Ten Years Ago (180)

 

----CMO #234 (25 August 2000) pp2779~2794   ----

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/234/cmo234.html

 


 

 巻頭は、1998/99 Mars CMO Note (13) 「五月末のマレ・アキダリウム北部の朝霧」 "A complex morning mist at the northern M Acidalium observed in late-May 1999 - compared with the phenomena in 1997 " が取り上げられている。これは来期あたりから参考になろう。

 この観測は福井で行われたもので、29 May 1999 (λ=146°Ls), 30 May 1999 (λ=147°Ls) の連日チェックされている。濃い朝霧に覆われたマレ・アキダリウムが朝方から出現するときに、マレ・アキダリウム北西部が朝霧を透かして暗斑として分離して濃く見えているのを捉えたものである。マレ・アキダリウムが自転で中に入るにつれて霧は弱まりいつもの姿に戻っていった。31 May (λ=147°Ls), 1 June (λ=148°Ls) には朝霧が弱まったようで分離して見える様子は観測されなかった。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/note/9913/13j.html 

 附録の部分には、1997年のHSTの捉えた同様の現象 (λ=139°, 146°Ls) と、ドン・パーカー氏の同年の観測 (λ=127°Ls) が採り上げられ、また27 Apr 1999 (λ=130°Ls) のバルティア見られたサイクロン現象なども含めて、λ=130°Lsあたりから北半球高緯度の朝方の不安定な擾乱の季節があるのではないかとしている。

 

 次いで、「文献案内」 "MGS found lots of "JUVENTAE FONS" で、サイエンス誌に掲載されたM C MALIN & K S EDGETT"Evidence for Recent Groundwater Seepage and Surface Runoff on Mars" (Science 288 (2000) 2330)などの論文の内容の紹介で、マーズ・グローバル・サーベイヤーのカメラ(MOC)が捉えた画像に、細かな溝地形が見つかり、いくつかのクレーターの内壁には水の流れたような痕跡が認められていて、その解釈に関してのMn氏の解説である。Ts氏の図が面白いので以下を参照されたい。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/Bunken.htm

 

 LtEには、常間地ひとみ(Ts,神奈川)、伊舎堂弘(Id,沖縄)、松本直弥(Mt,長崎)、阿久津富夫(Ak,栃木)、赤羽徳英(hida岐阜)、比嘉保信(Hg,沖縄)、森田行雄(Mo,広島)の国内の各氏からと、海外からョ 武揚 (Taiwan), Damian PEACH (DPc, UK), Detlev NIECHOY (DNc, Germany), Giovanni QUARRA (GQr, Italy), Francis OGER (FOg, France), Sam WHITBY (SWb,VA, USA) の外国の各氏からのものが紹介されている。常間地さんからはこの期間に起きた太陽の最大級のCME (Colonal Mass Ejection) に関してなど、太陽の話題が伝えられている。また横浜で計画されている惑星観測者懇談会の準備状況も報告されている。

 

 TYA(60)は、CMO#090 (10 Aug 1990), CMO#091 (25 Aug 1990) の二号の紹介である。20年前の火星は「おひつじ座」で西矩となり、明け方の空にマイナス等級で輝いていた。七月末にλ=270°Lsを過ぎて、南半球の夏至を過ぎた季節となっていた。8月中には視直径も10秒角を越えて、本格的な観測期に入り、『火星通信』も月二回の発行となった。この期間に特徴的だったのは南極域の見え方で、融解の進んでいる南極冠とその周辺の明るさが注目された。#090には、南政次(Mn)氏の「夜毎餘言・XV 『火星探査はぼくの夢』」がある。これは松井孝典氏の「文学界」の随筆の中にある言葉のようで、ここの「ぼく」はMn氏ではない。その後に久保亮五氏の「朝日新聞」の論説をひいて、科学の分野においても、対米追従の政治が色濃く反映されていて、慎重な対応をと呼びかけている。国際協力の名の下に自国の研究開発はそっちのけになってしまうのではないかとの危惧であろう。金余りの時代であった当時の日本に、いかにアメリカが進出して他を顧みない自己増殖型のシステムを作っていったのかを説く。それが現代の状況に繋がっているかを考えると、日本の崩壊は当時から始まっていたように思える。

他にはLtEに阿久津富夫氏の「臺北市立天文台を訪ねて」 が掲載されている。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn4/Taipei_1990Ak.htm

 

CMO#091には浅田正(As)氏による、「視直径の変化(1984, 1986, 1988, 1990/91)-Coming 1990/91 MARS(6)」が紹介された。#091巻末にはMn氏のOAA第五回山本一清記念学術研究奨励賞(1990年度)の受賞が報告されている。  

 http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/234/tya060.html (Japanese)

 

                                              村上 昌己 (Mk)   


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