98/99 report #06

1998/99 CMO Mars Report #06 (#05 SUPPLEMENT) in CMO #213

1999年一月後半・二月前半の火星面觀測 (補遺)


『火星通信』同人・南 政 次 (Mn)
♂・・・・・・・ このレポートは號外で、前號のレポートの補遺であり、やや毛色の違う報告となる。通常の報告の續編(16Febから15Mar迄の報告)は豫告通り次號、25Mar號で行われる。

♂・・・・・・・ヘッラス補遺:ヘッラスは前號報告のように、二月中旬日本から觀測され、その白く好く輝く姿が觀察された。15Febで098゚Lsであった。p2409のヘッラスの項の最後で、輝部の西端が何時火星の東端の蔭に沈んで行くか、二三の觀測を引用したが、この點について、その後中旬の觀測が寄せられたので、前以て或る程度纏めて報告する。
 輝部の幅を決めるには、衝の頃に東端西端のCM通過から決定するのが一番の方法だが、現在のように位相角が大きく、缺の部分が大きいときは日歿線が次善の基準になることに注意する。特にヘッラスのような輝部が歿する時は、夕歿が他の模様より明確だから、特別にチェックしてみる價値はある譯である。然もヘッラスの輝部の大きさは大變興味のあるポイントである。
 先ず觀測結果であるが、(前回、及びその後emailその他で收集した範囲では)、ω=320゚Wの前半では、どの觀測者もヘッラスの輝部の殘留を認めている。14Febの比嘉保信(Hg)氏のテープではω=322゚Wで殘滓が見えている。15Febには岩崎徹(Iw)氏がω=322゚W、村上昌己(Mk)氏がω=324゚W、Hg氏のテープではω=320゚Wで見えている。16FebにはMk氏がω=322゚Wで、Hg氏のテープではω=323゚Wで見える。17FebのHg氏のテープではω=327゚Wで確認出來るようである。例外的に、14FebにはHk氏がω=336゚Wでも見えるとし、Iw氏は15Febにω=331゚Wで、16FebにはMk氏がω=332゚Wで殘滓を見ている。(Iw氏は16Febはω=302゚W迄、18Febはω=303゚W迄の觀測。伊舎堂弘(Id)氏も、20Febにω=302゚W、ω=314゚Wでの觀測)
 一方、ヘッラスの輝部が最早明白でないという觀測は、14FebではMnがω=328゚W、Id氏がω=324゚Wなどで、Hg氏のテープでもω=329゚Wでは確認出來ない。15Febには中島孝(Nj)氏がω=329゚W、Mk氏がω=334゚Wで、Hk氏もω=334゚Wで、Mnもω=334゚W(その前は雲)で見失っている。16FebのHk氏の觀測でもω=334゚Wでは、ヘッラスは無く、Hg氏のテープでもω=334゚Wで微妙である。尚、Hg氏の便りによれば、原テープではω=332゚W邊り迄は明確のようである。(Id氏の14Febは少し早い。Id氏は15Febにも觀測しているが、ω=312゚Wからω=341゚Wまで二時間觀測が跳んでいる。實は福井も15Febは雲が出て、定時觀測ではない。そういう場合はNoteや手帖に次第を記す必要がある。)
 實は、16Feb(098゚Ls)に、福井市自然史博物館天文臺で、Nj氏が不在であった爲、筆者が單獨で連續してヘッラスを追った。スケッチは特別に15:20GMTから22:00GMTまで四十分毎に行い、19:20GMT(ω=310゚W)から21:00GMT(ω=334゚W)迄は紀録を十分毎に取った。その結果では、ω=325゚Wでは未だ充分見えるが、ω=327゚Wでは輝部はピンポイントになる。ω=329゚Wでは殆ど確認出來ないという結果であった。これは最輝部について言っている。ヘーズ状のものは可能性があるが、これの動向は同定できない。更に言えば、輝部は、星の掩蔽のように瞬間的に消えるものではなく、矢張り徐々に夕歿して見えなくなって行くのであり、視直徑(この時δ=9.1")や口徑にも據るだろうし、またシーイングにも依るだろう。福井のこの日は19h前後に好いシーイングの時があり、全體然程悪くはなく、ω=329゚Wでは主な特徴は可能な限り全部?まえている。
 從って、Nj氏やMk氏、Iw氏、Hg氏の觀察を勘案して、ω=329゚Wからω=332゚W邊りを夕歿の後面とすることで、納得が得られようと思う。お互いの觀測時刻の差は十分程度である。
次に、15Febの時点で、西田昭徳(Ns)氏の經緯度圖を描いてみると、CMから缺け際まで緯度40゚Nの處で計ると、殆ど30゚である(位相角はこの日ι=34゚であったから、(30+34)/15=4.3、つまり地方時で午後4時半前の夕歿であるが、ヘッラスにとっては冬至であるから、夕歿は早い譯である)。そこで輝部の西端を先のωから求めると、332−30=302、つまりΩ=302゚Wが 40゚Nの線での西の端ということになる。
 尚、他の觀測結果として、31Janの唐那・派克(DPk)のCCD像を採り上げると、ω=326゚Wではヘッラスは消えていると見て好い。この時は、CMから缺け際まで40゚N線で28゚と考えられるから、326−28=298゚Wで、上のω=329゚Wの場合から出る結果に近い。

