Aug, 252°Ls)を取り上げていて、この年の分離の時期は(λ=250°Ls252°Ls)で、以前から観測されている時期と同様であったとしている。また、1991 OAA Mars Section NOTE (2)として320°Ls330°Ls にかけての朝霧 "Morning mist from 320°Ls to 330°Ls in 1990"」があり、1988年にThaumasia Fœlixに観測された強い朝霧の、1990年度に於ける追跡と比較の記事である。結果として1990年には著しい朝霧は観測されなかったとしている。

 他には夜毎餘言XXIII 「郵便事情」が掲載されている。また。DPk氏はこのころからCCDカメラによる撮像を試されていて、送られてきた土星のプリンター出力画像が引用されている。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/253/tya075.html

 

他に、コラム記事にはDirector's Reports#10が取りあげられている。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/ds2001/ds/d_repo.html

                                                                          村上 昌己 (Mk)


日本語版フに戻る / 『火星通信』シ3 の頁に戻る