98/99 Mars CMO Note (13)

1998/99 Mars CMO Note
- 13-

from CMO #234


-- 五月末のマレ・アキダリウム北部の朝霧 --


◆今回は本論として、1999年五月末に日本から見られた朝方のマレ・アキダリウムの濃い朝霧現象についての報告である。

◆マレ・アキダリウムの朝雲に就いてはNote (2)と(3)(それぞれ #226 p2643#227 p2666) で二度觸れている。最初は「七月の上旬のマレ・アキダリウム北の朝雲」で、165゚Ls〜167゚Lsの頃の現象、後者は「四月下旬のバルティア朝の白雲」で、130゚LsでHSTで検出されたサイクロンの我が方での觀測に就いてであった。
◆今回は三度目になるが、扱うのは既に#219 (10 June 1999號) p2534 (英文はp2538)で報告した朝方のマレ・アキダリウムの北部を覆う濃い霧状の雲である。季節は146゚Lsから見られた。

29 May 1999 (146゚Ls)〜1 June 1999 (148゚Ls)

◆29 May 1999(146゚Ls)に福井で、中島孝(Nj)氏と筆者(Mn)は10:10GMT(ω=340゚W, Nj)から觀測を開始したが、既に11:10GMT(ω=355゚W, Mn)邊りから、マレ・アキダリウムの北西端が綺麗に分離され斑點として見えているのが觀測された。最初の印象ではその分離部分が突然濃化したような感じであった。しかし、濃化というよりも、これは朝霧の濃淡により、その隙間ないし穿孔からマレ・アキダリウムの西北端の濃い部分が透けて見えるのであろうと判断された。ω=009゚W (Nj)でも未だ分離していたが、その後ω=024゚W (Mn)まで、未だ、マレ・アキダリウムの西北部は三角形に濃く見えていたものの、マレ・アキダリウムに溶け込んで來た。ω=034゚W (Mn)では一様になって來ている(上圖)。文頭に掲載のNj氏のスケッチはω=359゚Wのものである。

◆30 May 1999(147゚Ls)は同様福井でω=331゚W(Nj)から前日と同じ時間配分で觀測を開始したが、現象が繰り返され、既にω=341゚W(Nj)、ω=346゚W(Mn)で朝霧を透かせて、マレ・アキダリウムの西北端が矢張り分離して見えてきた。この日の福井での觀測は次の様に行われた:

30 May 1999 (147゚Ls、φ=23゚N、ι=27゚、δ=14.5")

 Nj-367D  10:10GMT  ω=331゚W     just misty
 Mn-631D 10:30GMT  ω=336゚W     just misty
 Nj-368D  10:50GMT  ω=341゚W      ▲
 Mn-632D 11:10GMT  ω=346゚W      ▲ 
 Nj-369D  11:30GMT  ω=351゚W      ▲
 Mn-633D 11:50GMT  ω=355゚W      ▲
 Nj-370D  12:10GMT  ω=000゚W      ▲△
 Mn-634D 12:30GMT  ω=005゚W      △
 Nj-371D  12:50GMT  ω=010゚W      △
 Mn-635D 13:10GMT  ω=015゚W      △
 Nj-372D  13:30GMT  ω=019゚W      △
 Mn-636D 13:50GMT  ω=024゚W     normal
 Mn-637D 14:30GMT  ω=034゚W     normal
 Mn-638D 15:10GMT  ω=044゚W     normal
▲は斑點が明確、△は未だ霧が局所的に濃く殘るが、マレ・アキダリウムはもとの形に近いという意味である。

 具體的にはω=355゚W(Mn、左圖)やω=000゚W(Nj)では三角斑點が明確であったが、然し、四十分後のω=005゚Wでは西北部が目立つものの、マレ・アキダリウムに溶け込んで來ている。但し、Nj氏はω=010゚Wでもマレ・アキダリウムの内部にかなり強い雲塊の殘留を認めている。

◆31 May 1999 (147゚Ls)は10:10GMTω=322゚W(Nj)から開始、シーイングは良好であったが、ω=356゚W(Mn)、ω=001゚W(Nj)になっても前々日、前日に見られた斑點は形を成さなかった。やや朝霧が弱くなっているようである。

◆1 June 1999 (148゚Ls)にも10:10 GMTω=313゚W(Nj)から開始、ω=327゚W〜ω=357゚Wまで、朝霧が缺け際近くに濃く見えていたがマレ・アキダリウムは分断されなかった。以上であった。