 一方、所謂ヘッラスの西端を美國地理調査所の火星圖で調べてみると、ヘッラス盆地(ヘッラス・プラニティア)の西端の崖の上にヘッレスポントゥス・モンテスが走っているが、これが40゚Nでは315゚Wである。この崖は峻険で、シュルティス・マイヨルの東のイシディス・プラニティアの低い水準で見てみても、310゚Wで盆地の西の境界はこの邊りと見て好い。
 實際、Hg氏がマッキントッシュ用の便利なソフトをお持ちで、日時を指定すると(衛星の位置も含めて)火星面を地理調査所の模様で出してくれるというので(この號のLtE、及び#205p2303のLtE參照)、16Febの様子を調べて頂いた。これによるとω=329゚Wで、ヘッラスは小さくなっているが、可成りの面積を持ち、とてもピンポイントには見えない。この後グッと動きが鈍くなり、ω=334゚Wでも未だ可成りの面積を殘すのである(北極冠に比べてやや小さい程度)。
これらモデルによる度數は我々の實際の觀測と可成り違ったものである。觀測のΩ=302゚Wといえば、モデルの310゚Wを採っても、未だ東である。これはどう考えたらよいのであろうか。
 一つには、霜の降りたヘッラスの床部分が所謂ヘッラスより小さい、盆地の低いところにのみ霜が降りている、という見方である。然し、ヘッラスの中心が300゚W邊りであることを考えると、これでは西側が小さすぎるだろう。實際、CMを通過するときのヘッラスは小さくはない。從って、これは縁に來たときの特徴であろうか。然し、端とは謂え、北極冠と同程度に中に入っているから光学的な偏差とは考え難い。そこで考えられるのは、西側が可成りの傾斜で東に落ちていることで、傾斜は當然夕端に來ると更に角度が強くなるから、傾斜面に降りている霜は、夕端に來て、反射光が弱くなるであろうということである。從って、CM近くでは全體が輝くのに對して、夕端に來ると、周邊部は反射光を落とし、ヘッラスの中央部の平坦部が際立ってくるのではないかということである。これは霜が盆地に高低差に無関係に平均して降りているという假定を使っている。三つ目の可能性は、靄による作用である。CM附近と違って、夕方では靄の出ることが考えられ、この靄が、輝度を落とす可能性がある。その場合でも輝部のコア(核)が見える譯であるから、上の數値から靄の濃度も推定出來るはずである。

 一方、ヘッラスの東側の境界はどうであろうか。これは現在は火星の西端で見る外ない譯だから、缺け線を使って調べるのと比べて可成り精度の悪くなることは止むを得ない。
 既に前號で引用したが、9FebのDPk氏のCCDではω=224゚Wではヘッラスは明るくないが、ω=238゚Wでは充分輝いている。8Febの像ではω=234゚Wで出ていると思う。從って、224+65=289゚Wから234+65=299゚Wの間にヘッラスの輝部の東端があるということになる。ここで65゚は40゚N線でのCMから像の西端までの概略の値である。この値が先の30゚より大きいというところが、誤差の多いと言う証左である。
 他方、ビヴェール(NBv)氏の15Janの紀録ではω=224゚Wでヘッラスは出ているとも見える(下記参照)。26FebのHg氏のテープによると、ω=212゚Wでは不明、ω=222゚Wで出ているか?と言うところ、ω=232゚Wでは輝部が明白である。他にMk氏の23Febのω=235゚Wでは既に明白。Mnの25Febの觀測ではヘッラスが明確になったのはω=243゚Wで、ω=233゚Wではミスティと見ている。これらの結果を合わせてCCDでは290゚W邊り、肉眼では300゚W邊りが候補となる。この違いは朝霧の影響があると思う。境界の設定には、現象が眞の縁であるからCCDに依った方が好いであろう。
 實際の地形からはヘッラスの東端は(こちらは傾斜がなだらかな方だが)、285゚と見て好いから、ヘッラスの輝部の東端は矢張りヘッラス盆地に收まっているとみて好いだろう。實は、Hg氏に9Febのω=224゚Wで、Macのモデルを見て頂いたが、このモデルでは既に東端が出ているようである。285−65=220゚が幾何學的なヘッラスの出現ということになる。矢張り出現も漸進的なのは當然であろう。

