Ten Years Ago (190)

 

---- CMO #244 (25 May 2001) pp2991~3006  ----

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/Cmo244/index.htm

 


き続き観測レポート#08で、 五月前半1May2001 (λ=154°Ls) から15May2001 (λ=162°Ls)までの半月の観測報告が纏められている。期間末には、視直径はδ=16.6"と急速に大きくなっていた。中央緯度はφ=1°S台で正面向きのままだが、再び北向きに戻り始めていた。位相角はι=29°から22°まで落ちて丸みが出て来た。

 火星はこの期間も「いて座」で順行を続け赤緯はD=25°S台まで低くなっていた。観測報告は国内から11名、外国から9名の20名と少し増加した。全体に半月で観測は190点ほどであった。アメリカからはエド・グラフトン氏(EGf)が参加して、LtEには撮影方法が紹介されている。以下を参照されたい:

  http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/EGf244.htm

 国内からは熊森照明氏(Km)から画像が寄せられるようになった。なお、ピーチ(DPc)氏はカラースケッチの登場である。例えば、

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmons/DPc22May01.htm

 をご覧頂きたい。LtEは前号にある。

 この期間に観測された事として初めに指摘されているのが、夕方のシュルティス・マイヨルが灰色がかったリビュア雲で覆われていたことで、位相角が減じたことで雲の輝きがなくなったのであろうとしている。またイアピュギア・ウィリディスが淡化してヘッラス北部が垂れ下がっているように見えており、夕方にはヘッラスからシュルティス・マイヨルまでモノトーンになっていた。南極雲と南極冠の様子は、DPk氏とEGf氏の画像が参考になり、南アウソニアあたりでは南極雲はまだ50°Sまで覆っており、南極冠は60°Sあたりで留まっていると推定されている。ヘッラス以西の南極雲は日本からの観測でアルギュレが明るく見えるなど、経度により局在して明るさに強弱があるように見えていた。その他、マレ・セルペンティスからノアキスにかけてパンドラエ・フレトゥムとは別物の暗帯が走っていること。マレ・セルペンティスとシヌス・サバエウスは、ほぼ分離していること。朝方の白霧の活動はまだ盛んで、クリュセやテムペが朝方明るく見えるなどが採り上げられている。クサンテは夕方にも明るさがあり、地表の明暗により夕方の霧の明るさが違って見えているとしている。この季節には衰退を始めている午後の山岳雲の動向も関心があるところだが、タルシス・モンテス、オリュムプス・モンスはヨーロッパからの観測報告は少なく(この年はヨーロッパからは火星は低い)言及されていない。エリュシウム・モンスはアメリカの観測により捉えられており、B光よりR光での明るさが勝っているとされている。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/01Repo08j/index.htm

 

LtEは、Ed GRAFTON (TX, USA), Damian PEACH (UK), Myron E WASIUTA (VA, USA), Carlos E HERNANDEZ (FL, USA),  Frank J MELILLO (NY, USA), Tom DOBBINS (OH, USA), Daniel FISCHER (Germany), Nicolas BIVER (France), TAN Wei-Leong (Singapore), Don PARKER (FL, USA), Sam WHITBY (VA, USA) の外国の諸氏からと、国内からは、比嘉保信(沖縄)、日岐敏明(長野)、伊舎堂弘(沖縄)、森田行雄(広島)、長谷川久也(茨城)、熊森照明(大阪)、阿久津富夫(栃木)の各氏からのお便りが掲載されている。

 

「アンタレス研究所訪問」 (常間地ひとみさん) の三回目は、「総本山修行の旅」で、5月の連休中に福井を訪ねて足羽山天文台で過ごした観測の日々と、南(Mn)氏から叱咤激励いただいた火星観測に関しての至言などがつづられている。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/Ant003.htm

 

TYA(69)は、20年前のCMO#105(25May1991)を採り上げている。当時の火星は夕方の西空にあり、太陽との離角を60度ほどに縮めていた。視直径もδ=5"を下回り、各氏も連休明けを以て観測が終了している。季節はλ=060°Ls頃までが今期の観測で、視直径は小さいものの北極冠は北向きのこともありまだ明らかで、暗色模様も認められていた。この号からは1990/91年観測期の総括が始まっていて、パーカー(DPk)氏の70点に及ぶTP写真の追加報告から、199111月のdust cloudの詳しい解説があった。また、JBAAに掲載のマッキム(RMk)氏による今期観測の中間報告の紹介もある。

 20年前の記事として、南氏による「岩崎徹先生介紹」が掲載されている。他には「夜毎餘言XXI・平山郁夫の樓蘭」があり、平山郁夫氏が樓蘭古跡においてスケッチをした時の話を引用して、火星観測の心構えを説いている。以下のリンクからご覧いただける。こちらにはCMO #203 (25 March 1991) p886に載せた「玉子の話」も再掲されている。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn1/Zure13.htm  夜毎餘言XXI

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/244/tya069.html  TYA#069

                                               村上 昌己(Mk)

 


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