 火星は午前2時過ぎには沈んで(觀測可能なのは1時迄)いるが、この四日間に福井では合計56枚のスケッチを取った。ω=355゚W邊りでの比較圖は#219 p2534に載せてある。參照されたい。ι=26゚邊りで、濃斑點の地方時は日の出後一時間ぐらいである。

 ◆當該領域は27 May 1999から我が方に見え始めている。然し、29 May、30 Mayに見られた現象の形跡はない。28 May (145゚Ls)には一般公開後のω=013゚Wからであるが、検出されていない。朝霧は見られる。

 尚、阿久津富夫(Ak)氏は、30,31 Mayと撮像している。30 Mayはω=001゚W、ω=014゚W等であるが、角度が微妙で、シーイングも振るわなかった。31 Mayはシーイングが好く、ω=001゚Wは極めて良像であるが、殘念ながら分離が弱くなった日であった。
 森田行雄(Mo)氏も30 Mayω=003゚Wなど際どいところで、ST-5Cを使ってCCD像を得ているが、R光像は好い。B像には時刻のずれがあり、雲の描寫が餘り効果的でないが、マレ・アキダリウム内に殘る小さな雲の塊が見える様である。
 Mk氏もHk氏も29 May等に觀測しているが、Mk氏はω=034゚Wからで遅かった。31 Mayはω=336゚Wからω=006゚Wまで、Ak氏と對應する。Hk氏は29 Mayはω=016゚Wだけで遅く、30 Mayはω=357゚W(12:00GMT)であるが、一日一枚の觀測ではウォームアップも儘ならず、平凡な觀測になって千載一遇を見落とす。

 ◆この現象は夜間の放射霧が引き續き朝方に出て來たものであろうが、朝に移って冷たい大氣と、温暖な空氣との混合は冷却を齎らすから、この時期強い朝霧は好く見られる。ただ、今回のものは低地マレ・アキダリウム上で起こり、その最低地が颱風の眼の様に雲の裂け目になって見えていたわけで壓巻であった。

附 録:
 ◆實はこのマレ・アキダリウムの似たような朝霧は1997年にも記録されている。

27 June 1997 (139゚Ls)〜 11 July 1997 (146゚Ls)

◆27 June 1997、HSTによってエオスに黄塵が検出されたことはCMO #193 p2127 (25 July 1997號) (JimboのLtEはp2131)に報告してある。これはPathfinderの着陸に先立って氣象條件の調査の爲であったが、同時に高緯度の朝霧を寫し出したことでも知られる(左圖參照)。


 この朝霧は9、10、11 Julyにも確かめられているが、偶然この季節が1999年の上に報告した場合と一致する。この1997年の場合の朝霧もマレ・アキダリウム上で一様でなく、複雜な濃淡を内部に示している。尚、HSTは17 May 1997 (119゚Ls)にも似た様な朝霧を寫し出しているから、晩夏の普遍的な現象であろうが、強弱はある。

3 June 1997 (127゚Ls)と 27 Apr 1999 (130゚Ls)

◆高緯度の朝の大氣が上空下層で餘り温度差がないときは、霧は雲海型で安定であろうが(アスクラエウス雲やエリュシウム朝雲等もそうである)、もし、上層の温度が急激に低くなっている場合は不安定で、上昇氣流が激しく起こり強力な白雲が發生するであろう。
◆27 Apr 1999 (130゚Ls)にHSTが發現を検出し、村上昌己(Mk)氏などが觀測したバルティアのサイクロン(#227)はその種類であろう。

◆實は1997年には唐那・派克(DPk)氏によって同じ様な季節に濃い朝雲の發生が検出された(3 June 1997、127゚Ls、左圖參照)から、こうした不安定な擾亂の季節に130゚Ls邊りが擧げられるかも知れない。このケースでは未だ水蒸氣による白雲である。
◆他に、北極地域でのサイクロンについては、CMO #184 (10 Feb 1997) p1987で採り上げている。ご覧頂きたいが、ヴァイキング・オービターによる二回目のサイクロンの検出は126゚Lsである。これも青色光に好く出ている。

◆一方#226で採り上げた場合のもっと遅い165゚Ls〜167゚Lsにおける擾亂は黄塵を内部に含んでいたと考えられる。

(南)