 以上、數値上の問題とだけ捉えず、觀測の方法の方向として捉えて欲しい。輝點位置等の測定は衝の頃はCM通過に依るのがよいが、位相角の大きいときにも次善の策があることの例である。然も、時間的に餘裕がある。輝く黄塵などの發生の際、背景の暗色模様は大事な基準だが、他に上の方法も採用出來る。ただ、CMTの場合と同じく目的意識を持って觀測の頻度を四十分間隔以上に狭めなければならない。尚、今回はヘッラスの活動と大きなιと適當な視直徑が重なった稀有な場合であったことを注意しておく。以上の考察中、比嘉保信氏にはひどく煩わせました。末尾ながら感謝。

♂・・・・・・・ 前號編集割付後、ビヴェール(NBv)のカラー・スケッチが届いたことは、Note added in proofで述べた(一覧には掲載済み)。17,18,19 Dec 1998 (072゚Ls)のスケッチはそれぞれω=105゚W、ω=096゚W、ω=114゚Wで行われていて、ニロケラス後方の斑點が記述されているのが特長。ソリス・ラクスも出ている。δ=5.8"。14Jan(084゚Ls)1999ω=225゚Wでは南端は白くないが、30Jan(091゚Ls)ω=049゚Wでは白くなっている。後者はでソリス・ラクスからアウロラエ・シヌス。マレ・アキダリウムが斑點?。15Feb1999(098゚Ls)はω=224゚W、263゚W、285゚Wの三聨作で、シュルティス・マイヨルとヘッラスが追われている。他にエリュシウムが最初は位置のみだが、二番目では白くなっている。北極冠の周りが白くトンでいる。三番目では朝霧が出てきている。シュルティス・マイヨルはω=224゚Wで捉えられているが、朝霧の記述はない。ヘッラスは前述の通り、白いのであるが、朝霧か本體かは判断が難しい。奇しくも14JanともDPk氏の9Febの角度とも同じである。
 餘談だが、近着のl'Astronomieによると、NBv氏はCommission de Cometesに属していて、ここにはヘール-ボップの觀察記録と考察が掲載されている。ヘール-ボップは高倍率では頭部が極めて興味深い動きをしたので、1997年のNBv氏は火星よりヘール-ボップを選んだのである。望遠鏡はいまハワイに持參しているのと同じものらしい。

♂・・・・・・・ 今回はもう一件報告事項がある。前號編集直前、BAAの理査・麥肯(RMk)氏からemail-alertが届き(22 Feb 01:27JST着)、グレイ(DGr)氏が黄塵らしきものを21Febに見ているということであった。しかし、特定(selected)の觀測者のみに宛てて送られており(自信がないということか)、更に發生場所がワッレス・マリネリス邊りで、日本からは遙か遠く(當時はシュルティス・マイヨルが見えている)、今時の黄雲は廣域的ではあり得ないので、日本からの觀測はあり得ないと判断し、#212では割愛した。今では時効なので、内容を要約するが、DGr氏がRMk氏に電話して來たところに依ると、21Feb(100゚Ls)の2:00GMTから3:20GMT迄(ω=010゚Wから029゚W)で朝方のクリュセ-クサンテに赤色光で明部を觀測、問題はアウロラエ・シヌスからその西を侵しており、マルガリティフェル・シヌスとマレ・エリュトゥラエウムの一部も被っていると判断されたということである。RMk氏はワッレス・マリネリスのものの可能性があると考えたようである。この時期この邊りでに黄雲の發生が無いわけでなく、例えば1978年のヴァイキングの觀測ではエクス・カスマ(01゚N、082゚W)で066゚Lsから115゚Lsまで何度か黄塵が見られたという紀録がある(L J MARTIN & P B JAMES, Icarus 77(1989) 35等)から、可成り長い期間可能なのであるが、規模も小さいし局所的である。局所的であれば、これはヨーロッパかアメリカで解決出來るものであろう。DGr氏の雲はその後どのように追跡されたか(この時點では)分からなかったが、2Marに唐那・派克(DPk)氏の28Feb(103゚Ls)のCCD像がemailで入り、これはω=046゚W中心で、極めて正常な姿を冩し出していたから、それで話はお仕舞いと思ったものである。ただ、このCCD像ではクリュセのアロマトゥム・プロモンテリウム(岬)沖に明るい雲塊がある。青色光でも撮れているので赤道帯の白雲であろうが顕著である。他にオレステスが擴大したように見える(次號報告)など秀逸なCCD像である。アウロラエ・シヌスなどには異常はない。從って、DGr氏の黄雲は既に逸散したという印象であった。然し、7Mar 04:27JSTにRMk氏からBAA Mars Section Circular 1998/99, No 4が送られて來て、空騒ぎがあったらしい經緯が冗長に語られた。要するに例の21FebのAlertに仰山な應答があって、バスに乗り遅れまいと前後の觀測が報告された様で、それらが羅列されている。ただ、ヨーロッパ側の話はDGr氏の觀測以外は具體的にない。二度讀んだが、どれも抵觸しない程度のものばかりで、積極的にサポートするものはないと判断した。RMk氏はDPk氏の28Febの像や後續のものに深讀みしている他、様々な話があるが、それらはもっと資料が集まらなければ價値がない。


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